『真と偽』acte 4


 コルシカの幼女と日本の幼女を組ませる事に決めたアルテナは、この2人に更なる試練を課す事を思い付いた。
 それは「コルシカの幼女の家族を日本の幼女に殺させる」という、非情極まる内容だった。
 名目上の殺害理由は「ソルダ幹部の命令に反逆した」という事にすれば良い。事実、オデットはミレイユの引き渡しを拒んでいる。
 ノワールが真に純粋な心を持つ存在なら、家族殺しという事実さえも乗り越えられるだろう。
 
 アルテナはその翌日から日本の幼女を預かり、クロエと共に戦闘訓練とノワールの基礎教育を開始した。修道女会の戦闘訓練プログラムは7歳からスタートする為、オールAとはいえ、未だ6歳の日本の幼女とクロエは戦闘訓練を受けられなかったからである。
 戦闘訓練を進めていくと、クロエよりも日本の幼女の方が習得が早いという事が判った。理性を封じ込める為の口実であった筈の2人の能力差が、アルテナの望んでいた形で表面化した事で、アルテナの意識から「クロエ可愛さに『真のノワール』の候補を決めた」という負い目が消え去った。
 クロエが日本の幼女に対して憧れにも似た感情を抱き始めたのも、アルテナにとっては都合が良かった。本来辛いものである筈の戦闘訓練が、クロエにとっては「憧れの人に近付く為の手段」に変わる。つまり、精神的な負担が少ない状態でクロエに戦闘能力を身に付けさせる事が出来るのである。
 
 ・・・そして1年後。
 アルテナは日本の幼女を使って、コルシカの幼女の家族を殺させた。
 クロエは扉の影から日本の幼女の姿を見ていた。
 ノワールとして任務を遂行する日本の幼女は、クロエにとってはヒーローも同然だった。
 
 私も日本の幼女に負けない位の戦闘能力を身に付ける。
 そして、2人でノワールとなって、アルテナの為に活躍するんだ。
 
 日本の幼女への、そしてノワールへの大きな憧れが、クロエの中で大きく膨らんでいた。
 
☆★☆★☆
 
 7歳になった日本の幼女は、聖堂で修道女会の戦闘訓練を受ける事になった。
 クロエは今まで通り、アルテナの下で戦闘訓練を受けていた。
 一緒に戦闘訓練を受け続ける事で日本の幼女とクロエが接近し過ぎて、『真のノワール』実現の障壁となっては元も子もないというのがその理由だった。我が子クロエに精神的な負担を掛けたくないという、アルテナの思惑もあった。
 しかし、アルテナはひとつの大きな過ちを犯していた。
 1年間一緒に戦闘訓練を受けて来た日本の幼女は、クロエにとって憧れの人であり、自分と一緒にノワールとなるべき相手だとクロエは考えていた。
 クロエの中で日本の幼女が占める存在の大きさを、アルテナは見誤っていたのである。
 
 11歳を過ぎた頃から、クロエはアルテナにある質問を投げ掛ける事が多くなった。
 「・・・アルテナ」
 「どうしたのですか、クロエ」
 「私はずっと、あの子と私が『真のノワール』だと信じて、戦闘訓練を受け続けて来ました。でも、最近不安になって仕方が無いのです。本当に私は『真のノワール』なのかと」
 「・・・あなたが不安になる気持ちはよく判ります。ノワールとなる資格を持つ者は2人だけではないのですからね」
 アルテナは視線を落とし、少し考えてから口を開く。
 「・・・仮に私がクロエの事を「あなたは『真のノワール』ですよ」と言えば、あなたは一時的な安心を得るかもしれません。でも、その後に『真と偽』とは何なのかを尋ねられたら、私には言葉が見付からないのです」
 「・・・・・」
 「何が真で何が偽なのか、答えは自分で見つけなければなりません。そして、その答えが見つかったなら、それが正しいものだと信じて行動するしかないのです」
 「・・・私なりに考えてみます」
 
 数日後。
 アルテナの元に1通の報告書が届けられた。
 アルテナがその報告書に目を通している途中、すぐさま別のメッセンジャーがやって来て、アルテナに本部への出頭を要請した。
 その頃、クロエは畑に出て作物の収穫を行っていた。
 アルテナは机の上に報告書を置いたまま、食堂にクロエ宛の書き置きを残して本部へと出掛けていった。
 
 アルテナが部屋を出てから10分と経たずに、クロエが畑から戻って来た。
 クロエは直接アルテナの部屋に寄った。
 「そろそろ食事を作りましょう、アルテナ」
 部屋にはアルテナの姿は無かったが、何故か机の上の蝋燭には火が点っていた。
 クロエはアルテナの部屋を出て、アルテナを探し始めた。
 そして間も無く、食堂に置いてあった書き置きを見つけた。
 (・・・急に出張が入ってしまったのね・・・)
 クロエは少し寂しい表情を見せた。
 
 不意に、クロエはアルテナの部屋の蝋燭の事を思い出した。
 電気の無い荘園では、灯りは外光か炎に頼るしかなかった。
 だが、炎は取り扱いを誤ると火事の原因となる為、長時間外出する時には消しておかなければならない。
 クロエは蝋燭を消す為に、アルテナの机に近づく。
 その時、クロエの目にソルダの報告書の文面が飛び込んで来た。
 
 『アルテナ様
  
  コルシカの娘がパリに入った。
  現在は美容師の家に住み付き、パリ市内の学校へ通っている模様。
  尚、コルシカの娘が戦闘訓練を受けているかどうかは不明であり、継続して調査が必要である。
  
  ソルダ修道女会パリ支部 ルシェル・マルドー』
 
 報告書を読み終えたクロエの口元に、フッと笑みが浮かぶ。
 クロエはそれまでずっと、コルシカの少女が自分や日本の少女と同様に、ソルダの何処かの施設で戦闘訓練を受けているとばかり思っていた。
 だが、報告書から窺い知る限りでは、コルシカの少女はソルダの手を離れ、戦闘訓練を受けているかどうかさえも定かではない。
 そんな状況で、果たしてノワールを名乗る資格があるのだろうか?
 
 クロエはこの日から、自らを『真のノワール』だと信じる事にした。
 ソルダの手で戦闘訓練を受けた自分と日本の少女の2人が『真のノワール』となり得る特別な存在であり、コルシカの少女は最早、世界の何処にでも居る普通の少女に過ぎなかった。
 あるいはアルテナが、自分の為にその様に計らってくれたのかもしれないと、クロエは思っていた。
 
☆★☆★☆
 
 それから3日が過ぎ、本部での仕事を終えたアルテナが荘園へと戻って来た。
 畑で野菜の収穫をしていたクロエは、アルテナの姿を見つけると直ちにアルテナの元に駆け寄った。
 「おかえりなさい、アルテナ」
 「ただいま、クロエ」
 アルテナはクロエの身体を、そっと両手で抱き寄せた。
 
 互いの温もりを確かめ合った後、クロエは目を輝かせて、アルテナの顔を見つめる。
 「私にもようやく判ったのです。『真のノワール』がどのような存在なのか」
 「あなたの考えを聞かせて下さい、クロエ」
 「ソルダの両手として活躍する為に、絶対的な戦闘能力を持った2人の処女(おとめ)。それが私の考える『真のノワール』です」
 「・・・そうですか・・・」
 アルテナは少し失望した表情を見せた。
 クロエは得意げに言葉を続けた。
 「そして、私とあの子・・・ソルダの暗殺者教育を受けたこの2人こそが、『真のノワール』となるべき存在であるという事にも気が付いたのです」
 アルテナは何故か悲しげな表情でクロエを見つめた。
 「・・・どうしたのですか、アルテナ?」
 「今頃になって旅の疲れが出て来た様です。今日はもう休みます」
 「夕食はどうします?」
 「要りません。余りに疲れが酷くて、食欲が湧かないのです」
 「わかりました」
 
 アルテナは自分の部屋に戻り、ネグリジェに着替えた。
 ふと、机の上の蝋燭に視線が落ちる。
 消し忘れていた筈の蝋燭は、部屋を出た時と変わらない長さを保っていた。
 きっと、クロエが消したのだろう。
 寝る前に机の上を片付けようとした時、アルテナはようやく自分の迂闊さに気付いた。
 机の上には修道女会からの報告書がそのまま広げてあった。
 クロエの『真のノワール』についての考えも、この報告書を見て導き出された部分が多分にあるのだろう。
 
 アルテナはクロエが、自分が『偽りのノワール』だと自ら気付く事を密かに期待していた。
 クロエに出来る限り精神的な負担を掛けない様に配慮し、これといった試練を与えなかったのも、クロエに『真のノワール』となってほしくないという願いがあっての事だった。
 クロエが自ら身を引いてくれれば、『真のノワール』の候補は2人に絞られる。
 クロエがノワールではなく、単なる一暗殺者として自分と一緒にここで暮らす様になったとしても、別に何の問題も無い。
 むしろ、その方がクロエにとって、きっと幸福な日々を迎えられた筈である。
 
 考えてみれば、人生の殆どの時間を荘園で過ごし、ソルダ外部の世界を知らないクロエに対して「答えを自分で見つける事」を要求するという、その事自体が誤っていたのかもしれない。
 でも、過ぎた事はもう取り返しが付かない。
 クロエに対して、今更「ノワールの話は聞かなかった事にしてくれ」と言う訳にはいかない。
 アルテナは複雑な思いを抱えたまま、旅の疲れにその身を委ねた。
 
☆★☆★☆
 
 翌朝。
 窓から射し込む朝日を受けて、アルテナは深い眠りから目覚めた。
 不思議な事に、アルテナの中からは迷いは消え失せていた。
 
 時の流れは誰にも止められない。
 人の運命などどこでどう転ぶかも判らない。
 ならば、『真のノワール』についてもクロエの好きにさせてあげよう。
 クロエが自分で見付けた答えなのだから。
 
 そして、もしクロエが倒れるような事があれば、自分も後を追おう。
 誰にも邪魔される事の無い、本当の親子としての生活を得る為に。
 

(おわり)


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