『血に飢えた孤独』 acte 2


 ミレイユが村に引っ越して来てから1ヶ月が過ぎた。
 例の馬鹿な男子達に対しては、ミレイユは徹底的に無視する事にした。時には無理矢理サンドイッチを口の中に押し込められたり、ミレイユが牛乳を飲んだ瞬間に背後から喉を突くなどといったイジメもあったが、ミレイユは必死に耐え続けた。勝ち目の無い闘いを挑んで無様にやられるより、どんなに苦しめられても「所詮馬鹿のやる事だから」と割り切ってしまった方が、ミレイユにとっては気が楽だったからである。
 最初のうちはミレイユの悶え苦しむ表情を見て喜んでいた男子達も、イジメの現場を先生に見付かり、大目玉を食らってからはすっかり鳴りを潜めた。中にはミレイユに対するイジメの事を父親に知られ、物置に放り込まれて2日間飲まず食わずの状態で過ごした子も居たという。
 
 それでも、ミレイユはクラスメイトの誰とも馴染めなかった。
 昼休みの間、ミレイユはそそくさと食事を終えると、直ちに図書室へ行って本を読みふけっていた。
 ミレイユにとって、授業の時間は退屈以外の何物でもなかった。授業の進み方も授業のレベルも、コルシカに居た頃の方が格段に上だった。テストの時間も、ミレイユは10分間で答案を書き上げると、後はボーっとしている事が多かった。下手に満点を取って注目を浴びるのが嫌だったので、適度に難しい問題にはいいかげんな答えを書いておいた。
 ミレイユにとっては図書室の本が先生であり、友達であった。自分の知らない事を色々と教えてくれるし、楽しい気分にもさせてくれる。クラスメイトと一緒に居る時よりも、図書室で本を読んでいる時の方が、ミレイユにとっては遥かに充実した時間だった。
 
 ミレイユは学校が終わると、夕食の材料を買って別荘へと帰っていく。
 そして、ひとりで夕食を作ってクロードの帰りを待つのがミレイユの日課だった。
 最初はクロードに夕食の作り方を教わっていたミレイユだったが、段々と調理ナイフ等の扱いにも慣れ、本で知った料理の方法を自分で試す様になった。時にはまずくて食べられないものを作ってしまう事もあったが、それでもミレイユの料理の腕は日に日に上達していった。
 学校には以前と同様に粗末なサンドイッチを作って持って行った。最初の頃と比べると味は格段に良くなったが、見てくれの方は相変わらずだった。例えそれが料理の腕であっても、男子達には知られたくなかったので、わざと不味そうな外見にしていたのである。
 
 その日もミレイユは、夕食の材料を手に別荘へと帰宅した。
 クロードは日中はパリのオフィスで過ごすので、帰宅は日が落ちてからになる事が多かった。しかし、今日はまだ午後3時なのに、玄関先に車が停まっている。
 (あれ・・・叔父さん帰って来てる・・・)
 ミレイユは玄関を開けて別荘に入る。
 「ただいま、叔父さん」
 「お帰り、ミレイユ。今日はミレイユに重要な話があるんだ」
 クロードはいつに無く真剣な表情で言う。
 買い物袋を眺め、キッチンへ行こうとしたミレイユをクロードが制止する。
 「そんなものはいい。こっちに来て、俺の話を聞いてほしい」
 ミレイユは買い物袋を手にしたまま、クロードの正面のソファにちょこんと座る。
 「お前も知っての通り、ブーケ・ファミリーは先の襲撃で壊滅的な打撃を受けた。だが、ブーケ・ファミリーが絶滅した訳ではない」
 「私が、生きているから?」
 ミレイユの洞察力の鋭さに感心しながらも、クロードは続けて言う。
 「そうだ。ブーケ・ファミリーに生き残りが居ると判れば、恐ろしい連中が血眼になってお前を倒しにやって来る。それだけ奴等はブーケ・ファミリーの影響力を恐れている」
 「でも、私まだ8歳よ。ファミリーを率いるなんて」
 「甘いな」
 クロードは強い語調でミレイユの言葉を遮った。
 「『ブーケの名を継ぐ者が生きている事』自体が重要なんだ。別に赤ん坊だって構わん。ブーケの残党と手が組めれば、コルシカの勢力バランスなど簡単にひっくり返る」
 「私を利用するか、私を殺すか・・・そのどちらかなのね」
 「そうだ。ここは奴等にはそう簡単にバレない筈だが、それでもいつ、お前自身が標的になるかも知れん」
 クロードの言う『一人で生きる為の力』の本当の意味を、ミレイユはこの時知った。
 ミレイユは一旦目を閉じ、少し考えてから強い意思を込めて目を見開き、クロードを見つめる。
 「判ったわ、叔父さん。私に銃の撃ち方を教えて」
 (やはりこの娘は凄い。そのうちとんでもない大物になるだろう)
 クロードは無言で頷くと、ミレイユを地下室へと連れて行った。
 
 別荘の地下にはワインセラーがあり、更に移動式のワイン棚を動かした先に、武器庫を兼ねた射撃場があった。
 そこで、クロードはミレイユに拳銃の取り扱いを手取り足取り教えた。
 まずは銃に関する知識について教える。基本的な銃の構造、銃を撃つまでの予備動作、射撃姿勢、銃の分解と組み立てである。ミレイユはクロードが教えた事のひとつひとつを、まるで真綿が水を吸うように、速やかに自分のものにしていった。
 そしていよいよ射撃である。
 クロードはチョークで壁に小さな丸を描き、ミレイユに拳銃を持たせた。クロードが持たせたのは小口径のかなり小振りな拳銃だが、それでも8歳のミレイユにとっては手に余る大きさである。
 「いいか。両足を肩幅まで開き、両腕をしっかり構え、この目印の先に俺が書いた丸が入るようにするんだ。姿勢は絶対に崩すな。わかったな」
 ミレイユはクロードの言う通りに射撃姿勢を取った。
 「よし、それでいい。後はその姿勢のまま、俺が書いた丸に向かって引き金を引け」
 ミレイユはおぼつかない手付きで引き金を引く。いささか重いトリガープルに手を焼いたのか、ミレイユは少し姿勢が崩れた状態で引き金を引いた。強い反動、飛び出す薬莢、余りに大きな発射音・・・今まで経験した事の無い衝撃に驚いたミレイユは、思わずその場にへたり込んでしまった。
 「姿勢は崩すなと言っただろ!」
 クロードの厳しい声が飛ぶ。
 「だって・・・」
 「これが闘いの場なら、お前はもう撃ち殺されている。次の弾丸が撃てる体勢が取れなければ、何の武器も持っていないのと一緒だからな」
 「・・・・・」
 「まずは姿勢を崩さずに撃てる様、練習を重ねるんだ」
 その日から、ミレイユはクロードの手厳しい指導の下で射撃の練習に励んだ。最初は1発撃つ度にヨロヨロと姿勢を崩していたミレイユだが、1ヶ月もすると姿勢の方も安定し、撃った弾丸もクロードが描いた丸の中に全弾命中する様になった。
 「よし、上出来だ。後は壁との距離を少しづつ開きながら、丸の中に全弾撃てる様に練習するんだ」
 
 そして、ミレイユが射撃の練習を始めてから3ヶ月が過ぎたある日。
 ミレイユがいつもの様に夕食の材料を買って帰宅すると、キッチンの目立つ場所にクロードの置き手紙があった。
 ミレイユは早速手紙を読んだ。
 
 『我が愛しのミレイユへ
 
  急に大きな仕事が舞い込んできた。
  幼いお前をひとり置いていくのは心苦しいが、叔父さんはどうしても行かなければならない。
  お前ならきっと、ひとりでもちゃんとやって行けるだろう。
  きっと叔父さんは戻って来る。
  辛いかもしれないが、その日まで辛抱強く待っていてほしい。
  
  クロード』
 
 ミレイユはその手紙を読み終わると、大して動揺した素振りも見せずに夕食の支度を始めた。そして、夕食を食べ終わってから、射撃場で拳銃を撃つ練習を始めた。
 クロードが「危険な仕事」に手を染めている以上、いつかひとりで生きなければならない日が来る事が、ミレイユには判っていた。海外の「仕事」ともなればおいそれとは帰って来られない。クロードのガンスキルは一流だが、それでも敵の凶弾に倒される可能性が無い訳ではない。
 来るべき日が来た、というのがミレイユの率直な印象だった。
 
 ミレイユはその日から、ずっとクロードの帰りを待ち続けた。
 生活費については、別荘の金庫に眠っていた金を小出しにして使っていた。電気代はクロードの口座から引き落とされる様になっていたので、電気が途絶えるという事もなかった。別荘を尋ねて来る客も居なかったので、ミレイユはひとりで暮らしている事を悟られずに生活を続ける事が出来た。
 それでも、ひとりで生活するのは決して楽な事ではなかった。
 高熱にうなされた時も、酷い下痢の時も、ミレイユはひとりで耐えるしかなかった。地獄の底をのた打ち回る様な苦しみの中で、ひとり歯を食いしばりながら。
 
 ・・・時は流れた。
 
 ミレイユは卒業証書と旅行鞄、そして夕食の材料を手に、別荘への帰り道を急いでいた。
 クロードが姿を消してから4年半の間に、ミレイユは身長160センチの立派な身体に成長した。
 成長したのは身体だけではなかった。拳銃は相変わらず小口径のものを使用していたが、片手撃ちでも変則的な姿勢からでも円内に全弾命中させる程の腕前になっていた。射撃場に腐るほどあった弾丸も、今は4分の1足らずしか残っていなかった。図書室の本も読み尽くしてしまい、今は書斎にあった本の中から面白そうなものを選んで読んでいた。
 村の暮らしは特に面白い訳ではなかったが、これといった不満も無かった。
 しかし、ミレイユは村を出ようと決心していた。
 このまま村に居ても、何の刺激も無い退屈な日々があるだけでしかない。
 ならば、いっそパリに出て生きる道を探そう。
 ミレイユは雑貨屋で買った小さな旅行鞄に、金と拳銃と最小限の着替えを詰め込むと、夕食の支度に取りかかった。ミレイユにとって、これが別荘での最後の食事となる筈だった。
 
 夕食の支度を整えている途中、ミレイユは妙な匂いがする事に気が付いた。
 火薬と油とが入り混じった様な、嫌な匂い。
 直感が「ここは危険だ」と囁く。
 ミレイユは急いで旅行鞄を取りに行き、小さなショルダーバッグを肩に掛け、裏口から外へ出た。そして、鞄から取り出した拳銃に弾倉を装着した。
 耳を澄ますと、表で男達の話す声が聞こえる。
 「まさか、ブーケ・ファミリーの生き残りがこんな所に潜伏していたとはな」
 「この5年間、奴等を探してフランス全土を駆けずり回ってきた甲斐があったぜ。これでミレイユが始末できれば、ブーケの名は地上から消える事になる」
 「逃げた様子も無さそうだし、あと10分もすればこの別荘ごと消し飛んでくれるわ」
 「さて、俺達は高見の見物といくか」
 
 次の瞬間。
 ミレイユは別荘の裏から拳銃を撃った。
 黒服のひとりが苦しそうなうめき声と共に倒れる。
 それが、ミレイユが生まれて初めて人を殺した瞬間だった。
 
 車に乗り込もうとしていた黒服の男達が、拳銃を懐から取り出してミレイユに向ける。
 残る相手は3人。
 いくら練習で腕を上げたとはいえ、未だ12歳、しかも初の戦いとなるミレイユにとっては相当に手強い敵である。
 しかし、中心街へ続く道は一本しかない。
 仮にここで逃げても、車で先回りされて待ち伏せされたら全く勝ち目は無くなる。
 ならば、ここで戦って活路を開く以外に無い。
 ミレイユは男達に背を向け、爆薬が仕掛けられている別荘へと再び逃げ込んだ。オープンスペースでは1対3という数の不利は覆し様が無いからである。
 腕時計は3時53分を指していた。先程の男達の会話の内容から察するに、残された時間はあと7分。その7分の間に、何としても黒服達を倒さなければならない。
 黒服達は別荘の中を駆け回っている。ミレイユと違い、勝手の判らない彼等はしらみ潰しに各部屋を探し回るしかない。ミレイユは寝室の窓から表に出ると、寝室に置いてあった花瓶を拳銃で撃った。花瓶は床に落ち、大きな音を立てて割れた。
 花瓶の音を聞き付けた黒服のひとりが寝室に入る。その瞬間を狙い、ミレイユはカーテンの向こう側から黒服を撃った。
 黒服の倒れる音が寝室に響く。
 カーテンが風に舞った瞬間、ミレイユは黒服にもう1発銃弾を打ち込んだ。
 黒服は微動だにしなかった。
 
 黒服はあと2人。時間は残り5分しかない。
 ミレイユは再び裏口へ回り、いつも生ゴミを捨てている穴の蓋を取った。そして、拳銃を構えながら、わざと裏口から見える位置に立った。
 残り3分。
 爆破時刻が迫り、黒服のひとりが裏口から慌てて表に出る。
 ふと、ミレイユの姿が黒服の視界に入る。
 黒服が拳銃を抜きながらミレイユに駆け寄ろうとしたその時。
 「うわっ!」
 生ゴミの穴に足をとられて転倒した黒服を、ミレイユは躊躇無く撃ち殺した。
 
 そして、ミレイユは黒服の車へ駆け寄ると、スモークガラスで覆われた後席に乗り込み、運転席の後で身を小さく屈めた。
 爆破時刻が近い事を知った最後の黒服が、慌てて車へと駆け込み、乱暴に車を出す。
 「チッ、何て小娘だ。結局生き残ったのは俺だけか」
 車が別荘に続く道を駆け登り終わったその時。
 別荘の方角から巨大な轟音が響く。
 反響音に驚いた黒服が車を止め、別荘のある方角を見やる。
 次の瞬間、ミレイユは唐突に後部座席から身を起こし、黒服の頭を射抜いた。
 黒服の身体がハンドルに突っ伏し、ブレーキペダルから落ちた右足がアクセルペダルの上に乗る。
 ミレイユは咄嗟に後のドアを開け、転がる様に表に出た。
 そして、車は道を踏み外して谷底に転落し、炎上した。
 
 何とか4人の黒服達を倒したミレイユは、別荘のあった場所へ駆け寄ってみた。
 別荘は跡形もなく崩れ落ちていた。
 そして、ミレイユが足元に目をやると、コルシカから唯一持参したお気に入りのクマのぬいぐるみが、頭だけの姿になって転がっていた。
 ミレイユはぬいぐるみを拾うと、焼け残りの炎の中に放り込み、別荘を後にした。
 小さく「さよなら」と呟きながら。
 
 その後、ミレイユは急ぎ足で中心街を抜け、駅までの道をひとり歩いていた。
 旅行鞄は別荘の爆破と共に四散してしまったので、ミレイユの所持品はショルダーバッグの中にある残弾2発の拳銃と、僅かばかりの金だけだった。
 黒服達との戦闘で、服も靴も泥だらけになり、所々破けてもいた。
 とても年頃の娘とは思えない汚い身なりだったが、再び身支度を整える金はミレイユには無かった。
 ミレイユはなけなしの金をはたいてパリ行きの切符を買い、2等車両の隅で揺られながらパリを目指した。
 耐え難い程の疲労と空腹。
 所持金も殆ど無い。
 唯一の武器である拳銃の残弾も心許ない。
 それでも、ミレイユは「パリへ行けば何かがある」と信じていた。


Home Top Prev Next