ミレイユは狂乱状態に陥っていた。
高層ビルの警備室で受けたマインド・コントロールに耐えられなかった事。
自分の手で霧香を殺した事。
そのどちらもが、ミレイユにとっては受け容れ難い事実だった。
ミレイユは暫く泣き叫んだ後、涙顔で周囲を見渡す。
そして、何故窓際に放置してあるか判らない自分の拳銃を拾い、自分のこめかみに当ててトリガーを引く。
カシャン。
残弾の無い拳銃は、ストライカーの音を空しく響かせたのみであった。
ゲホッ・・・
ゲホゲホッ・・・
小さな咳と共に、霧香の小さな身体が微動する。
瞼を開いて目の前に掌を出すと、ぼやけていた掌が徐々に結像する。
どうやら、ギリギリの所で生き長らえる事が出来たらしい。
霧香は自分の頬を叩いて気合を入れ直した。
ミレイユは拳銃をその場に置くと、周囲に飛び散っていたガラスの破片から一番鋭いものを拾い、目の前で両手で握った。
そして、ガラスの破片で頚動脈を切ろうとしたその時だった。
「やめてミレイユ!一体どうしたのよ!」
霧香は咄嗟に飛び起きて、ガラスを握ったミレイユの両腕を必死に制止する。
「止めないで!私に生きている価値なんか無いのよ!」
ミレイユの狂乱状態は未だに続いていた。目の前で自殺を制止したのが霧香だという事にさえ、ミレイユは気が付いていなかった。
パァン!
フロア全体に大きな音が鳴り響く。
ミレイユの様子を見かねた霧香が、ミレイユの頬を平手で強く打ったのである。
ミレイユは一瞬呆気に取られた表情をすると、ようやく目の前に居る人物が霧香だという事に気が付いた。
「き、霧香!」
「良かった・・・・ようやく元に戻れたのね」
霧香の表情から安堵の笑みがこぼれた。
☆★☆★☆
霧香とミレイユはそれぞれに自分の銃を拾い、隠しポケットに詰めてあった予備の弾丸をマガジンに込め始めた。
「・・・・・私が7歳になったばかりの、ある日の事だった」
不意に、霧香がポツリと呟く。
「コルシカへ向かう船に乗った私は、一筋の光も差さず、一切の音が聞こえない小さな部屋に閉じ込められた」
「えっ?」
霧香の口から生まれ故郷の名前が出た事に、ミレイユは戸惑いを隠せなかった。
「そして暫くすると、得体の知れない何かが私を襲った。脳全体を揺さぶられる様な不快感と、心臓が破れそうな位の恐怖感を、私は感じていた」
「・・・・・」
「やがて、暗闇の中に女の人が現れた。誰なのかは判らないけど、見覚えのある顔だった。その人は私に『敵を討ってくれ』と哀願したの」
「・・・・・」
「船がコルシカに着いた時、私はその小さな部屋から表に出された・・・そして、ブーケの屋敷へと連れられた私は、アルテナからこの銃を受け取り・・・『この扉の向こうに、あなたが務めを果たすべき相手が居ます』と言われた・・・」
霧香の声が段々と震え、その瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「・・・そして・・・・・私は・・・・取り返しの付かない事を・・・・・ううっ・・・・」
とうとう霧香は泣き出してしまった。
ミレイユは霧香の身体をそっと抱き寄せ、囁くような優しい声で言う。
「私もさっき、昔の霧香と同じ事をやられたわ」
「えっ?」
「『闇』を垣間見た今だから判る。霧香が今までずっと、自分ではどうしようもない痛ましい記憶を抱えて生きてきた事が」
「ミレイユ・・・・・」
「でも、どんなに辛い事だって、必ず乗り越えられると私は信じている。あの恐ろしい『闇』でさえもね」
「・・・・・そうだね」
「さて」
何気ない一言と共に、ミレイユの表情が引き締まる。
「『闇』を仕掛けて来た連中はまだ何処かに潜んでいる筈よ。奴等を倒さない限り、この戦闘は終わらないわ」
「判ったわ」
霧香も戦闘に赴く時の凛とした表情になっていた。
階段の方から、数多くの足音が響いて来る。
フロアの入口は1箇所しかない。入口を押さえられたら、見晴らしの良いこのフロアで不利を承知で闘わなければならない。
ミレイユは窓の外に視線を送ると、植木の手入れの時に使う白手袋をはめ、ワルサーを握り直した。
霧香も白手袋をはめ、ベレッタを握り直した。
そして、2人は入口がよく見える窓際に立った。
☆★☆★☆
それから間も無くして、入口のドアの隙間からサブマシンガンの銃弾が乱射された。
霧香とミレイユは銃弾を避ける為、床に這う様な姿勢を取った。
その隙に乗じて、サブマシンガンを構えた修道女達が、両開きの入口のドアからフロアに入って来た。霧香とミレイユは咄嗟に立ち上がるが、迎撃体制を取る余裕は無かった。
そして、8人の修道女達の真ん中から、ベルレーヌが姿を現した。
「まさか、2人とも生きていたとは・・・私の計算を狂わせるとは、さすがはノワールですね」
「ベルレーヌ!」
霧香が一際高い声で叫んだ。
「知っているの、霧香?」
「この女が私の心の中に『闇』を植え付けた張本人よ」
ミレイユはハッとした表情を見せた。恐らくこの女が、高層ビルの警備室で自分にマインド・コントロールを仕掛けて来たのだろう。
「随分昔の事なのに、よく覚えていましたね。でも、この場で死んでいく貴方達には、私の名前など何の役にも立たないでしょう」
ベルレーヌが言い終わると共に、修道女達はサブマシンガンの銃口を霧香とミレイユに向ける。
ミレイユは後ずさりながら窓際に身を寄せる。
霧香もまた、後ずさりながら窓際に身を寄せる。
「この状況下では万に一つも勝ち目が無い事位、貴方達ならよくお判りの筈です。大人しく観念なさい」
「あんたには悪いけど、私達は自分の死に方は自分で決める事にしているわ」
ミレイユは不敵な表情でベルレーヌに言い放つ。
「そうですか」
ベルレーヌが右手を高々と掲げ、その手を振り下ろした瞬間。
霧香とミレイユは窓の外に身を投じた。