『白き街』 acte 3


 黒服達を撃退し、ホテルに戻って来たミレイユと霧香を、カルロバは幽霊でも見るような顔付きで迎え入れた。
 「私達の顔に何か付いているのかしら、カルロバさん」
 「いえ・・・ご宿泊は今朝迄だと思っていたもので」
 「最初から2泊の予定だった筈ですけど」
 ミレイユの言葉を聞いて、カルロバはうろたえた表情で宿帳を調べる。
 「すいません、当方の手違いでした・・・お部屋へどうぞ」
 
 カルロバの態度に腑に落ちないものを感じながら、霧香とミレイユは部屋に戻り、ベッドの上に横になっていた。
 「ねぇ、ミレイユ」
 不意に霧香がミレイユに問い掛ける。
 「どうしたの、霧香?」
 「どうして、ウインナーが危ないって判ったの?」
 ミレイユは小さな笑みを浮かべて、霧香の方を見つめた。
 「リサラから皿を受け取った時に気が付いたけど、あのウインナーには小さな穴が綺麗な形で開いていたのよ」
 「でも、どうしてそれが毒だって・・・」
 「ウインナーを焼くと、皮が縮むよね?」
 「うん」
 「もし最初から穴が開いていれば、いびつな形に広がる筈よ」
 霧香はハッとした表情を見せた。ウインナーに開いた穴で、焼いた後の仕込み=毒物の混入を見破るなど、自分には到底思いも付かなかったからである。
 「奴等は焼いたウインナーに注射器で毒を入れ、何も知らないリサラに運ばせた。私達を油断させる為に、前日の食事には何も仕込まなかった。随分手の込んだやり口ね」
 「ぬいぐるみの方は?」
 「あれは単なる偶然。霧香が手を伸ばした時、ぬいぐるみの頭のてっぺんが不自然に光ったのが見えたのよ」
 確かに単なる偶然かもしれない。
 しかし、ミレイユがその偶然に気付かなければ、自分は死んでいた。
 霧香はミレイユの洞察力の鋭さに感心すると共に、ミレイユに対して引け目を感じていた。
 「・・・凄いんだね、ミレイユって」
 「え?」
 「私には仕事の下調べも、色々な罠を見破る事も出来ない。私は単なる足手まといなのかも」
 「違うわ」
 ミレイユは強い口調で、霧香の言葉を遮った。
 「霧香にも私にも、足らないものはあるかもしれない。でも、私達は2人だからこそ、色々な危機や困難を乗り越えて来られたのよ」
 「・・・・・ミレイユ」
 「霧香には何度も助けられているからね。偶には私にもいい格好させてほしいわ」
 ミレイユの言葉を聞いて、霧香の表情に笑みが戻った。
 
☆★☆★☆
 
 同じ頃。
 ホテルの管理人室では、カルロバと2名の地元の男が、目付きの鋭い細身の男とテーブルを挟んで話をしていた。
 「これでは約束の報酬は支払えませんな、カルロバさん」
 リサラはコーヒーを用意して、管理人室のドアを叩こうとする。
 「そんな・・・私はカルボローさんのおっしゃる通りに、あの2人連れの女性客に毒入りの食事を用意したんですよ。しかも、食事は何も知らないリサラに持って行かせたんです。万が一にも気取られる事は無い筈です」
 カルロバの言葉を聞いて、ドアを叩こうとしたリサラの手が止まる。
 (まさか・・・パパが人殺しを企てたなんて・・・)
 リサラはそのまま、壁に背中を当ててカルロバと黒服の話に耳を傾ける。
 「だが、奴等が食事を食べなかったのは事実です。それとも奴等は食事を残さず平らげて、それでも尚ピンピンしているとでも言うのですか?」
 「それは・・・」
 「ま、奴等の動きを報告してくれた事については謝礼を出しましょう。もし今後、あなたが別の手段で奴等を抹殺出来たなら、約束の報酬もお支払いします」
 「でも、一体どうすれば・・・」
 「方法はあなたにお任せします。あの2人を殺せば今後10年は遊んで暮らせる金が手に入る。決して悪い話では無い筈ですよ、カルロバさん」
 リサラはカルロバ達に気付かれぬ様、ゆっくりとその場を後にした。
 
☆★☆★☆
 
 霧香とミレイユは、2人が遭遇した男達の手口から、自分達を襲った敵の正体について議論していた。
 「奴等は常に先手を打って仕掛けて来た。まるで、私達がどう行動するかを予測しているかの様にね」
 「多分、この街の住人みんなが、私達の動きに目を光らせている」
 「あり得ない話ではないわね。余所者は私達2人だけ。住民同士が密に連絡を取れば、私達の居所や行先なんかすぐに割り出せるわ」
 「罠を仕掛けているのは、多分ソルダね」
 「もしくは一部の地元民といった所ね。どちらにせよ、物騒な街である事に変わりはないわ」
 「依頼の件はどうしようか、ミレイユ?」
 「まだ依頼そのものが罠かどうかは判らない。裏が取れるまで退く訳にはいかないわ」
 
 唐突に、入口のドアをノックする音が聞こえる。
 霧香がドアを開けると、コーヒーを持ってリサラが部屋に入って来た。
 「一体どうしたの、リサラ?」
 「・・・2人にお話があるんです」
 
 3人はコーヒーを手に、窓際に置いてあるソファに腰を掛けた。
 「・・・父は・・・・父はあなた達を殺そうとしています」
 「え?」
 ミレイユと霧香は目を丸くして驚く。
 「さっき、父がカルボローという人と話をしているのを聞いてしまったんです。あなた達の食事に毒を入れて、代わりにお金を貰おうと考えていたのです」
 (やはり罠だったわね、霧香)
 (そのようね)
 
 「私は父が怖い・・・どうしてお金なんかの為に、人を殺そうだなんて考えるのかしら・・・」
 ミレイユと霧香はリサラの言葉に胸を突かれた。
 自分達も人を殺す事で日々の糧を得ている。
 殺した人間の数で言えば、カルロバなど全く相手にならないだろう。
 そんな自分達が、どうしてカルロバを非難できるのだろうか?
 沈黙を続けるミレイユと霧香を見て、リサラは何かを懇願する様な表情で言う。
 「私は父に人を殺してほしくないんです。たとえ貧乏でも、父と一緒に暮らせるだけで十分幸せなんです」
 「そうね・・・・好きな人と一緒に居られるのが、一番幸せだものね」
 「父はまた何か仕掛けて来ます。お願いです。危害が及ぶ前に逃げて下さい」
 「判ったわ、リサラ」
 
 リサラが部屋を出ようとしてドアを開けたその時。
 赤々と燃える炎が廊下に広がるのが見えると共に、黒々とした煙が部屋の中に流れ込んで来た。
 リサラは慌ててドアを閉めるが、煙は上下の隙間から少しづつ侵入して来る。
 この火災が決して不慮の事態ではなく、自分達を焼き殺す為の罠だという事を、霧香とミレイユは即座に理解した。
 通常の火事であれば炎の出所は1箇所であり、建物全体に煙が回るにはかなりの時間を要する。
 しかし、リサラが部屋を訪れたのは僅か15分前である。
 複数の場所に同時に火を点けなければ、こんなに早く火が回る事は無い。
 しかも、火災に気付くのが遅れる様に、隣の部屋は発火を遅らせている。
 ホテルごと焼き討ちを仕掛けるという、カルロバの捨て身の策略の前に、霧香とミレイユ、そしてリサラは絶体絶命の危機を向かえていた。
 
 霧香とミレイユは咄嗟に周囲を見回す。
 だが、脱出に使えそうなものは何も無かった。
 霧香とミレイユの旅行鞄にも、それらしきものは入っていない。
 廊下にある筈の消火用ホースも取りに行けない。
 窓から飛び降りようにも、4階の窓から降りれば只事では済まない。
 まさに万事休す、と誰もが思ったその時。
 「これだわ!」
 ミレイユは急いで窓からカーテンを外す。
 防寒の為に非常に厚手になっている上、上部と下部はしっかりと補強されている。
 「霧香、ナイフを!」
 ミレイユは霧香からサバイバルナイフを受け取ると、カーテンの上下方向に互い違いに切れ目を入れる。そして、両端を引っ張ると長さ約20メートルの帯状のロープが出来上がる。
 「まずはリサラからよ」
 ミレイユはリサラの胴体にロープを巻き付けた。
 「私達が下ろしてあげるから、着地したら身体からロープをほどいて私達に合図して。私達は自力で降りられるから、降りたら直ぐに助けを呼びに行って!」
 「はい」
 体重20キロそこそこのリサラを1階まで下ろすのに、さして時間は掛からなかった。
 
 だが、無事に脱出出来たリサラを待ち受けていたのは、怖そうな目付きをした男達だった。
 「困るんだよな、そういう余計な事をされちゃ」
 「?」
 「あの女どもが焼け死ななけりゃ、俺達には一銭も入らない。お前が愛するパパだって、ホテルを失った上に文無しになる。それでもいいのかい、お嬢ちゃん」
 「構いませんわ」
 リサラは年齢に似合わぬ、強い意思を込めた目で男達を見つめる。
 「どんなに苦しくても、父と一緒に頑張るつもりです」
 「ガキの分際で綺麗事ぬかすんじゃねぇ!」
 男の一人が窓から出ていたロープを思い切り引っ張り、部屋からロープを全部引き出してしまった。これで、霧香とミレイユの退路は完全に絶たれてしまった。
 「何て事するんですか!」
 「ヘッ、これでお前の努力も水の泡って訳だ。あの女どもには予定通り焼け死んでもらうぜ」
 それでもリサラは諦めようとしなかった。
 リサラは地に落ちたロープの一端を石に巻き付け、霧香とミレイユが居る部屋に投げ込もうとする。
 
 次の瞬間。
 もう一人の男は隠し持った金属バットで、リサラの後頭部を殴打した。
 石を持ったまま、リサラの小さな身体はその場に倒れた。
 「ケッ、余計な悪足掻きしやがって」
 「おいおい、宿屋のオヤジには何て言えばいいんだ?」
 「フッ、こんな小娘など炎の中に放り込んでしまえばいい。逃げ遅れて炎に巻かれた事にすりゃ、宿屋のオヤジだって諦めが付くだろうよ」
 
 リサラを殴打した男の言葉が終わるや否や。
 霧香とミレイユは4階の窓から、男達目掛けて飛び降りた。
 2人は利き脚を伸ばして男達の肩を蹴る。か細い女性とはいえ、約10メートルの高さから飛び降りれば相当な衝撃となる。
 2人の靴裏から、男達の鎖骨がボキボキと折れる感触が伝わる。
 そして、2人はそれぞれ蹴り倒した男達の脇腹に、膝を立てて着地する。
 今度は2人の膝から、男達の肋骨がボキボキと折れる感触が伝わる。
 「うう・・・痛ぇ・・・助けてくれ・・・・・」
 先程までの威勢はどこへやら、男達は哀願する様な目付きで霧香とミレイユを見つめる。
 霧香は涙を浮かべた怒りの表情で、男の折れた肋骨の辺りを踵で蹴る。
 「ウッ!・・・や、止めてくれ・・・・・」
 「ケダモノの言葉など、私には判らないわ」
 霧香に痛めつけられている男の姿を見て、もうひとりの男が苦しげに言う。
 「俺達が悪かった・・・金ならやる・・・だから助けてくれ・・・・・グワッ!」
 今度はミレイユが涙を浮かべた怒りの表情で、もうひとりの男の折れた鎖骨の辺りを踵で踏みつける。
 「どうしようもなく腐り果てた連中ね。いいわ、そろそろ楽にしてあげる」
 ミレイユはそう言い終わると共に、男の肩を踏みつけた足を引っ込める。
 霧香も男の脇腹を蹴りつけた足を引っ込める。
 男達は一瞬安堵の表情を見せる。
 が、次の瞬間には、この世の終わりを見せられたような絶望の表情に変わった。
 ミレイユと霧香は拳銃を取り出し、男達の目前に突き付けた。
 そして、男達が絶望の淵に立たされた様子を見て、トリガーを引いた。
 
 男達を射殺したミレイユと霧香はリサラの元に駆け寄る。
 ミレイユがリサラの上体を起こすと、リサラの後頭部から大量の鮮血が溢れ出した。
 2人が自分を呼ぶ声が聞こえる。
 リサラは薄目を開け、朦朧とした意識の中でミレイユと霧香の姿を確認した。
 「・・・2人とも助かったのね・・・・・良かっ・・・・」
 言い終えるや否や、リサラの身体が地に落ちる。
 その反動で、リサラのポケットから2枚の1ユーロコインが落ちた。
 ミレイユはその2枚を拾うと、1枚を霧香に手渡した。
 「・・・仕事よ、霧香」
 「・・・判ったわ、ミレイユ」
 ミレイユと霧香は、リサラの両手を胸の前で組ませた。
 
 ミレイユは先程倒した男のポケットを探る。
 カルフール、そしてカルボローを倒す為の足の確保が目的だったのだが、ポケットからは車のキーと共に、敵が連絡に使っている筈の携帯電話が出て来た。
 ミレイユは男の携帯電話をバニティバッグに突っ込むと、霧香と共に男達の車に乗り込み、カルフールが潜む屋敷へと向かった。


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