霧香はデビッドと睨み合いを続けていた。
体格の小さい霧香は腕や脚もそれなりに短い。攻撃をヒットさせようとすれば必然的に敵の懐に飛び込まねばならず、攻撃をかわされると敵に捕まえられてしまう可能性が高い。
一方、デビッドは霧香の並外れた運動神経を警戒していた。
霧香にはバイシクルキックがある。多分、他にも色々な技を隠し持っている筈であり、迂闊に飛び込めば逆にやられてしまう可能性が高い。
一見、両者は互角であるかの様に見えた。
だが、追い詰められていたのは霧香の方だった。
ミレイユをロイの魔手から救わない限り、自分達に勝利は無い。
しかも、時間が経てば経つ程、ミレイユはロイの攻撃で体力を消耗させていく。
躊躇している時間は無い。
霧香は思い切ってデビッドに大技を仕掛ける。
デビッドの前でいきなり飛び込み前転を行い、首と両腕の反発力を利用してデビッドの頭を両足で挟む。
虚を突かれたデビッドは霧香の技にモロにハマってしまった。
そして、霧香が身を反らし、全身をひねって首投げの要領で倒そうとしたその時。
デビッドが闇雲に振り回した右手が、霧香の背柱筋に触れた。
「ああんっ!」
抵抗し難い快感が霧香の身体を襲い、思わずよがり声が漏れる。
同時に、デビッドを投げようとして張り詰めていた全身の筋肉が緩む。
霧香はうつ伏せになってマットに落下してしまった。
難を逃れたデビッドは、マットに倒れた霧香の腰の上に馬乗りになっていた。
「さて、これからは僕の寝技で、その躍動感溢れる肉体の隅々までじっくりと堪能させてもらいますよ」
霧香は無言のまま、懸命に這い出そうとする。
「薄い皮膚の下で張り詰める広背筋・・・実に美しい・・・」
デビッドは再び、霧香の背柱筋を撫でる。
「あんっ!」
「やはりここが弱点でしたか。筋肉が緩むのはちょっと残念ですけどね」
(・・・・弱点を知られた・・・・・どうしよう・・・)
霧香もまた、デビッドの手中に落ちてしまった。
優勢に立ったロイとデビッドは、嵩に掛かってミレイユと霧香の肉体を攻めていた。
ロイとデビッドはミレイユと霧香の体力を奪う為、スリーパーホールドでじわじわと首を締める。ミレイユも霧香も両手で男の腕を制止し様とするものの、体格の違いから来るパワーの差は如何ともし難いものがあった。
ミレイユと霧香の身体が紅潮し、多量の汗がしたたり落ちる。
ジルはロイヤルボックスから、霧香とミレイユを心配そうに見つめる。
(私が『黒薔薇』の復活など願わなければ、彼女達をこんなに苦しめる事はなかったのに・・・)
「随分ご心配の様子ですね、ジル様」
コリゾンは得意げな顔でロイヤルボックスに入り、ジルに話し掛けた。
「これはどういう事なんだ! 何故彼女達の意向を無視して、男子選手を呼び寄せたのだ!」
「50年前の伝説をファンに味わってもらいたかったからですよ。元々男子選手と闘う為にタッグを組んだ『黒薔薇』が、女と闘うのはおかしいでしょう?」
「それに何故、彼女達の身体はあんなにも紅潮し、大量の汗を流しているんだ! 何か変な薬でも飲ませたのか!」
「とんでもございません。ちょっと多めにカプサイシンを摂取して貰っただけですよ」
カプサイシンとは唐辛子に多量に含まれる天然成分である。カプサイシンには血液の流れを良くして発汗を促し、新陳代謝を促進するという効用がある。
しかし、血液の流れが良くなった肌はより敏感になり、汗の量が増えればその分疲労も増える。ほんのりと赤く染まった肌がうっすらと濡れ、汗を吸ったコスチュームが身体にへばり付いて身体のラインが強調されるという、視覚的な猥褻感もより強調される。
つまり、こうして闘っている状態では、カプサイシンの効用はことごとくマイナス方向に働くのである。
「貴様・・・試合をブチ壊しにする気か・・・」
「ブチ壊しどころか、皆さん大いに盛り上がっているじゃないですか」
「何だと!」
「私も今日でお払い箱になります。そんな私の最後で最高の演出を、ジル様も十分お楽しみになって下さい」
コリゾンはそう言い残して、ロイヤルボックスを後にした。
ロイとデビッドの攻撃はなおも続いていた。
ロイはミレイユの首から手を離すと、ミレイユの豊満な乳房に両手を掛け、揉みしだきながら自分の側に引き寄せた。ミレイユの身体が元に戻ろうとする力で、ミレイユの乳房はロイの両手に密着しようとする。ミレイユは胸元からロイの両手を引き離そうとするが、自分の全身の力には対抗出来なかった。
「クッ、何て卑怯な真似を・・・」
「弱点を攻めるのはプロレスの常識だぜ。そんなセクシーな身体に生まれついた事を後悔するんだな。グヘヘヘへ」
デビッドは霧香の上半身をわざとフリーにして、首筋から肩、腕、背中など、霧香の身体の色々な部位を両手でまさぐっていた。霧香が抵抗しようとすると必然的に筋肉も動く。その筋肉の感触をデビッドは楽しんでいた。霧香が強い抵抗を示す場合には、霧香の背柱筋を撫でて体力を萎えさせた。
「実に素晴らしい肉体です。僧房筋、三角筋、上腕二頭筋、広背筋・・・どれもが柔軟性を保ったまま、十分に鍛え上げられている・・・それにまた、この皮膚の薄さがたまらない・・・」
霧香は眼をつぶり、頭を振って嫌がる様子を見せるが、デビッドは全く意に介さなかった。
ロイは更に、ミレイユの左腿の上に身体を移動させると、両手でミレイユの両肩を引き上げ、反時計回りに回してミレイユの全身をねじった。ロイの力を受けたミレイユの腰や背骨が悲鳴を上げる。
「うあああああっ!」
ミレイユの悲痛な叫びを聞いて、ロイは悦楽の表情を浮かべる。
「たまらんなぁ、絶世の美女が苦痛に顔を歪めるのを見るのは」
デビッドは霧香の右脚を片エビ固めの要領で引き寄せる。思わず霧香が上半身を反らせたのを見計らって、霧香の身体の下に左手を滑り込ませ、霧香の胸や腹をまさぐる。
「きゃああああっ!」
霧香もまた、苦痛に顔を歪め、悲痛な叫びを発する。
「コスチュームの上からでも判ります・・・引き締まった腹直筋に、乳房の下で大きく発達している大胸筋・・・やはり君の肉体は素晴らしい・・・・」
まるで蛇に絡み付かれた兎の様に、ミレイユと霧香はじわじわとその体力を消耗させていた。
ふと、霧香の視界にミレイユの右脚が入った。
ロイがミレイユの左腿へと移動した為、ミレイユの右脚はフリーになっていた。
あと少し移動すれば、こちらに脚が届く。
霧香はデビッドに身体をまさぐられながら、必死の思いで這って進む。
「おお・・・やはり肉体は動いている方がいい・・・」
デビッドは霧香の筋肉の動きに気持ちを奪われ、ミレイユの右脚が届く位置へ移動した事など全く気が付かなかった。
(ミレイユ・・・気付いて・・・・お願い・・・・)
苦痛に喘ぐミレイユを、霧香は懇願する表情で見つめる。
ミレイユが苦痛に耐えかねて髪を振り乱したその時。
ミレイユの視界に霧香の姿が入った。
(霧香・・・何時の間に・・・・・)
ずっと苦痛に支配されていたミレイユの頭脳が、突然閃く。
ミレイユはフリーになっていた右脚の踵で、デビッドの左膝を蹴り上げた。
「ぐあっ!」
思いもよらぬ方向から突然こみ上げて来た苦痛に、デビッドは反射的に霧香の右脚を掴んでいた手を離し、腰を浮かす。
(今だわ!)
霧香は全身の力を振り絞ってデビッドの身体を跳ね上げ、ひるんだデビッドの顎に頭突きを食らわせた。
「何ぃ!」
ロイの注意がデビッドに向き、ミレイユの両肩を押さえていた手から力が抜ける。
(今だわ!)
ミレイユは右脚を大きく振ってロイの身体を払いのけ、姿勢を崩したロイの顎に頭突きを食らわせた。
ロイとデビッドは顎を押さえて転げ回る。
ミレイユと霧香は敗北寸前のぎりぎりの所で、辛うじてロイとデビッドの攻撃から逃れる事が出来た。
だが、ロイとデビッドの長きに渡る攻撃は、ミレイユと霧香の体力を容赦無く奪い、代わりに多大なダメージを残していた。
フラフラになりながらも、霧香とミレイユは辛うじて立ち上がった。
荒々しい呼吸の度に大きく上下する肩が、2人の肉体がもう限界に達している事を示していた。
不意打ちを食らったロイとデビッドもようやく立ち上がる。
それぞれ肉体に大きなダメージを受け、体力も限界まで消耗し尽くした少女達と、不意打ちこそ食らったものの、まだまだ余力十分な男達。
誰の目から見ても、霧香とミレイユの敗色は濃厚だった。
だが、霧香とミレイユの中には、ある感情が芽生えていた。
(負けたくない・・・)
霧香は完全に立ち上がった男達に目をやると、ロープを背にしたミレイユに向かって両足でドロップキックを放つ。
ミレイユはロープに両腕を掛け、両足で霧香のドロップキックを受け止める。
ミレイユと霧香の両膝が縮まる。
次の瞬間、ミレイユと霧香は一気に両膝を伸ばす。
リング上空を舞う霧香の身体が、リング照明を受けてコスチュームと共に虹色に輝く。
ロイとデビッドの視線は霧香を追っていく。
男達の視界から外れたミレイユは、マットに両足を突くとロープの反動を利用してトンボ返りを行い、伸身状態からロイとデビッドの後頭部を踵で蹴る。
後から攻撃を食らい、ロイとデビッドの身体が前のめりになった所へ、トップロープに着地した反動を利用して、霧香が両腕でラリアットを放つ。
霧香のラリアットが男達の喉元に食い込む。
そしてそのまま、霧香は男達と共にマットに倒れ込んだ。
ミレイユは霧香の身体を立たせると、2人で抱き合う様にして支え合った。
もう、これ以上攻撃を放つ余力は無い。
男達が立ち上がって来たら、今度こそひとたまりもなくやられるだろう。
・・・長い沈黙が会場を包み。
・・・やがて、試合終了を告げるゴングが連打された。
ロイとデビッドは完全に気絶していた。
『黒薔薇』は苦しい闘いの末に、男達を打ち破ったのである。
リングにはこれでもかという位、大量の紙テープが投げ込まれた。
そして、紙テープが飛ばなくなったのを見計らって、ジルがリングの上に上がって来た。
「・・・・ありがとう・・・・・霧香様・・・ミレイユ様・・・・・」
ジルは霧香とミレイユの身体を、ゆっくりと抱き締めた。
☆★☆★☆
それから数日後。
ミレイユが自室でニュース検索をしていると、『外食王』ジル・バートナム死去のニュースが飛び込んで来た。
「ジルさん、死んじゃったのね」
何時の間にか、後で見ていた霧香が呟く。
「ええ。可哀想にね」
「でも、最後の願いが叶ったんだから、幸せな人生だったと思うわ」
「こっちはそのせいで、筋肉痛やら関節痛やらで大変だったけどね」
ジルの棺桶には遺体と共に、初代『黒薔薇』と2代目『黒薔薇』の写真、そして『黒薔薇』のコスチュームが中に収められた。
・・・こうして、一夜だけ花開いた『黒薔薇』は、再び伝説の中へと消えていった。
(おわり)