『真と偽』acte 2


 アルテナの際立った能力は暗殺の現場でも存分に発揮された。
 アルテナは拳銃・ナイフ・吹き矢などありとあらゆる武器を使いこなしたが、一番使用頻度が高かったのは長さ30センチ程度の針であった。髪の毛の様に細いその針を使うと、蚊に刺された程度の外傷しか残さずに暗殺を成し遂げる事が出来る。ただ、針は取り扱いが極めて難しく、常人に扱わせたのでは皮膚の表面で針が折れ曲がってしまう。
 その針を用いて、アルテナはターゲットの心臓や脳を突いて倒した。針で殺されたターゲットは死因が特定できず、新聞の記事では常にショック死として扱われていた。不謹慎な言い方かもしれないが、正しく神の技という言葉がぴったりと当てはまる程に見事な殺し技だった。
 アルテナに目を付けられたターゲットがことごとく謎の死を遂げた様に見える事から、ソルダ内ではアルテナの事を『死を司る少女』と称する様になった。
 
☆★☆★☆
 
 アルテナが暗殺者として活動を始めて、丁度1年が過ぎたある日の事だった。
 アルテナはソルダと敵対していた組織・香港黒龍会の首領・黒龍を消す為、単身香港へ向かって黒龍が住む屋敷へと潜入した。
 しかし、屋敷の一室ではアルテナを迎え撃つ為に4人の黒服が待ち構えていた。
 香港黒龍会随一の精鋭集団、四龍隊である。
 「この屋敷に単身忍び込むとは、なかなかいい度胸だ」
 「たとえ女とて容赦はせぬ。我々の前に花と散るがいい」
 (そんな・・・私が来る事が事前に判っていたなんて・・・)
 
 ソルダにとって、香港黒龍会は純然たる敵ではなかった。裏社会に暗躍する多くの組織がそうである様に、互いの利害が一致する間は手を組み、互いの利害が相違すれば敵対する。ソルダと香港黒龍会との確執は、偶々互いの利害が相違した期間が長かったというだけに過ぎなかった。
 ソルダ内部では香港黒龍会よりも、むしろアルテナを擁して勢力を伸ばしつつある修道女会の方が大きな脅威だと考えられていた。元々数の上では最大派閥である事から、修道女会の発言権が拡大すれば、ソルダが修道女会に乗っ取られてしまうという危機感が他の派閥にはあった。
 だが、同胞であるアルテナをソルダ内部の人間が殺害する訳にはいかない。
 そこで、最高評議会はアルテナに香港黒龍会の要人の始末を命ずると共に、香港黒龍会の側にも『死を司る少女』アルテナ来襲の情報をリークしたのである。
 
 四龍隊の4人はそれぞれに異なる武器を構えていた。
 日本刀、鎖鎌、ヌンチャク、そしてトンファー。
 防刃服を着込んだ相手にも応戦できる様に、打撃用の武器も取り混ぜた隙の無い構成である。
 アルテナは腰のダガーを左手で抜き、右手の指に2本の投げナイフを挟む。
 しかし、1対4という数の不利に加え、アルテナの武器は四龍隊の武器よりも有効距離が短い。
 アルテナが不利な状況に居るのは傍目にも明らかだった。
 
 優位に立っていた四龍隊が一斉に攻撃を仕掛ける。
 最初に、アルテナの背後から赤龍のヌンチャクが振り下ろされる。
 アルテナは赤龍の動きを読み、振り下ろされたヌンチャクを紙一重でかわす。
 そこに、緑龍操る鎖鎌の分銅が飛ぶ。
 アルテナはダガーのグリップエンドで分銅を叩き落す。
 今度は青龍が日本刀で斬りかかる。
 アルテナはバックステップで刀の間合いから逃れる。
 その隙を狙って、白龍のトンファーがアルテナを殴打しようとする。
 アルテナは回し蹴りを繰り出し、踵でトンファーを蹴り上げた。
 
 「我々四龍隊の一斉攻撃をかわすとは相当の腕前だな」
 「これだけ歯応えのある獲物には、未だかつてお目に掛かった事は無い」
 「だが、この状況でいつまで耐えられるかな?」
 四龍隊の言葉を聞いて、アルテナの表情が険しくなる。
 このまま防戦一方の状況が続けば、体力が消耗した所を突かれてやられてしまうのは目に見えている。
 だが、攻撃を仕掛ければどうしても隙が出来る。
 敵は4人。四龍隊の腕前から察するに、1人を倒しても残る3人にやられてしまう公算が高い。
 一体どうすればいいのか。
 
 四龍隊は再びアルテナに一斉攻撃を仕掛ける。
 アルテナは辛うじて四龍隊の攻撃をかいくぐり、部屋の隅へと逃げた。
 部屋の隅に居れば、四龍隊といえど一斉攻撃は仕掛けられなくなる。一度に相対する人数が絞られれば、攻撃も仕掛け易くなる。
 しかし、逃げ場が少なくなる分、回避行動は極端に取り辛くなる。
 アルテナは回避の不利より、攻撃の利を選んだ。
 
 四龍隊は攻撃を仕掛けてきた。
 赤龍がヌンチャクを振りかざしてアルテナに襲い掛かる。
 アルテナは右手を振り下ろし、ナイフを赤龍の顔面に向けて投げる。
 だが、赤龍は顔面目掛けて飛んで来たナイフを事も無げにかわしてしまう。
 「そんな攻撃にやられるとでも思ってるのか」
 しかし、1本目のナイフは囮だった。
 アルテナは右手を振り上げて2本目のナイフを投げる。
 ナイフはそのまま、ヌンチャクを振り下ろそうとした赤龍の心臓に突き刺さった。
 そして、アルテナは振り上げたままの右手で、ヌンチャクを持った赤龍の左手を受けとめたが・・・
 「ぐわぁっ!」
 アルテナの表情が苦痛に歪む。
 アルテナは赤龍の左腕を止める事には成功したものの、ヌンチャクのもう一方の先端がアルテナの右肘を痛打し、関節を砕いていたのである。
 
 今度は白龍が、アルテナの左側から胴体をなぎ払う様にトンファーを振り回す。
 右腕が使えなくなった以上、左腕をやられては全く勝ち目はなくなる。
 アルテナは敢えて白龍の攻撃を受けながら、白龍の喉元をダガーで切り裂いた。
 「う、ううっ・・・」
 白龍のトンファーはアルテナの左脇腹を痛打していた。アルテナは背中側の筋肉でトンファーの一撃を受けようとして身をよじったが、それでもトンファーの一撃はアルテナの肋骨数本を砕いていた。
 
 緑龍は青龍とアイコンタクトを取ると、アルテナ目掛けて分銅を投げる。
 分銅はアルテナの頭部目掛けて飛んで行く。
 アルテナは左手のダガーで分銅を払い落とそうとするが、緑龍は巧みに鎖をうねらせ、アルテナの左腕に鎖を巻き付けた。
 「フッ、これでもう残った左腕も使えまい。仲間の仇はきっちり討たせてもらうぜ」
 緑龍は鎖を手繰り寄せる。
 アルテナの上半身がよじれ、折れた肋骨と右肘の痛みがアルテナの脳幹を直撃する。
 次の瞬間。
 アルテナは突如として緑龍に突進する。
 ピーンと張っていた鎖が緩む。
 そして、フリーになった左手のダガーを使って、アルテナは緑龍の頚動脈を切り裂いた。
 緑龍は絶命する直前に、鎖鎌の鎌の部分をアルテナの右腿に突き刺した。
 「ああっ!」
 更に、アルテナの背後から青龍の日本刀が一閃する。
 アルテナは左足で床を蹴り、緑龍を倒しながら刃を逃れようとしたが、日本刀の切っ先はアルテナの背中を斜めに切り裂いた。
 「ぐうっ・・・・」
 傷はさほど深くはなかったが、満身創痍のアルテナにとっては十分過ぎるダメージだった。
 アルテナが何とか身を翻して青龍の側を向くと、青龍が日本刀を振り上げるのが見えた。
 「仲間の仇は取らせてもらうぜ」
 アルテナは床に踵を打ち付け、靴の先から仕込みナイフを繰り出した。
 そして、その仕込みナイフで青龍の太腿を突き刺した。
 「ぐおおっ!」
 青龍の顔が苦痛に歪み、注意が逸れた一瞬を突き、アルテナは左手のダガーを投げた。
 ダガーは青龍の心臓に突き刺さった。
 
 アルテナは全身に深いダメージを負いながら、右腿に刺さった鎌を引き抜き、辛うじて立ち上がった。そして、右手の袖に仕込んだ「針」を左手で抜き出して握った。
 そこに、仕立ての良いスーツを着た恰幅の良い男が現れた。
 香港黒龍会の首領・黒龍である。
 「傷だらけになりながら四龍隊を殲滅するとは・・・さすがに『死を司る少女』と呼ばれるだけの事はあるな」
 その時、アルテナはこの襲撃計画がソルダの手で仕組まれたものだと気付いた。
 ソルダ内部の人間以外は誰も知らない筈の『死を司る少女』という二つ名を知っているという事が、この男とソルダとの結び付きを示す何よりの証拠だった。
 黒龍は懐から拳銃を抜き出した。
 「女を殺すのは趣味ではないが、ワシとて長生きしたいからな。潔く消えてもらおう」
 黒龍がトリガーを引くのとほぼ同時に、アルテナは「針」を投げた。
 黒龍が放った銃弾はアルテナの左肩を貫いた。
 「これでもう、お前に反撃する力は残っていない。観念するんだな」
 その言葉を言い終わるや否や、黒龍は後向きに倒れた。
 「針」は黒龍の眉間のやや下に刺さり、頭蓋骨と鼻骨の隙間を突いて黒龍の脳幹を貫いていた。
 アルテナは黒龍の死を確認すると、ボロボロになったその身体を引きずる様にして、屋敷を脱出した。
 それが、暗殺者アルテナの最後の仕事だった。
 
☆★☆★☆
 
 辛うじて修道女会へ逃げ帰ったアルテナは、香港で療養を続けていた。
 背中に受けた青龍の一撃が原因で、アルテナは下半身不随となってしまっていた。
 他の部位に受けた傷も決して浅くはなかった。
 多分完治したとしても、以前の様な身のこなしは望むべくもないだろう。
 アルテナは深く落ち込んでいた。
 10年間、厳しく辛い特訓に耐えてようやく身に付けた力を失ってしまった事もそうだが、同朋だと信じていたソルダのメンバーに裏切られた事が、アルテナにとっては何よりも辛かった。
 
 「どうしたのですか、リベルタさん。そんなに落ち込んでいては美人が台無しですよ」
 病院のベッドで暗い表情を見せているアルテナに、男の医者が声を掛けた。リベルタというのは入院の際にアルテナが用いた偽名だった。
 「翔先生・・・」
 翔周明。
 彼はアルテナの主治医であった。
 翔は12時間にも及ぶ長い手術の末にアルテナを死の淵から救い出し、手術後も懸命にアルテナの看病を続けていた。
 「表に出ましょうか。きっと、気分も晴れると思いますよ」
 
 翔は自らアルテナの車椅子を押して、病院内に作られた遊歩道を散歩した。
 遊歩道の周りには自然のままの草花が生え、池では小さな魚が元気良く飛び跳ねていた。
 「自然というのはとてもいいものですね。草花も魚も、皆自分の命というものを満喫している」
 「・・・・・先生のおっしゃる通りですね。日々思い悩んで暮らしているのは人間だけ。人はもっともっと楽しく生きられる筈です」
 「そうですよ。常に前向きに明るく考えていれば、人生は何が有っても充実したものになるでしょう」
 アルテナは翔の言葉に小さく頷く。
 「貴女に一体何があったのか、どうしてあんなに酷い怪我を負ったのか、それは私の知る由ではありません。だが、私は自分の力の限りを尽くしたつもりです。貴女に早く良くなってほしい。それが私の今の願いです」
 
 その日から、アルテナは翔と一緒に辛く厳しいリハビリを続けた。
 アルテナの両足は、アルテナ自身の頑張りとそれを支える翔の尽力とで、少しずつ動きを取り戻していった。
 リハビリの日々を重ねていく中で、何時の頃からか、アルテナは翔に深い愛情を寄せる様になり、翔もアルテナを段々と好きになっていった。
 
 ・・・それから1年が過ぎた。
 アルテナはすっかり自由に動ける位にまで回復した。以前の様な鋭い身のこなしは出来なくなっていたが、普通に生活する分には何の支障も無かった。
 「よく頑張りましたね。これでもう、貴女の身体はすっかり元通りですよ、リベルタさん」
 「ありがとうございます、翔先生」
 「ただ、経過観察をしたいので、月に一度は診察を受けて下さい」
 
 アルテナが退院してから、アルテナと翔は週末を2人で過ごしていた。
 一緒に公園を散歩したり、一緒に映画を見たり、一緒に食事をしたり・・・
 ごく普通のカップルと同じ様に、アルテナと翔は2人だけの楽しい一時を過ごしていた。
 
 そんな2人の姿を、黒服の男達は苦虫を噛み潰す様な表情で見ていた。
 「アルテナの奴め、黒龍会と闘って死んだのかと思っていたら、偽名を使って街に入り込み、男まで作っていたとはな」
 「我々の裏をかくとは、修道女会もなかなか味な真似をしてくれる」
 「だが、アルテナが生きている以上、修道女会のソルダ乗っ取り計画も存続していると考えねばならぬ。何としてもアルテナを倒さねばならん」
 その会話が終わるや否や、黒服の一人が細長いスーツケースを開き、ライフルを組み立て始めた。
 「何をやっているんだ、ブレフォール」
 「見ての通り、アルテナ殺害の準備ですよ」
 「確かにお前の銃の腕は認めよう。だが、いくら修道女会の者とはいえ、同朋に銃を向けてはならぬ事位、お前も判っているだろう」
 「別にアルテナを狙撃しようとは思っていませんよ。我々が直接手を下さなければ、アルテナがいつどんな形で死のうと構わんでしょう」
 「・・・・・良かろう、お前の好きにするがいい」
 
 ブレフォールは巷を歩くアルテナと翔の位置を確認すると、銃口を道路に向けてトリガーを引いた。
 ライフルの弾丸がトラックの左前輪に命中し、タイヤがバーストする。
 そして、コントロールを失ったトラックはアルテナと翔目掛けて突っ込んで行く。
 「危ない!」
 道路側に居た翔は、咄嗟に人込みに向かってアルテナを突き飛ばした。
 
 次の瞬間、翔の身体はトラックに跳ね飛ばされ、宙を舞って道路に落ちた。
 
 「翔! 翔!! 翔!!!」
 アルテナは翔の元に駆け寄って必死に名前を呼ぶ。
 だが、翔はぴくりとも動かなかった。
 
 トラックはデパートに突っ込んで大破し、炎上した。
 警察官が大勢駆け付け、事故現場にロープを張っていく様子をアルテナは見ていた。
 その時、道路を転がっていたライフルの銃弾がアルテナの視界に入った。
 アルテナは誰かが自分を殺そうとしたという事を即座に理解した。
 ライフルの銃弾はロープを張ろうとした警察官の踵に蹴られて、排水溝へと落ちていった。
 
 アルテナはまたしても、最愛の人を失ってしまった。
 そして、最愛の人を亡き者にした相手に対し、やり場の無い怒りと憎しみを抱えていた。
 相手が誰なのかは判らない。
 だが・・・
 もしその相手がソルダなら、ソルダを滅ぼそう。
 もしその相手が世界なら、世界を滅ぼそう。
 アルテナは翔を失った事で、再び憎しみに身を委ねる決意を固めた。
 
 それから間も無くして、アルテナは荘園へと戻った。
 荘園へ戻って3ヶ月後、アルテナは翔の残した命が自分の中に宿っている事に気付いた。
 そして、ある冬の寒い日に、女の赤ちゃんが生まれた。
 アルテナはその赤ちゃんを「クロエ」と名付けた。
 クロエがアルテナの実子である事は、修道女会のごく一部の人間を除いては誰も知らなかった。


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