黒服達を撃退し、ホテルに戻って来たミレイユと霧香を、カルロバは幽霊でも見るような顔付きで迎え入れた。
「私達の顔に何か付いているのかしら、カルロバさん」
「いえ・・・ご宿泊は今朝迄だと思っていたもので」
「最初から2泊の予定だった筈ですけど」
ミレイユの言葉を聞いて、カルロバはうろたえた表情で宿帳を調べる。
「すいません、当方の手違いでした・・・お部屋へどうぞ」
カルロバの態度に腑に落ちないものを感じながら、霧香とミレイユは部屋に戻り、ベッドの上に横になっていた。
「ねぇ、ミレイユ」
不意に霧香がミレイユに問い掛ける。
「どうしたの、霧香?」
「どうして、ウインナーが危ないって判ったの?」
ミレイユは小さな笑みを浮かべて、霧香の方を見つめた。
「リサラから皿を受け取った時に気が付いたけど、あのウインナーには小さな穴が綺麗な形で開いていたのよ」
「でも、どうしてそれが毒だって・・・」
「ウインナーを焼くと、皮が縮むよね?」
「うん」
「もし最初から穴が開いていれば、いびつな形に広がる筈よ」
霧香はハッとした表情を見せた。ウインナーに開いた穴で、焼いた後の仕込み=毒物の混入を見破るなど、自分には到底思いも付かなかったからである。
「奴等は焼いたウインナーに注射器で毒を入れ、何も知らないリサラに運ばせた。私達を油断させる為に、前日の食事には何も仕込まなかった。随分手の込んだやり口ね」
「ぬいぐるみの方は?」
「あれは単なる偶然。霧香が手を伸ばした時、ぬいぐるみの頭のてっぺんが不自然に光ったのが見えたのよ」
確かに単なる偶然かもしれない。
しかし、ミレイユがその偶然に気付かなければ、自分は死んでいた。
霧香はミレイユの洞察力の鋭さに感心すると共に、ミレイユに対して引け目を感じていた。
「・・・凄いんだね、ミレイユって」
「え?」
「私には仕事の下調べも、色々な罠を見破る事も出来ない。私は単なる足手まといなのかも」
「違うわ」
ミレイユは強い口調で、霧香の言葉を遮った。
「霧香にも私にも、足らないものはあるかもしれない。でも、私達は2人だからこそ、色々な危機や困難を乗り越えて来られたのよ」
「・・・・・ミレイユ」
「霧香には何度も助けられているからね。偶には私にもいい格好させてほしいわ」
ミレイユの言葉を聞いて、霧香の表情に笑みが戻った。
☆★☆★☆
同じ頃。
ホテルの管理人室では、カルロバと2名の地元の男が、目付きの鋭い細身の男とテーブルを挟んで話をしていた。
「これでは約束の報酬は支払えませんな、カルロバさん」
リサラはコーヒーを用意して、管理人室のドアを叩こうとする。
「そんな・・・私はカルボローさんのおっしゃる通りに、あの2人連れの女性客に毒入りの食事を用意したんですよ。しかも、食事は何も知らないリサラに持って行かせたんです。万が一にも気取られる事は無い筈です」
カルロバの言葉を聞いて、ドアを叩こうとしたリサラの手が止まる。
(まさか・・・パパが人殺しを企てたなんて・・・)
リサラはそのまま、壁に背中を当ててカルロバと黒服の話に耳を傾ける。
「だが、奴等が食事を食べなかったのは事実です。それとも奴等は食事を残さず平らげて、それでも尚ピンピンしているとでも言うのですか?」
「それは・・・」
「ま、奴等の動きを報告してくれた事については謝礼を出しましょう。もし今後、あなたが別の手段で奴等を抹殺出来たなら、約束の報酬もお支払いします」
「でも、一体どうすれば・・・」
「方法はあなたにお任せします。あの2人を殺せば今後10年は遊んで暮らせる金が手に入る。決して悪い話では無い筈ですよ、カルロバさん」
リサラはカルロバ達に気付かれぬ様、ゆっくりとその場を後にした。
☆★☆★☆
霧香とミレイユは、2人が遭遇した男達の手口から、自分達を襲った敵の正体について議論していた。
「奴等は常に先手を打って仕掛けて来た。まるで、私達がどう行動するかを予測しているかの様にね」
「多分、この街の住人みんなが、私達の動きに目を光らせている」
「あり得ない話ではないわね。余所者は私達2人だけ。住民同士が密に連絡を取れば、私達の居所や行先なんかすぐに割り出せるわ」
「罠を仕掛けているのは、多分ソルダね」
「もしくは一部の地元民といった所ね。どちらにせよ、物騒な街である事に変わりはないわ」
「依頼の件はどうしようか、ミレイユ?」
「まだ依頼そのものが罠かどうかは判らない。裏が取れるまで退く訳にはいかないわ」
唐突に、入口のドアをノックする音が聞こえる。
霧香がドアを開けると、コーヒーを持ってリサラが部屋に入って来た。
「一体どうしたの、リサラ?」
「・・・2人にお話があるんです」
3人はコーヒーを手に、窓際に置いてあるソファに腰を掛けた。
「・・・父は・・・・父はあなた達を殺そうとしています」
「え?」
ミレイユと霧香は目を丸くして驚く。
「さっき、父がカルボローという人と話をしているのを聞いてしまったんです。あなた達の食事に毒を入れて、代わりにお金を貰おうと考えていたのです」
(やはり罠だったわね、霧香)
(そのようね)
「私は父が怖い・・・どうしてお金なんかの為に、人を殺そうだなんて考えるのかしら・・・」
ミレイユと霧香はリサラの言葉に胸を突かれた。
自分達も人を殺す事で日々の糧を得ている。
殺した人間の数で言えば、カルロバなど全く相手にならないだろう。
そんな自分達が、どうしてカルロバを非難できるのだろうか?
沈黙を続けるミレイユと霧香を見て、リサラは何かを懇願する様な表情で言う。
「私は父に人を殺してほしくないんです。たとえ貧乏でも、父と一緒に暮らせるだけで十分幸せなんです」
「そうね・・・・好きな人と一緒に居られるのが、一番幸せだものね」
「父はまた何か仕掛けて来ます。お願いです。危害が及ぶ前に逃げて下さい」
「判ったわ、リサラ」
リサラが部屋を出ようとしてドアを開けたその時。
赤々と燃える炎が廊下に広がるのが見えると共に、黒々とした煙が部屋の中に流れ込んで来た。
リサラは慌ててドアを閉めるが、煙は上下の隙間から少しづつ侵入して来る。
この火災が決して不慮の事態ではなく、自分達を焼き殺す為の罠だという事を、霧香とミレイユは即座に理解した。
通常の火事であれば炎の出所は1箇所であり、建物全体に煙が回るにはかなりの時間を要する。
しかし、リサラが部屋を訪れたのは僅か15分前である。
複数の場所に同時に火を点けなければ、こんなに早く火が回る事は無い。
しかも、火災に気付くのが遅れる様に、隣の部屋は発火を遅らせている。
ホテルごと焼き討ちを仕掛けるという、カルロバの捨て身の策略の前に、霧香とミレイユ、そしてリサラは絶体絶命の危機を向かえていた。
霧香とミレイユは咄嗟に周囲を見回す。
だが、脱出に使えそうなものは何も無かった。
霧香とミレイユの旅行鞄にも、それらしきものは入っていない。
廊下にある筈の消火用ホースも取りに行けない。
窓から飛び降りようにも、4階の窓から降りれば只事では済まない。
まさに万事休す、と誰もが思ったその時。
「これだわ!」
ミレイユは急いで窓からカーテンを外す。
防寒の為に非常に厚手になっている上、上部と下部はしっかりと補強されている。
「霧香、ナイフを!」
ミレイユは霧香からサバイバルナイフを受け取ると、カーテンの上下方向に互い違いに切れ目を入れる。そして、両端を引っ張ると長さ約20メートルの帯状のロープが出来上がる。
「まずはリサラからよ」
ミレイユはリサラの胴体にロープを巻き付けた。
「私達が下ろしてあげるから、着地したら身体からロープをほどいて私達に合図して。私達は自力で降りられるから、降りたら直ぐに助けを呼びに行って!」
「はい」
体重20キロそこそこのリサラを1階まで下ろすのに、さして時間は掛からなかった。
だが、無事に脱出出来たリサラを待ち受けていたのは、怖そうな目付きをした男達だった。
「困るんだよな、そういう余計な事をされちゃ」
「?」
「あの女どもが焼け死ななけりゃ、俺達には一銭も入らない。お前が愛するパパだって、ホテルを失った上に文無しになる。それでもいいのかい、お嬢ちゃん」
「構いませんわ」
リサラは年齢に似合わぬ、強い意思を込めた目で男達を見つめる。
「どんなに苦しくても、父と一緒に頑張るつもりです」
「ガキの分際で綺麗事ぬかすんじゃねぇ!」
男の一人が窓から出ていたロープを思い切り引っ張り、部屋からロープを全部引き出してしまった。これで、霧香とミレイユの退路は完全に絶たれてしまった。
「何て事するんですか!」
「ヘッ、これでお前の努力も水の泡って訳だ。あの女どもには予定通り焼け死んでもらうぜ」
それでもリサラは諦めようとしなかった。
リサラは地に落ちたロープの一端を石に巻き付け、霧香とミレイユが居る部屋に投げ込もうとする。
次の瞬間。
もう一人の男は隠し持った金属バットで、リサラの後頭部を殴打した。
石を持ったまま、リサラの小さな身体はその場に倒れた。
「ケッ、余計な悪足掻きしやがって」
「おいおい、宿屋のオヤジには何て言えばいいんだ?」
「フッ、こんな小娘など炎の中に放り込んでしまえばいい。逃げ遅れて炎に巻かれた事にすりゃ、宿屋のオヤジだって諦めが付くだろうよ」
リサラを殴打した男の言葉が終わるや否や。
霧香とミレイユは4階の窓から、男達目掛けて飛び降りた。
2人は利き脚を伸ばして男達の肩を蹴る。か細い女性とはいえ、約10メートルの高さから飛び降りれば相当な衝撃となる。
2人の靴裏から、男達の鎖骨がボキボキと折れる感触が伝わる。
そして、2人はそれぞれ蹴り倒した男達の脇腹に、膝を立てて着地する。
今度は2人の膝から、男達の肋骨がボキボキと折れる感触が伝わる。
「うう・・・痛ぇ・・・助けてくれ・・・・・」
先程までの威勢はどこへやら、男達は哀願する様な目付きで霧香とミレイユを見つめる。
霧香は涙を浮かべた怒りの表情で、男の折れた肋骨の辺りを踵で蹴る。
「ウッ!・・・や、止めてくれ・・・・・」
「ケダモノの言葉など、私には判らないわ」
霧香に痛めつけられている男の姿を見て、もうひとりの男が苦しげに言う。
「俺達が悪かった・・・金ならやる・・・だから助けてくれ・・・・・グワッ!」
今度はミレイユが涙を浮かべた怒りの表情で、もうひとりの男の折れた鎖骨の辺りを踵で踏みつける。
「どうしようもなく腐り果てた連中ね。いいわ、そろそろ楽にしてあげる」
ミレイユはそう言い終わると共に、男の肩を踏みつけた足を引っ込める。
霧香も男の脇腹を蹴りつけた足を引っ込める。
男達は一瞬安堵の表情を見せる。
が、次の瞬間には、この世の終わりを見せられたような絶望の表情に変わった。
ミレイユと霧香は拳銃を取り出し、男達の目前に突き付けた。
そして、男達が絶望の淵に立たされた様子を見て、トリガーを引いた。
男達を射殺したミレイユと霧香はリサラの元に駆け寄る。
ミレイユがリサラの上体を起こすと、リサラの後頭部から大量の鮮血が溢れ出した。
2人が自分を呼ぶ声が聞こえる。
リサラは薄目を開け、朦朧とした意識の中でミレイユと霧香の姿を確認した。
「・・・2人とも助かったのね・・・・・良かっ・・・・」
言い終えるや否や、リサラの身体が地に落ちる。
その反動で、リサラのポケットから2枚の1ユーロコインが落ちた。
ミレイユはその2枚を拾うと、1枚を霧香に手渡した。
「・・・仕事よ、霧香」
「・・・判ったわ、ミレイユ」
ミレイユと霧香は、リサラの両手を胸の前で組ませた。
ミレイユは先程倒した男のポケットを探る。
カルフール、そしてカルボローを倒す為の足の確保が目的だったのだが、ポケットからは車のキーと共に、敵が連絡に使っている筈の携帯電話が出て来た。
ミレイユは男の携帯電話をバニティバッグに突っ込むと、霧香と共に男達の車に乗り込み、カルフールが潜む屋敷へと向かった。