『温泉物語』 acte 2


 アロハの男達を撃退し、霧香とミレイユは旅館に戻って来た。
 「・・・変ね」
 「え? 何が?」
 「あの『本日のご宿泊』とかいうのが無くなっているわ」
 旅館に到着した時に宿泊客の名前が書いてあった黒い板は、全てただの黒い板に取り替えられていた。
 玄関に入ると、女将が申し訳無さそうな顔をして霧香達を待っていた。心なしか、従業員達も皆暗い顔をしている。
 「何か有ったんですか、女将さん」
 「誠に申し訳ありませんが、私の部屋に来て頂けますでしょうか」
 
 女将は自分の部屋に霧香とミレイユを招き入れた。
 「今日はソルダが来るので、他の宿泊客には別の旅館を手配したのですが、あなた達の宿泊だけはどうしても手配出来ませんでした」
 「どういう事ですか?」
 「月に何回か、ソルダの連中はこの近辺の旅館にやって来て、宴席を設ける事を強要するのです。先日も私どもの所にソルダが来て、宴会場でコンパニオンや女性客に破廉恥な行為をした上に、止めに入った従業員や男性客に乱暴を働いたのです」
 「警察はどうしているのかしら」
 「地元の駐在さんは60近いお爺さんで、とてもソルダには太刀打ちできません。県の警察も、酒に酔った上での乱痴気騒ぎだという事で、全然相手にしてくれないのです」
 「・・・なるほど。それで他の宿泊客を引き取ってもらったという訳ね」
 「はい。ですが・・・」
 「『外国人客は扱いが面倒だから』でしょ?」
 ミレイユに図星を指されて、女将はうろたえた表情を見せる。
 「他の宿泊客は何処の旅館も快く引き取ってくれたのですが、ミレイユさんの名前を持ち出すと「ウチにはフランス語なんて解る人は居ない」「外人さんに何を出したらいいのか判らない」とか言われまして・・・誠にお恥ずかしい限りです」
 「ま、仕方ないわね。私が外国人客なのは事実なんだし」
 ミレイユにとっては、日本語も日本の食事も全然問題は無かったのだが、「外国人だから」という理由で何処の旅館でも宿泊を断られ、結局、凝鹿屋だけが快く受け入れてくれたという経緯から、この街の旅館には外国人コンプレックスがある事を知っていたのである。
 「別にここに泊めて頂ければ、私達はそれで構わないわ」
 「私共としても宿泊客を危険な目に遭わせる訳にはいかないので、本日は表向きは誰も宿泊していない事にしております。そんな訳で、誠に申し訳ありませんが、本日はこの部屋を使って下さい。そして、表に出る時はウチの仲居と同じ格好をして下さい」
 女将はそう言うと、仲居の着物を2人分持って来た。
 「ウチの仲居には、同じ格好をしている宿泊客が居る事を伝えてあります。もし万が一ソルダの連中に見付かったら、即座に私を呼んで下さい」
 
 やがて、黒塗りの大型セダンが凝鹿屋の前に到着する。
 「今日はワシ等の貸し切りという事か。まあええ、綺麗な姉ちゃんさえ居ればな」
 セダンから出て来た人相の悪い男が、何も書いていない宿泊客一覧を見て言う。
 その男の元に、先程のセンスの悪いアロハを着た2人がやって来た。
 「親方っ! 銀と安が正体不明の2人組にやられました」
 「・・・この街にもまだ俺達に逆らおうって奴が居たのか。で、そいつ等の特徴は?」
 「金髪とチビの女2人で、2人とも凝鹿屋の浴衣を着ていました」
 「しかし、銀と安が女に倒されるとは・・・」
 「あいつ等はただの女じゃありません。銀と安を一撃づつで倒した化け物です。ひょっとすると、凝鹿屋が我々を撃退する為に雇った用心棒かもしれません」
 親方は手下の言葉から、男勝りの筋骨隆々とした身体付きの、まるでゴリラの様な女の姿を想像した。
 「フム、止むを得ん・・・こちらも用心棒を呼んでおくか」
 「あの化け物をですか?」
 「そうだ。化け物を倒すには、同じ化け物に登場してもらうより他にあるまい」
 
 その頃、霧香とミレイユは女将の部屋で渋茶をすすりながらグチをこぼしていた。もっとも、グチをこぼしているのはミレイユだけで、霧香は専ら聞き役に回っていた。
 「車は故障する、変な奴等は出て来る、そして部屋まで追い出される・・・一体どうなっているのよ!」
 「あまり気にしない方がいいわ、ミレイユ」
 「折角の旅行なのに散々な目に遭わされて、あんたは悔しくないの?」
 「・・・だって、しょうがないじゃない」
 妙に冷静な霧香の言葉を聞いて、ミレイユは一人でグチをこぼしているのが馬鹿馬鹿しくなった。
 「・・・そうね。イライラしたって始まらないわね」
 ミレイユの表情に笑みが戻り、霧香も嬉しそうな表情を見せる。
 「夕食までは未だ間があるし、もう一度温泉にでも入りましょうか」
 「そうだね」
 
 天井裏で霧香とミレイユのやり取りを聞いていたクロエは、風呂場へと先回りして男湯と女湯の暖簾を入れ替えた。
 「あれ、さっきとは男湯と女湯が逆になってるわね」
 「時々あるのよ。気にしない方がいいわ」
 霧香とミレイユが「男湯」に入ったのを見計らって、クロエは再び男湯と女湯の暖簾を入れ替えた。そして、アロハの若い衆がたむろする大部屋へ行き、入口の扉をノックする。
 「何だぁ、仲居なんぞに用は無えぞ!」
 クロエは姿を見せないようにして、妙に皺がれた声で言った。
 「今男湯へ行くと面白いものが見られます。騙されたと思って足を運んでみて下さい」
 アロハの若い衆が入口を開けると、そこには誰も居なかった。
 「一体何なんだ、今のババアの声は」
 「まあいいや。丁度退屈していた所だし、いっちょ誘いに乗ってやるか」
 アロハの若い衆がゾロゾロと部屋から出て男湯へと向かう。
 
 丁度その頃、霧香とミレイユは身体を洗い終え、ゆっくり内風呂に浸かっていた。
 「左右対称なだけでさっきの所と何も変わらないわね。どうして暖簾が入れ替わっていたのかしら」
 「判らない・・・でも、あまり考えてもしょうがないわ」
 
 次の瞬間、霧香とミレイユは目を丸くして驚いた。
 アロハを来た男達が、大挙して浴室に入って来たのだ!
 「おおっ、女が居るぞ!」
 「あのババアも粋な事するなぁ」
 「男湯で待っているって事は、きっと俺達の好きにしていいって事だろうよ」
 霧香とミレイユは一瞬顔を見合わせる。
 (男湯って、どういう事?)
 (誰の悪戯かは判らないけど、ハメられたのよ、私達)
 アロハの男達は欲望に目をギラつかせて、裸のまま抱き合って互いの身体を隠している霧香とミレイユをジロジロと見つめる。
 躊躇している暇は無い。
 霧香とミレイユは男達に背を向け、露天風呂へと逃走する。
 男達は浴室内でアロハやズボン、更にはパンツまで脱いで露天風呂に入っていく。
 とりあえずは露天風呂の奥の木戸の所まで逃げた霧香とミレイユだったが、このままでは男達に見付かるのは時間の問題である。
 決して素手で倒せない相手ではなさそうだが、ミレイユも霧香も、裸を見せて闘うのはさすがに恥ずかしくて出来なかった。しかも今は身動きの取り辛い湯の中に居る。もし万が一捕まったなら、腕力に勝る男達にいい様に嬲られるのは目に見えている。
 男達の影がすぐ近くまで迫ったその時。
 「ここから脱出できるわ、ミレイユ!」
 仕切りとなっている木戸を潜って女湯側へ行ける事に、霧香が気付いたのである。
 霧香とミレイユはすかさず木戸を潜り、男達に見付かる寸前で難を逃れた。
 
 しかし、木戸を潜って女湯で息を潜めているうち、霧香が妙に自分にすがり付いて来る事にミレイユは気付いた。
 「どうしたの、霧香?」
 「ミレイユ・・・だるいの・・・身体が・・・・とても・・・・・」
 霧香は普段以上にトロ〜ンとした、倦怠感に満ち溢れた目でミレイユを見つめる。
 そして、霧香はミレイユにすがり付いたまま失神してしまった。
 (まさか、奴等の罠?)
 ミレイユは湯の中に滑り落ちそうになる霧香の身体を必死の思いで抱いていたが、次第にミレイユ自身も身体がだるくなっていくのを感じていた。
 (逃げなきゃ・・・逃げなきゃ・・・・逃げ・・・・・)
 そして、ミレイユも霧香と抱き合ったままの姿勢で失神してしまった。
 
 
 
 ・・・ミレイユが薄目を開けると、大小2本の蛍光灯のリング管がぼんやりと視界に入って来た。
 どうやらここは露天風呂ではないようだ。
 だとしたら、何処?
 意識が戻って来ると共に、視界も段々と明確になっていく。
 周囲を見渡すと、見覚えのある顔が並んでいた。
 「ようやく気付いたようだね、ミレイユちゃん」
 先程風呂場で出会った4人組の大柄な女性が、仲居の着物を着てホッとした表情で眺めていた。
 「風呂場の掃除に入ったら、あなたと霧香ちゃんが露天風呂でぐったりしているのを見て、あたしゃ心臓が止まるかと思ったわよ」
 「それで、あたし達凝鹿屋仲居4人衆が、あなた達をここに運んだって訳」
 意識が完全に戻った所で、ミレイユは上半身を起こして自分の姿を見る。生まれたままの姿でバスタオルを敷いた上に横になり、身体の上にバスタオルを2枚掛けられていた事が判った。
 「あなた達の着物や下着も持って来たわ。誰かが暖簾を悪戯して、間違って男湯の方に入ってしまったみたいね」
 「霧香は?」
 「まだ気を失ってるよ。余程湯当たりが堪えたんだろうね」
 ふと隣に目をやると、霧香がようやく目覚めようとしていた所だった。
 「ここはあたし達仲居の控え室だから、ずっと横になっていても大丈夫よ。あたし達はこれから宴会場へ行くけどね」
 仲居達は気が重そうな顔をして、控え室を後にした。
 
 それから少しして、ようやく霧香が目覚めた。
 「ミレイユ・・・私達、どうしちゃったのかしら・・・」
 「誰かにハメられて男湯に誘い込まれ、追っ手を逃れて女湯に逃げ込んだ所で私達は気を失い、仲居さん達に救出されたって訳。きっとソルダの仕業だと思うけど、随分セコイ手を使うものね」
 「誰かがソルダの名を騙っているかもしれないわ」
 「そうね。もし本物のソルダがやったとしたら、相当みみっちぃ奴の仕業ね」
 (みみっちくて悪かったわね o(-”-;)
 霧香とミレイユの様子を天井から見ていたクロエは、額に青筋を立てながら右の拳を震わせていた。本当なら控え室に下りてミレイユを一発殴ってやりたい所だが、アルテナの厳命が下っている以上、悔しさを我慢するより他になかった。
 
 ふと耳を澄ますと、宴会場の方でガシャガシャ、ドタドタという響きと共に何かが割れる音がした。どうやらソルダが暴れている様である。
 「ねぇ、ミレイユ」
 不意に霧香がミレイユに問い掛ける。
 「皆いい人ね・・・女将さんも、仲居さん達も」
 「そうね・・・」
 ミレイユは霧香の瞳を見て、霧香が何を思っているのかを即座に理解した。
 「仲居さん達に借りを返さないといけないわね」
 「うん」
 2人は下着と着物を身に纏うと、女将の居室に戻った。
 そして、ミレイユは愛用のバニティバッグを、霧香は旅行用の大きめのポーチを持って、宴会場へと向かった。


Home Top Prev Next