―夢を見る時がある。
 
楽しい内容の時もあるけど、
 
悲しい内容の時もある。
 
他の人はどうだか知らないが
 
俺が夢を見る時は
 
決まって疲れている時だ。
 
何故なのか
 
俺には理由が解らなかった。
 
そう、
 
あの世界を、
 
今この場から最も遠いあの世界の事を知るまでは。
 
そして、
 
今は知ってる。
 
俺は元々夢なんか見やしないって事を―
 

青年は天を仰いだ
彼の目に映るのは天を覆う無数の木の葉と枝、
そしてそれらの間からごくごく低い割合で漏れてくる光だけである。
青年は溜息を一つ吐いた。
彼は、もう半日近く、歩く事と休む事をこうやって溜息をつきつつ繰り返している。

「解らない事だらけか…」

手近な木にもたれかかって座ると、青年は一言呟き目を閉じた。
彼が着ている学生服のシャツは既に汗まみれで下に着ているTシャツを浮き上がらせている

「ここがどこかも、どうやったら家に帰れるのかも、解らない」

自分に純然たる事実を告げている言葉に、活力は感じられない。
疲労がそれを奪っていた。

「腹……減ったなー」

そこまで言って目を開く。

「もう一つ…解らない事があった、まともな食い物の在り処だ、このままじゃ本当に餓死しちまう」

また目を閉じる。
あたりは静かだ、虫の声すらしない。
音といえば風が下草を揺らす音がかすかに聞こえる程度だ。
静寂が辺りを支配していた。
―だが、それは突然の侵入者に破られる。
他ならぬ青年自身の声だ。

「餓死……!?」

自身の言葉の含む意味と言う奴は、意外と見落としがちなものではあるが、
時として、使う本人さえ驚愕させたりする事がある。
今の場合がそうだ。
普段は本来の目的で使用されていなかった言葉は、
この状況下においてその意味を取り戻していた。
彼は再び目を開く。

「冗談……じゃ、なくなってきてないか……?このままじゃ…死……」

語尾を飲みこみ、変わりに唾液を嚥下する音をたてる。

「あんまり……、悪い方向に考えるのはよそう。希望を捨てたら……お終いだ…」

呟いて彼は頭上を仰ぐ。

「体力はまだ残ってるんだ……歩ける所まで歩いたら……なんとかなるかもな」

そこまで言って姿勢を戻し、又溜息を一つ。

「いや……こういう場合動かないほうが……そうだったか……?」

もはや彼にも意味が解らない呟きを放ちつつ、彼は必死で考えているようだ。
三度、彼は天を仰いだ、見えるのは先程と同じ木の葉と枝、そして微かな光だけである。
おそらく、日が暮れれば辺りは闇に包まれるだろう、そうなればおいそれとは動けなくなる。
そうなったら、彼はどうなるのだろう?

「駄目だ、多分、動いてなきゃだめだ」

その言葉を最後に、彼は口を閉ざした。
目つきを鋭くし、歩き出す。

生きぬくために、

絶望せぬために、

しかし、彼をとりまく環境は決して彼に好意的ではない。
まず足元、天を突く巨木達の根は、複雑に絡み合い、彼の移動の妨げとなっていた。
履いている靴のせいもあるが、彼の疲労は、大半がこの根達を避けるなりまたぐなりして蓄積されたものである。
次に周辺、一面の森林は彼から二つの物を奪っていた。
一つは方向感覚である。
どれだけ歩いたところで、同じような景色が続くのだ。
方向感覚がなくなっても、何の不思議も無い。
もう一つは精神的余裕だ。
どれだけ歩いても状況が変わらないということは、精神にとって大変な負荷となる。
消耗した精神に余裕を求めるのは酷な話だ。

だが、それでも彼は歩き続ける。
こういう場合、この選択は賢明だとは言えないだろう。
この場にとどまり、助けを待つべきである・・・それは、彼にも解かっていただろう。
だが、『助けは来ない』彼はそう直感していた。
歩かねば死ぬ。だが、歩いても死なないとは限らない。
絶望的な状況だった。



殆ど休みもせずに彼は歩き続けた。
辺りが完全に闇に沈もうとしている時刻になって、ようやく彼は足を止める。

彼があれからここまで殆ど休みもせずに歩き続けられたのには理由がある。
歩みを止めた所で自分が死ぬのではないかというおぼろげな恐怖があったからだ。

しかし、彼は歩みを止めた、理由は歩みを止めた本人にも解らない。
周りは一面の闇に包まれようとしていて、彼は闇の中を歩くのは危険だとも思っていたし、一息吐きたいとも思っていた。
それでも今まで歩みをほとんど止めなかったのは、そういう思考よりも恐怖が勝っていたからであろうし、
その歩みを止めた一瞬にしても、それは変わらなかったはずである。

見えざる神の手に、導かれたのかもしれない。
ふと辺りを見回した彼の目には、明かりが写っていた。
 
希望は人に活力を与える。
 
明かりの方向に走り出した彼の姿は、どう見ても死にそうだった先刻までとは別人の様だった…。


明かりの場所には小屋が立っていた。
なぜこんな深い森の中にこんな小屋があるのか?、という疑問も無くはなかったが、不思議と違和感はなかった。
そこに小屋があるという事実は、大した抵抗も無く彼に受け入れられたのである。
扉を開き、中に入ると、木とだしの香りがした。
小屋というか、正確には家というべきその建物の中央には囲炉裏があり、その上には鍋が据えられている。
だしの香りは鍋の中から漏れてくる物らしい。

「合格だぞ、青年」

不意に声がして振りかえると、右手に老人が立っていた。
着ている服は彼の感覚からすると普通の物だ、普通の物ではあったが、この森のなかでは逆にその普通さが彼には奇妙に映る。

どこか飄々とした雰囲気を纏ったその老人がそのいつからそこにいたのか、彼は少々疑問に思ったが、

「腹が減っただろう?」

その言葉と共に差し出された膳を前にして、彼は考えるのを一時止める事にした。
……無理も無い事である。



「ここは何処なんですか?…それにさっき言ってた『合格』ってどういうことですか?」

猛烈な速度で膳の上の料理を一通り食べ終えるなり、彼はそう言った。

「まあ、待て。…あんた、家に帰りたかろう?」
「!?……、え、ええ。帰りたい…です」

いきなりの質問にたじろいでいるものの、究極的にはたどりついたであろう質問を逆に突きつけられ、青年は沈黙する。

「なら、話は至って簡単だ……儂があんたを家に帰してやろう」
「本当に?、嘘じゃないですよね?」
「人の言うことをむやみやたらに疑うものではない」

老人の今までの飄々とした雰囲気が一変した、
低い声で一喝され、再び彼は沈黙する。

「返すのは良いがただとは言っておらん。何、そんな不安そうな顔をするな。何かを取ろうと言うわけではない、働いてもらえば良い、しかも仕事は簡単だ」
「簡単な仕事って……何だよ?、これ以上面倒なのは御免だ」

ふてくされた様子で彼は呟く。
老人はそんな彼の様子を意にも介さない様子で次の言葉を放つ。

「大丈夫だ、あんたなら出来る。ここへ辿り着けたことがその証、心配は無用よ。仕事の内容というのはな…………」



そこで、目覚めた。
彼の視界に映るのは、先程までの小屋の中の風景ではなく、昨晩から泊まっている宿の部屋の風景だった。

無言のまま体を起こすと、辺りを見回し、自分の服装を確認する。
周りの景色は確かに昨日から泊まっている宿だし、着ている服も学生服ではなかった、いつも寝る時の格好そのままのTシャツにトランクスというものだ。

ベッド脇のテーブルの上には、彼の身分証明書と世界通貨の紙幣と硬貨が数枚。
そしてテーブルに備え付けの椅子に服が掛かっている。
服は結構な期間着ている物なので所々痛んではいるが、元々頑丈に作られている物なので、痛んでいるといっても状態は良い。
他には小さなタンスが一つあり、記憶が間違っていなければ細々とした荷物が中に入っているはずだった。

彼にとっては極めて当たり前の風景だ。
彼は頭を数回左右に振ると、それを止めて呟く。

「……夢か。でも、それににしちゃあ、やけに生々しかったな。すごく疲れた気がするし……」

そこまで言って、彼の腹が鳴った。

「腹が減ってちゃあなあ……。道理で変な夢なんか見る訳だ」

勝手に理由をつけて納得したらしく、彼はのんきに鼻歌など歌いながら、昨日から泊まっている部屋の窓を全開にした。

外は晴れている。
部屋に備え付けの日めくりカレンダーの日付は、「1997年・地の月3日」となっていた。

「今年ももう半分終わったのかあ、なんか最近時間が経つの早いよな。……まーいいや、飯だ、飯」

そう言うや否や、椅子に掛けていた服を手早く身に着けて彼は部屋を出ていく。

セリュタリア暦1997年・地の月3日、
ここ……ムーナイア王国、テスラ地方の天候は晴天だった。
後の歴史に詳しく残るわけでもないこの日に、物語は始まる事になる―



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