『温泉物語』 acte 3


 襖で3つに仕切られた宴会場の、一番奥の部屋から蛮声と共に大きな物音がする。
 「俺達ナメとんのか、ゴルゥアァー! 早ぇ所女をよこしやがれ!」
 「テメェ等何処かで聞き耳立ててるんだろう? 早くしねえと、このボロ旅館をぶっ潰しちまうぞ!」
 コンパニオンが来ない事に腹を立てたソルダの男達は、掛け軸を破り、置いてあった壷を割り、カラオケセットを床に叩き付けて壊したりしていた。
 凝鹿屋の女将、番頭、そして仲居4人衆は、宴会場の一番手前の部屋で屏風に身を隠しながら、ソルダの横暴振りに気を揉んでいた。
 「私が彼等を説得してみます」
 「いけません梢さん。あんな狂暴な奴等の前に姿を現しては、いい様にいたぶられてしまいます」
 「ですが、私は凝鹿屋の最高責任者として、この旅館を守る義務があります。彼等の横暴をこれ以上見過ごす訳には」
 「絶対駄目よ梢さん。ソルダが素直に話を聞く訳が無い事位、女将である梢さんが一番良く判っているでしょう?」
 「ですが・・・え?」
 女将と仲居達が言い争っている所に、ミレイユと霧香が姿を現した。
 「下がって!ここは危険だわ!」
 「あなた達ではあいつ等にかないっこないわ!」
 ミレイユと霧香は仲居達の言葉に耳を貸さずに、宴会場を3分している襖の内側にバッグを隠すと、互いの瞳を見つめあった。
 (いいわね、霧香)
 (いつでもOKよ、ミレイユ)
 
 ミレイユと霧香は無言のまま、2人で思いきり強く襖を開け放った。
 パァーンという大きな音が宴会場全体に響く。
 突然の物音に驚いたソルダの男達が、反対側の襖を蹴り倒してその姿を現す。
 「ケッ!こんなにイイ女を隠していやがったとはな」
 「勿体付けずにさっさと出せば、旅館を壊されずに済んだのに、馬鹿な連中だぜ」
 (昼間のアロハの同類か。どうやら、銃は使わずに済みそうね)
 ミレイユと霧香は持って来たバッグを一顧だにせず、宴会場の中心に足を踏み出す。
 
 「ああっ!」
 昼間のアロハの男が、霧香とミレイユの姿を見て驚きの声を上げる。
 「コイツ等ですぜ、親方。銀と安を倒したのは」
 「ほう・・・どんな猛者かと思えば、こんなに可愛らしいお嬢様方だったとはな」
 親方と呼ばれた恰幅のいい男が霧香とミレイユを一瞥して言う。細身のミレイユと小柄な霧香に、自分の部下を倒すだけの力があるとは到底思えなかった。
 「だが、このままでは俺達のメンツは丸潰れだ。来い、野郎共!」
 親方が手招きすると、総勢12名の筋肉質な男が宴会場の中心に入って来た。その中には先程倒した銀と安、そして逃走したアロハの男も居る。
 ミレイユは敢えて日本語で言う。
 「これだけ雁首揃えて女2人をいたぶろうとする連中に、メンツなんて物があるのかしら?」
 「何だとぉ!」
 霧香に倒された銀が逆上する。
 「今度こそ、俺達に逆らった事を、その身体でたっぷりと後悔させてやるぜ」
 ミレイユに倒された安が、路地裏と同じ台詞を口走る。
 だが、今度は力づくで押し倒すのではなく、大勢の男の力で嬲り倒そうと考えているらしい。
 (いくわよ、霧香)
 (判ったわ、ミレイユ)
 アイコンタクトと共にミレイユと霧香は左右に別れ、男達の集団を挟み込む体勢を取る。そして、自分から男達の集団に向かっていく。
 男達は立派な体格をしているにも関わらず、力任せに単調な攻撃を仕掛けてくるだけだった。しかも連携が全く取れていないので、同時に攻撃を仕掛けた挙句、仲間を殴ったり蹴ったりする事もしばしばあった。
 (こんな弱っちぃのが、本当にソルダなの?)
 霧香とミレイユは男達の攻撃をかわしながら、顎先、喉元、鳩尾、股間など、様々な急所を鋭く突いて倒していく。あまりにも手並みが鮮やか過ぎて、遊園地のヒーローショーの様なわざとらしさを感じてしまう程であった。
 戦闘開始から僅か1分少々で、12人の男達は全員宴会場の畳の上に倒れていた。
 ミレイユも霧香も息一つ切らしていなかった。
 
 男達を片付けたミレイユと霧香は、宴会場の中央に戻って親方を睨む。
 手下が全員倒されたにも関わらず、親方は余裕綽々といった感じの表情で言う。
 「さすがは凝鹿屋の用心棒、華奢な見掛けとは裏腹になかなかの凄腕だな」
 ミレイユと霧香は顔を見合わせる。
 (私達、いつから用心棒になったのかしら?)
 (判らない・・・でも、目前の敵は倒さなければならないわ)
 親方は隣室の方を向き、大声で用心棒を呼ぶ。
 「出番だ、肉塊山。今日の相手は2人のお嬢様だ」
 隣の部屋から巨大な男がゆっくりと姿を現す。一般的な成人男子の5倍近くはありそうな常識外れの巨体がのし歩く毎に、宴会場全体に地響きにも似た振動が伝わって来る。霧香とミレイユはその威容に思わず息を呑む。
 「果たして横綱より強いこの男に勝てるかな、お嬢様方」
 肉塊山は身長2メートル、体重250キロの巨体を武器に連勝街道を驀進し、入幕後は綱取り確実とまで言われていた力士である。しかし、地方巡業で某人気横綱に汗まみれのタオルを投げつけられた事に腹を立て、勝手に土俵に上がって横綱を張り手一発で倒してしまったのである。
 横綱が三段目の力士に一撃で倒された事が明るみに出れば、相撲協会の沽券に関わると考えた相撲協会の幹部達は、肉塊山を廃業処分として相撲界から追放したのである。
 「丁度凝鹿屋の連中も見ている。動けなくなる程度に痛めつけてやれ」
 「ウッス」
 肉塊山は小さく頷くと、ミレイユの方に襲い掛かっていった。その助平根性丸出しの顔付きから、ミレイユの魅力的な肢体を力づくで我が物にしようという気持ちがありありと伺えた。
 肉塊山の長く太い両腕がミレイユを襲う。肉塊山はその巨体に似合わない素早い動きと圧倒的なリーチの長さを武器に、ミレイユを壁際に追い詰めた。
 (このままではやられる・・・でも、この巨体に普通の攻撃は通用しない・・・ならば・・・)
 ミレイユは姿勢を低く取り、肉塊山がミレイユを捕まえようとして伸ばした左手を紙一重でかわすと、肉塊山の懐に飛び込みながら股間に強烈な蹴りを見舞った。いかに肉塊山と言えど、筋肉や脂肪で守られている訳ではなく、鍛錬する事も不可能な「急所」への攻撃には耐えられない筈である。
 
 だが、肉塊山はミレイユの必殺の一撃にも全く動じた様子を見せなかった。
 「ん〜、何ともこそばゆい蹴りよのぉ」
 相撲取りは立合い時の激突から急所を保護する為、睾丸を体内に収めるという特技を身に付けているのだが、ミレイユはそんな事は全く知らなかった。
 (嘘・・・何で効かないの?)
 愕然とするミレイユの一瞬の隙を突いて、肉塊山は股間にヒットしたミレイユの右足首を右手で掴み、そのまま右腕全体を身体の前に突き出してミレイユを逆さ吊りにした。着物がめくれ上がり、ミレイユの下着が露わになる。
 (しまった!)
 身体の自由を奪われてしまっては、どうあがいてもミレイユに勝ち目は無い。
 ミレイユは残った左脚で肉塊山の右手を蹴ろうとするが、今度は左手で蹴りを受け止められてしまう。ミレイユの両足首を握った肉塊山は、ミレイユを逆さ吊りにしたまま両腕を横に開く。圧倒的な体力差を利用した股裂き攻撃。肉塊山の怪力と自分の体重とで、3方向からの力を受けたミレイユの股関節が悲鳴を上げる。
 「う、ああっ・・・」
 あまりの苦痛に顔を歪め、涙を浮かべるミレイユ。
 下着も露出したままだが、そんな事を気にしていられる状況ではない。
 「フッフッフ、いい眺めよのぉ〜」
 苦悶の表情を浮かべるミレイユの姿を、肉塊山はイヤらしい目付きで眺め回す。
 
 突然、肉塊山の左腕に電撃にも似た痺れが走った。
 肉塊山の隙を窺っていた霧香が、中指の関節を立てた拳で肉塊山の左肘裏の腱を突いたのである。
 肉塊山はミレイユの左足首を離すと、痺れたままの左腕で霧香に突っ張りをかます。バックステップで難を逃れようとする霧香だったが、一瞬早く肉塊山の左手が霧香の左肩を突き、霧香はバランスを崩して畳の上を転がる。
 その攻撃で生まれた隙を突いて、ミレイユは畳に両手を着いて肉塊山の右手の腱を踵で蹴る。更なる苦痛に耐えかねた肉塊山がミレイユの右足首を離すと、ミレイユはそのままの姿勢で側転し、霧香の居る側へと逃れた。
 (大丈夫、ミレイユ?)
 (何とかね。でも、想像以上に手強いわ、コイツ)
 殺しを生業とする霧香とミレイユにとって、「殺さずに倒す」というのはなかなかの難題である。拳銃が使えれば肉塊山など屁でもない相手だが、さすがに女将や仲居が見ている前で発砲する訳にはいかない。体力的な不利を承知の上で、肉弾戦を仕掛けて倒すしかないのである。
 でも、一体どうやってこんな巨漢を倒したら良いのか?
 
 両手の痺れが消えた肉塊山が霧香とミレイユの側に向き直る。
 霧香は咄嗟にミレイユの陰に隠れる。何か攻撃手段を思い付いたのだろう。ミレイユは霧香に視線を送り、アイコンタクトで作戦を確認する。
 肉塊山が再び2人に近付こうとして、のしのしと歩き始めたその時。
 霧香はミレイユの背後からダッシュすると、ミレイユの両肩に手を着いてジャンプし、肉塊山の頭部目掛けて飛び蹴りを仕掛ける。
 肉塊山は咄嗟に身体を左に傾け、霧香の飛び蹴りをかわす。
 一見、霧香の飛び蹴りは不発に終わったかに見えた。
 しかし、霧香は肉塊山の頭部右脇を通過する瞬間に、咄嗟に右手を出して肉塊山の顔面を捉え、後頭部にとり付いた。
 「クッ、小癪な真似をしおって」
 肉塊山が自らの視界を塞いでいる霧香の右手を払いのけたその時。
 ミレイユの飛び蹴りが肉塊山の喉元に炸裂する。
 「ぐはっ!」という苦しげな声と共に、肉塊山は霧香に飛び付かれたままの姿勢で後に倒れる。
 霧香は肉塊山の頭の後ろで身体を丸める。
 ドターン!
 宴会場全体を揺るがす大きな地響きと共に、白目を剥き、口から泡を出して肉塊山が倒れる。
 霧香の左膝は肉塊山の延髄を直撃していた。
 いかに屈強な大男でも、自分の体重に加え、霧香の体重までも延髄にモロに受けてはひとたまりもない。暫くは立ち上がる事さえ不可能だろう。
 霧香とミレイユはゆっくりと立ち上がり、戦闘で乱れた着物を正しながら親方を睨む。
 最強の用心棒をも倒した2人の少女に、闘いを挑む勇気は親方には無かった。
 親方は浴衣姿のまま、旅館からひとり逃走した。
 
 唐突に、カメラのフラッシュが霧香とミレイユに浴びせられる。
 撮影していたのは凝鹿屋の番頭だった。番頭は霧香とミレイユにやられて気絶している手下や肉塊山の写真を撮影して回っていた。
 そして、女将が霧香とミレイユの前に姿を現した。
 「まさか、あなた方がソルダを撃退してくれるとは、夢にも思っていませんでした」
 「コイツ等が・・・ソルダ?」
 「ええ。『反田組』という地元の土建屋なのです」
 女将の言葉を聞いて、ミレイユと霧香は目を丸くする。
 「最近の不況の煽りを受け、仕事が減って困っていた彼等はある温泉旅館で集会を開いたのです。そして、酒が入った彼等は酔いに任せて温泉旅館の中を荒らして回ったのです。その時、警察が乱痴気騒ぎで事を収めてしまったのに味をしめ、彼等はソルダを自称してこの街でやりたい放題の事をやっていたのです」
 
 それから少しして、警察官が大挙してやって来た。
 前々からソルダの暴挙に手を焼いていた駐在さんの尽力で、単なる乱痴気騒ぎで済ませないよう、ちゃんと県警が動いてくれた様だ。
 親方を除く13人が綺麗にのされている様子を見て、県警の人は目を丸くする。
 「こんなの初めて見ましたよ。これといった外傷も無しに、全員気絶しているとは・・・一体誰がこんな真似を?」
 「それはこのお嬢」
 「・・・いえ、仲間割れですわ」
 事情聴取に来た警察官に、霧香とミレイユの快挙を説明しようとする番頭を手で制して女将は言った。
 ソルダの連中も、自分達が2人の少女に倒されたなどとは恥ずかしくて口に出せないだろう。
 「そうでしょうね。失礼な言い方かもしれませんが、我々もあなた方にこの男達が倒せるとは思えません」
 そのやり取りを見て、霧香とミレイユはくすっと笑う。
 女将もまた、口元を隠してくすっと笑った。
 
 警察がソルダの連中を連行した後、ミレイユと霧香、そして旅館スタッフ一同で宴会を開いた。ソルダ打倒という悲願を達成できたからか、普通の夕食よりも遥かに豪華な食事が並べられた。
 霧香とミレイユがその華奢な外見にも関わらず、驚異的な強さを見せた事に皆の質問は集中したが、○×流護身術とかいう適当な名前を引き合いに出して誤魔化しておいた。
 霧香とミレイユは久々に、大勢の人間に囲まれた楽しい一時を過ごした。
 
☆★☆★☆
 
 クロエは天井裏に潜んでこっそりと霧香とミレイユの戦闘を眺めていた。そして、霧香とミレイユが肉塊山を倒したのを見届けて、巴里屋へと戻って行った。
 しかし、クロエが巴里屋に着いた頃には、既に食事の時間は終了していた。近隣の店もことごとく閉店していたので、クロエが空腹を満たす手段は無かった。
 (やっぱり面白い子でした。あの子も、あの子のお友達も。
  でも、とてもお腹が空いてしまいました(;o;))
 
☆★☆★☆
 
 翌朝。
 女将と番頭、そして仲居達に見送られて、霧香とミレイユは凝鹿屋を発った。
 「いろいろあったけど面白かったね、ミレイユ」
 「そうね。あの相撲取りに両足掴まれた時には、どうなるかと思ったけどね」
 「・・・身体、痛まない?」
 「心配しないでも大丈夫よ」
 「しかし、とんだソルダ違いだったね」
 「本物のソルダも、あんなに簡単に倒れてくれれば、私達も苦労しないのにね」
 そして、ミレイユはアクセルを少し強めに踏み込んだ。
 
 
 
 とある温泉街を、2人の女性を乗せて真っ赤なオープンカーが走る。
 運転するのは、ハニーブロンドのロングヘアが目に鮮やかなグラマラスな美女。
 隣に乗るのは、未だ表情にあどけなさの残る黒いショートヘアの少女。
 この2人の正体を、この街に住む者は誰一人として知らない。
 ・・・が、ソルダ打倒を果たした英雄として、その存在はこの街に住む者全員に知れ渡っていた。
 

(おわり)


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