『真と偽』acte 3


 修道女会には、昔から俗に『ソルダの祝福』と称される儀式が受け継がれていた。
 生後1年以内の嬰児をギリシャに有る修道女会の聖堂に集め、司祭長自らの手で裸の嬰児を聖水で清めるというものである。ただ、近年は司祭長が空位の為、修道女会長が清めの役を担っていた。
 集まって来る嬰児の殆どはソルダの身内の子であったが、中には修道女会の門前に捨てられていた捨て子も居た。
 アルテナはクロエを、自分が拾ってきた捨て子として『ソルダの祝福』を受けさせた。
 
 アルテナはクロエと一緒に荘園で生活を始めた。
 暗殺者教育の拠点が荘園から聖堂へと移った為、荘園に居るのはアルテナとクロエだけだった。
 アルテナはクロエに深い愛情を注いで育てた。
 あるいはこの時が、アルテナにとって一番幸せな時だったのかもしれない。
 
 アルテナはクロエを寝かし付けると、ランゴーニュ写本に書かれたある一節の研究に没頭した。
 ノワール。
 ソルダの誕生と共に生まれ、ソルダの歴史の要所で活躍した2人の処女。
 純粋な心と聖なる刃を持ち、虐げられし者達の為に闘った伝説上の存在。
 世界が業苦に満ちている今こそ、ノワールという存在が必要なのだとアルテナは考えていた。
 
 しかし、アルテナにもどうしても判らない事があった。
 ノワールの有るべき姿とは一体何なのか。
 一体どの様な資質がノワールに必要なのか。
 アルテナは日々、その事を考えていた。
 
☆★☆★☆
 
 3年後。
 アルテナの元に、聖堂から一報が舞い込んで来た。
 コルシカ出身の幼女が史上2人目のオールAをクリアしたという内容だった。
 だが、アルテナは聖堂宛に「経過観察を要す」という主旨の手紙を送った。
 いくらオールAとはいえ、たった1人ではノワールを構成する事は無理というのがその理由だった。
 
 更に翌年の事だった。
 アルテナはクロエに身体能力のランク判定を受けさせた。
 そして驚くべき事に、その年はオールAが2人現れた。
 1人はクロエ。
 もう1人は、日本で拾われた名前の無い幼女だった。
 (これで、オールAが3人・・・)
 アルテナはその日から、ノワール育成の為の計画を練り始めた。
 
 身体能力のランク判定は1回限りではなく、オールB以上の素質を有する者は以後毎年ランク判定を行う事になっていた。
 コルシカの幼女も、クロエも、日本の幼女も、翌年のランク判定でもオールAをクリアした。そればかりか、3人とも様々な能力において、1〜2歳上のAランクに匹敵する能力を見せていた。
 素質という面では、3人の中のどの2人がノワールになっても不思議では無かった。
 
 だが、性格面では3人は全く別の傾向を見せた。
 コルシカの幼女は明るく社交的であった。他の2人より1歳上という事もあるが、両親の躾が良いのか、非常に礼儀正しい面を見せていた。
 日本の幼女はいつも暗い表情をしていた。修道女会が運営する孤児院でも、粗野で攻撃的な性格が災いしてか、いつも周囲から仲間外れにされていた。
 クロエは荘園でアルテナと2人きりで育ったという事もあり、他人との接し方が判らないで戸惑う事が多かった。
 
 コルシカの幼女と日本の幼女の性格を見極めるために、アルテナが1週間ほど3人を預かった時の事だった。
 アルテナは紅茶と共に、10センチ角程度の小振りのパウンドケーキを切らずに持って来た。ケーキの傍らには小振りのナイフが置いてある。
 アルテナは「3人で仲良く分けなさい」と言って部屋を出、ドアの影から3人の様子を見ていた。
 まず、日本の幼女が真っ先にケーキに手を伸ばす。
 クロエもケーキに手を伸ばす。
 2人の手が触れた瞬間、日本の幼女はクロエに掴み掛かる。その表情からは、自分が食べようとしたケーキをクロエに取られてなるものか、という意思がありありと窺える。
 クロエも日本の幼女に掴み掛かられると、半分意地になって日本の幼女と取っ組み合いを始める。
 コルシカの幼女は2人の様子に目を遣ると、ナイフでケーキを5等分して2人に声を掛ける。
 「キリちゃん、クロちゃん。ケーキ切ったよ」
 何時の頃からか、コルシカの幼女は日本の幼女を「キリちゃん」と呼んでいた。キリちゃんという名前が何処から来たのか、アルテナには全く判らなかった。
 日本の幼女も、クロエも、きちんと切り分けられたケーキを見るなり取っ組み合いをやめ、美味しそうにケーキを食べた。コルシカの幼女も、1切れのケーキを美味しそうに食べた。
 3人で3切れのケーキを食べたので、皿の上にはケーキが2切れ残った。
 日本の幼女は2切れのケーキのうちの1切れに真っ先に手を伸ばした。
 クロエは残った1切れに手を伸ばしていいのかどうか、躊躇していた。
 「食べていいのよ、クロちゃん」
 クロエはコルシカの幼女の言葉に安心した表情を見せ、残った1切れを美味しそうに食べた。
 
 アルテナはコルシカの幼女の行動に注目していた。
 普通の子供なら、ケーキを3等分しようと考えるだろう。
 しかし、3等分という大雑把な切り方ではどうしても大小の差が出て来る。決して大きくないケーキなだけに、日本の幼女とクロエは一番大きな1切れを手にしようとして争おうとするだろう。仮に争いが無かったとしても、食欲の旺盛な子供なだけに、3等分した1つでは物足りなく感じるかもしれない。
 そこで、コルシカの幼女はケーキを5つに切り、自分がちょっと食欲を我慢する事で、日本の幼女とクロエの2人の喧嘩を避け、2人とも満足させる様にしたのである。
 アルテナは感心した表情で、そっと部屋のドアを閉めた。
 
 アルテナは自分の部屋に戻ると、再びノワールのあるべき姿を模索していた。
 現在のソルダは、原初ソルダの高潔な理想を見失い、金と権力が組織を支配している。当然、ソルダに虐げられた者も数多く存在するだろう。
 ノワールが虐げられし者達の為に闘う存在ならば、当然ソルダも闘う相手となるべきである。
 『ソルダから独立した、純粋な心と聖なる刃を持つ2人の処女』
 アルテナは『真のノワール』をそう定義した。
 
 では、『真のノワール』となるべき2人は誰か。
 『真のノワール』がソルダから独立した存在である以上、ソルダの支援無しで生きていく能力は絶対に必要である。
 ただ、絶対的な戦闘能力の高さもノワールには必要である。「目障りになったら簡単に消せる」程度の戦闘能力しかないノワールなど、何の役にも立たない。
 戦闘能力を磨く上で最も確実な手段が、修道女会の戦闘訓練である事は自分が一番良く判っている。単に戦闘能力だけが問題となるのなら、3人に同一の訓練を施して、優秀な方の2人をノワールとすれば良い。
 だが、それだけでは、単にソルダに強力な手駒が加わったというだけに過ぎない。
 3本の苗木にどの様な環境を与えるべきか、アルテナは悩んでいた。
 
☆★☆★☆
 
 翌年。
 アルテナはコルシカに足を運び、コルシカの娘・ミレイユの身柄引き渡しの件をブーケ夫妻に打診しに行った。ブーケ夫妻はソルダのメンバーであり、妻・オデットもかつては修道女会の一員であった。
 その日はローランが所用で出払っていたので、アルテナはオデットと会って話をしていた。
 「ミレイユがオールAという事はご存知ですよね、オデットさん」
 「ええ。それが何か」
 「現在、修道女会ではノワールの復活を計画しています。私はミレイユにノワールの1人となるべく、然るべき教育と訓練を施したいと考えているのですが」
 「お断りします」
 オデットは毅然とした態度で言い放った。
 「私もノワールがどの様な存在なのかは十分承知しています。ですが、私にはノワールの復活は、修道女会がソルダの実権を握る為の手段としか考えられないのです。仮に今、ノワールが復活した所で、ソルダの現状を見れば単なる戦力にしかならないのは明らかでしょう。違いますか?」
 オデットの理路整然とした言葉に、アルテナは口をつぐんでしまった。
 オデットがソルダの一員である以上、ノワールを復活させる狙いのひとつがソルダ壊滅にあるという事など、言える筈が無かった。
 「貴方の考えは判りました。今日はこれで失礼させて頂きます」
 アルテナはブーケの屋敷から立ち去った。
 
 荘園へと帰る途中、アルテナはフッと微笑みを浮かべた。
 オデットの言葉から、ノワール育成の為にソルダを利用する方法が思い浮かんだからである。
 まず、3人の中の2人に修道女会の戦闘訓練を受けさせ、残る1人は一般社会の中に放置する。2人に戦闘訓練を受けさせるのは、ノワールがソルダの手先である事を修道女会内部に示す為である。
 ノワールの復活をきっかけに司祭長を自分達の派閥から出せば、修道女会はソルダの覇権を握る事が出来る。それ故、修道女会は全力を挙げてノワールの育成を支援してくれる筈である。
 次に、ノワール復活をソルダ内部で宣言した上で、戦闘訓練を受けた2人の内の1人と一般社会に放置した1人を組ませ、「試練」と称する実戦を課する。
 本質が変わったとはいえ、ソルダは依然として宗教団体である。ノワールが復活して修道女会から司祭長が就任する事になれば、否応無く権力を明渡さねばならぬ。その為、他の派閥は全力でノワールを叩きに来る筈である。
 この「試練」をくぐり抜けた時、『真のノワール』が誕生するとアルテナは考えていた。
 
 では、3人にどの様な役割を担わせたら良いのだろうか?
 一般社会に放置する1人はすぐに決まった。
 周囲に対する敵愾心に満ちている日本の幼女や世間知らずのクロエでは、一般社会の中で1人で生きていくのはまず無理だろう。無論、コルシカの幼女とて1人で生きていくのは厳しい筈だが、ケーキの一件を見た限りでも、日本の幼女やクロエより適応力があるのは間違い無かった。
 
 では、コルシカの幼女と誰を組ませるか?
 戦闘能力という点ではランク判定を行っただけなので、どちらが優れているかは未だ判らなかった。
 そこで、アルテナは「『真のノワール』になる事のリスク」について考えた。
 修道女会の戦闘訓練。
 コルシカの幼女と組ませる為の記憶操作。
 「試練」と称する実戦。
 そのどれもが、普通の少女なら錯乱状態に陥る位に、精神的な負荷が高い事は間違い無かった。たとえそれがオールAの資質を有する者であっても、この3つを全て施せば人格を破壊する可能性は非常に高い。
 
 急に、アルテナの心に恐怖が重くのしかかって来る。
 クロエをコルシカの幼女と組ませるとして、ノワールになる為の精神的負荷にクロエは耐えられるのだろうか?
 もし、自分の事が判らなくなる程、クロエが精神に異常を来したりしたら・・・
 もし、荘園で過ごした楽しい日々を、クロエが忘れてしまったなら・・・
 もし、何らかの理由でクロエが死んでしまったら・・・
 アルテナの中で、理性と母性とが激しく闘っていた。
 
 ・・・結局、アルテナは日本の幼女をコルシカの幼女と組ませる事に決めた。
 
 もしその理由をアルテナに尋ねたなら、アルテナはきっと
 「日本の幼女の方が、クロエより僅かに能力が上だったから」
 と答えるだろう。
 アルテナの中で勝利したのは母性だった。
 だが、『真のノワール』をそんな理由で選ぶなど、アルテナの理性が許さなかった。
 アルテナは理性を封じ込める為に、2人に能力差がある事にして、無理矢理自分を納得させたのである。
 やはり、アルテナもひとりの母親に過ぎなかったのである。


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