ホーム日付順 | 地域別 | お気に入り | イエローページ


吉野山〜熊野本宮の大峯奥駈け縦走[後半]
2004年4月29日(木)〜5月3日(月)
地図はこちら
 
 ここ最近、人と自然(山、森など)との関係についての本を読んでいます。その中の一冊が「熊野修験の森」。 どうしてこの本を手に取ったのかはよく覚えていないのですが、ともかく「奥駈道」が記憶に残っていました。 この春休み、どこへ行こうか考えているときに思い出したのが、この奥駈道。 吉野山と熊野本宮を結ぶ約100kmの尾根歩きです。 事前にガイドブック等を調べて、5泊6日の登山計画書を作成し、25日には八王子八峰を歩いて準備万端・・・?。 前夜、パッキング中のザックの中に「熊野古道」(岩波新書)と「山伏」(中公新書)を忍ばせて、夜行列車に飛び乗りました。

[前半部へ]
第1日目:
 奥千本(0955)→金峰神社(1000)→心見茶屋跡(1050-55)→四寸岩山(1145)→足摺ノ宿跡(1200) →百丁目茶屋跡(1250-1300)→五番関(1420-30)→洞辻茶屋(1605-15)→山上ヶ岳(1715-30)→小笹ノ宿(1810)
第2日目:
 小笹ノ宿(0500)→阿弥陀ヶ森(0525)→小普賢山(0612)→大普賢岳(0625-40)→七曜山(0745)→行者還岳小屋(0850-0930) →一ノ垰(1035-45)→トンネル分岐(1110)→聖宝ノ宿跡(1150-1200)→弥山小屋(1255-1330)→八経ヶ岳(1355-1400) →船ノ垰(1540-55)→楊子ヶ宿(1625)
第3日目:
楊子ヶ宿(0450)→仏生ヶ岳(0525)→孔雀水(0550-0605)→孔雀覗(0620)→橡ノ鼻(0640?)→釈迦ヶ岳(0728-40)→深仙小屋(0810-0900) →太古ノ辻(0922)→石楠花岳(0952-1000)→天狗岳(1016)→奥守岳(1035)→嫁塚峠(1052-1100)→地蔵岳(1127) →般若岳(1152-1240)→滝川ノ辻(1250)→剣光門(笹ノ宿跡)(1310)→涅槃岳(1337-50)→証誠無漏岳(1416) →阿須迦利岳(1447-1500)→持経ノ宿(1520-50)→平治ノ宿(1645)

第4日目:
 平治ノ宿(0550)→転法論岳(0610-17)→倶利迦羅岳(0645-50)→怒田ノ宿跡(0750-55)→行仙岳(0812-15)→行仙宿山小屋(0840-0915) →笠捨山(1000-13)→葛川辻(1032)→地蔵岳(1113)→四阿宿跡(1205)→香精山(1232-38)→貝吹金剛(1312)→古屋宿跡(1405?) →岩ノ口(1425-30)→花折塚(1545)→サカエ坂分岐(1616)→玉置山(1630)→玉置神社(1640?)
 朝、空は一面ガスで真っ白、の中を出発しました。今日中に玉置神社に行きつけると良いのですが・・・・・
 転法論岳、倶利迦羅岳を越えて、急下りで横駈道になり、怒田ノ宿跡から一登りで行仙岳に着きます。 [ いつもながら、ようやくの思いでたどり着いた山頂に、人工の建造物があるのはいやなものです。]  行仙小屋で、いつものように大休止。30人は泊まれそうな、流しや竈まである立派な、気持ちのよい小屋でした。
転法輪岳にて 奥駈道 ミヤマシキミ
怒田ノ宿跡にて 行仙岳にて 行仙山小屋にて 行仙山小屋にて
 小屋を後に、佐田ノ辻からまっすぐ奥駈道を辿ります。 ブナの多い道で、幹に水が流れているのを見ると、「ブナは水を集める木」だというのを実感しました
タブノキ? ブナの若葉 ブナは水を貯める
 笠捨山山頂には道祖神(?)がありました。 たまたま、行仙小屋で見かけた人がこれを設置した人の一人だとかで、その由来などを聞くことができました。
笠捨山へ 笠捨山にて 山頂にあった道祖神 山頂にあった道祖神
 急下降して葛川辻へ。急坂を少し進むと、岩が目立ちはじめ、鎖場になります。 ピークを巻いて「一息ついた」と思ったら、今度は地蔵岳の登り。 鎖や木の根、岩角をつかんでの登りで、狭い地蔵岳の頂上に着きます。 再び、急坂、鎖場を過ぎて、穏やかな稜線に戻った時には、ホッとしました。
狭い地蔵岳の山頂 地蔵岳にて 地蔵岳にて 四阿宿跡にて
 四阿宿跡で団体さんとやり過ごし(岩崎元朗さんのグループでした)、香精山を越えます。 植林帯を歩いていると、道は急に右の山腹へと曲がり、杉木立の中の木段の急坂を下りると、貝吹金剛に着きます。
行者 香精山にて 貝吹金剛への下り 貝吹金剛にて
 なおも坂を下り続けること約一時間、古屋宿跡を過ぎ、如意宝珠岳、岩ノ口と越えると、林道に併さります。 花折塚を過ぎ、10分も歩けば、展望台の反対に(左手)、カツエ坂への踏み跡へ入ります。 穏やかな登り道をまっすぐ辿り、雨量観測所を過ぎれば、やがて玉置山山頂です。 三角点があるだけの静かな山頂でしたが、周囲は石楠花の花で一杯でした。
古屋宿跡にて 岩ノ口にて 道は舗装路に・・・ カツエ坂を玉置山へ
玉置山付近にて シャクナゲが満開 玉置山にて
玉置山にて 玉置山にて 玉置山にて
 山頂を後に、玉置神社へ。時間も遅いので、許しを得て、近くにテントを張らせてもらいました。
玉石社にて 玉置神社の大鳥居 玉置神社を仰ぎ見る
第5日目:
 玉置神社(0612)→玉置辻(0630)→水呑金剛分岐(0655-道に迷う-0750)→大平多山分岐(0815)→大森山(0853)→篠尾辻(0926-0955) →五大尊岳(1025)→金剛多和(六道ノ辻)(1130-45)→大黒天神岳(1212-15)→山在峠(1305-10) →吹越ノ宿跡(1330)→吹越峠(1405?)→七越ノ峰(1420?)→備崎(1445)→熊野本宮大社(1510)
 今日が最終日、前夜降っていた雨は朝方には止みましたが、相変わらずのガスの中でした。 雨具を着ずにすむのですから、良しとしましょうか。
 一旦玉置神社に戻り、水を補給した後、参道脇にある杉の大木の下の道標に導かれて、再び奥駈道へと入ります。 玉置辻で車道を横断し、斜め前方の林道(の脇の小道)へと進みます。 水呑金剛分岐で、間違えて右に折れたため、本当に水呑金剛まで行ってしまい、ひどい目にあいました。 キャンプ適地は、林道終点付近です。
奥駈の道は続く・・・ 玉置辻にて 本当の「水呑金剛」"" 杉の緑
 急な登りを旧篠尾辻から右に大森山へ。山頂から直角に左に折れて大森山南峰(水ノ森山)へ。 篠尾峠で大休止した後、ヤセ尾根を五大尊岳へ進みます。山頂の少し先で、十津川の流れが望めました。 数日ぶりの里の風景でした
水呑金剛分岐 大森山にて 五大尊岳にて 熊野川が見えた
 五大尊岳からは、アリノ戸渡り、貝づり、と呼ばれる、急坂を下ります。 どこまで続くか判らないような急峻な道を、岩角や木の根を頼りながら注意深く降ります。 小さなコブを越え、金剛多和ノ宿跡に到着、やっとホッとできました。
シャクナゲ 金剛多和ノ宿跡にて 大黒天神岳にて 本宮方面の展望
 大黒天神岳を越えると、ゆるやかな尾根になり、やがて右下の林道に降りたところが、山在峠。 10分ほど林道を進み、再び山道へ進みます。
本宮方面の展望 本宮へと山並は続く 法篋印塔のある寺院跡 山在峠にて
タツナミソウ ニガナ? ジシバリ? ヘビイチゴ?
 ゆるやかな登り降りを繰り返し、中継塔を見送ると、広い草地に出ます。 ここは一大展望台、西方には十津川の向こうに熊野本宮大社が見えています。 左手には、園地化された七越峰へと続く道が見えていました。 一旦舗装路をたどり、道標を右に向かい、コブを越えれば、十津川の堰堤に出て、河原に降りられます。 まっすぐ徒渉するか、備崎橋を渡るかは、状況を判断の上、決めて下さい。 ちなみに、当日の水量は膝上くらいだったそうです
熊野本宮が一望できる 七越峰の頂上園地 登山道ももう終わり・・・ 七越峰を振り返る
十津川こしの七越峰
 最後は、やっぱり、熊野本宮に参拝して、大峯奥駈けは終了です。 終わった〜〜〜〜、バンザ〜〜イ、缶ビールで乾杯!!!。
熊野本宮にて 熊野本宮にて 熊野本宮にて 新宮駅にて
 熊野本宮から帰京する交通手段は、かなり限られています。 バスで五條へ出て、奈良・京都を経由するか、または新宮に出て、名古屋を経由するか、です。 どちらにしても、バスの本数も多くはありません。 下山後すぐに電話を掛けまくって、南紀大宮線の夜行バスに席を確保できました。 新宮に出て、銭湯に入って夕食をいただいて、ようやく一息。 バスに乗る頃には雨になっていましたから、3日に降りてきて正解だったかもしれませんネ。
 長かった大峯奥駈もようやく無事に終えることができました。 前回行ったのが1994年でしたから、10年ぶりになります。 それにしては、あまり記憶に残っていないな〜、というのが印象です。 また、後半天候が思わしくなく、雨具を着ずにすんだものの、展望は得られずしまいでした。 行程的には、やはり5日は無理があり、6日にして、深仙ノ宿、行仙宿山小屋、と泊まれば少し余裕ができます。 小屋や水場もある程度当てにして、荷物を減らした方がベターでしょうか。 それでも、小屋の間隔が長いので、ビバークの準備くらい(シュラフやツェルトなど)は必要です・・・。
 大峯奥駈を歩くなんて、こんな物好きは自分くらいで、他に歩いている人なんているのかな?、 って思っていたのですが、ずいぶんたくさんの人々に出会いました。 なかでも、一緒に歩いてくださった、Nさん、Yさん、ありがとうございました。 一人では不安が残るのですが、一緒に歩いてくださる人がいて心強い思いでした。 また、小屋の管理維持をしていただいている山の会人々には感謝いたします。 大峯奥駈は「修験の道」なのですが、そんな人との出会いも修験の一つなのかもしれませんね。

[戻る]

制作:加藤 輝男 2004年5月5日
Copyright © 2004 by Teruo Katoh