(C)1993 GAINAX
ここは今世紀最後にして最大の映画「蒼きウル」の可能な限りの進行状況を説明したものです。山賀監督情報とも取れるかもしれませんが、誰が何と言おうと「蒼きウル」の制作に関する情報です。・・・・・・・・・・・・・・多分。
インタビュー(1993年10月頃)
最新情報
*ガイナックスのHPの日記を元に構成しなおしています*
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06/20
『蒼きウル 凍結資料集』を発売!
7月10日にハイブリッドCD-ROMの「蒼きウル 凍結資料集」が発売されます。凍結という事もあって、今回のは本HPで紹介している「庵野版ウル」の資料集のようです。内容としては「旧ウル」の設定資料、絵コンテ、脚本、イメージイラスト、カラーボードを収録したものになるようです。
06/16
山賀監督の広末熱もかなりのもので、「銀河の約束(競演:中村雅俊)」のミュージカルのチケットをファンクラブ(入会済)を通じて16枚ゲットする。どうやら、ワールドカップのチケットより(本人的には)プラチナらしい。ちなみに、チケットの内訳としては初日・千秋楽は当然で、東京・名古屋・大阪と、徹底的に回るようです。
今年の夏は広末の夏ですね。監督。
06/02
どうやら、音楽でロンドンを住処として、世界的な活躍を続けている日本人DJ“TSUYOSHI”さんが加わっているようです。音楽面に関しては、藤井フミヤ氏も関わるようで、どうやらとんでもない面子が音楽で揃う可能性あり、前作の「王立」も坂本龍一氏だったりしているわけで、今後が楽しみです。
ちなみに、監督の萌々爆発で、広末も参加するかもしんない(監督はかなりマジ)。
05/28
ガイナックスから少し離れた位置にある山賀オフィスでは交通手段としてチャリンコがよく利用されている。ママチャリから監督がトライアスロンに参加したときのロードレーサー等々幅は広い。そんな中、電動自転車を購入してきたスタッフがいた為他のスタッフがライバル心を燃やし同じタイプのを購入し改造し始めるスタッフもでてくる始末。
05/19
ガイナックスの世界大会のおかげ(?)でトミーからサバイバーショットの再販が決定。また熱い夏がくるようです。というわけで、「サバイバーショット第三回世界大会」の準備に余念の無い山賀オフィス。・・・しかし、「ウル」と何の関係が・・・(爆)チームワークを養うためにという事にしておきましょう。
05/13
山賀監督は広末からFAXを貰ってご満悦(笑)元々新曲キャンペーンでの”もれなくアイテム”なのだが、それを嬉しそうにみている監督を見ているとスタッフはなんかジェラシーを感じてしまうらしい。(僕も深津絵里ちゃんから貰った手紙は宝物です:志村(^^))
「いやぁ、彼女がこれからもお願いしますね。と言うんで、とにかく僕が面倒見てあげなきゃなぁ。」
という山賀監督だった。
04/22
山賀監督実は昨日、日本武道館でのF−BLOOD(藤井フミヤ&尚之の兄弟のユニット)のコンサートに行っていたのでした。かなりご満悦
「僕らも藤井兄弟みたいになりたいっすー。」などと言いながら、いきなりミュージシャンを目指し始める山賀監督でありました・・・
04/20
ラジオ番組の「超機動放送アニゲマスター」に、山賀監督が出演しまた。
04/14
第一回、二回と開催された「サバイバーショット世界大会」だが、「サバイバーショット」がすでに生産中止になっているので大会のたびに「どこで手に入るでしょうか?」という問い合わせがに困っていたガイナックスだが、再発売が決まり、新プロジェクト(ウル)に燃えていた監督はコロっと第三回大会の開催についての打ち合わせに変更する。
・・・オイオイ
04/07
長野県は志賀高原へスキーに行った山賀監督は、ロッジのオーナーの奥さんに息子さんがガイナックスのファンなのでサインをして欲しいとの事。勿論快くサイン。実は自分の直筆サイン入り台本(「王立」のね)が「なんでも鑑定団」に出された事のあり、売らないでねと思う監督だった。
03/31
山賀オフィスではあるハリウッド映画が話題になっている様子、その映画は「ディープインパクト」と「ハルマゲドン」どちらも地球目指して小惑星が飛んで来て、果たして人類の運命はいかに?というもので、「ノストラダムスの大予言」的なカタルシスがあるわけです。スタッフ的にも信じる信じないは半々なんですが、そんな中山賀監督が、
「ねえねえ知っている?来年プルトニウム電池を積んだ観測衛星が地球のそばを通過するんだってねぇ・・・。」
と発言、信じる人間が増えたとか増えないとか(笑)。
03/27
山賀監督がTV出演決定、「金曜フォーラム『デジタル新時代・日本はどう生き残
れるのか』」(22:45〜23:55 NHK教育)。その第一部「デジタルコンテンツは日本を救うか」にでます。
03/25
監督が広末の公開録音に並んでいた事が発覚(笑)し、それがインターネット上の掲示板に書かれていてビックリ。でもその発言にちゃんとレスをつける監督だったりする(笑)。
ちなみに(笑)23日は監督の誕生日
03/17
山賀監督は渋谷で行われた広末の公開録音を見に行く。2時間15分並び本人を間近に見れてかなりご満悦の監督。
「あれは世界的な大監督(予定)と、世界的な大女優(予定)が、ガラス一枚越しに初めて出会った歴史的な瞬間だったねぇ。」
と相当感動していた山賀監督、広末熱は冷める気配はありません。
ちなみに肝心の「ウル」の方は、貞本義行氏と真剣に細かい打ち合わせ。
03/03
相変わらず広末に夢中な山賀監督はデジタルビデオカメラを購入。ちなみに「ウル」とは何等関係がないらしい(泣)。
02/18
山賀監督は、今まであまりインターネットに興味がなかった様子なのだが、今や180度方向転換し、常にネットサーフィンできる環境を整えネットサーフィン中らしい。ひょっとして広末効果?
02/10
山賀監督は今広末涼子に夢中、ドラマや映画のチェックはもとより、プロモビデオのゲットからファンクラブの入会まで、留まる事を知らない(笑)。
ひょっとして「ウル」でも広末の登場なるかも?
02/03
山賀監督はサンフランシスコの「FanimeCon 1998」に参加しました。ちなみにアメリカのロスアルト市には、「ガイナックスの日(03/15)」が制定されていたりと、アメリカだなぁという感じです。
01/06
サンフランシスコで行われるアニメのイベントに、ゲストとして参加する為渡米予定。前回は、アメリカの映画界で『バットマン』シリーズのCGIを手掛けていた日本人に会いに行くのが目的でしたが、今回はどんな収穫を得てくるのだろうか?
これまでの歴史
*ここで紹介されているのはその大半はガイナックスプレスからです*
*途中から山賀監督の近況報告のようになっていますが、ウルの情報です(多分)*
1992年12月
ガイナックスプレス(ガイナックス会報)にて、「蒼きウル(王立宇宙軍2)」を発表
1993年2月
「GP」上で「蒼きウル」は一話完結、公開形式は未定、メカデザインに士郎正宗氏が参加すると発表
1993年3月
*この時期くらいに、庵野監督が文化放送「ノン子とのび太のアニメスクランブル」で、ウルの事に触れている。
1993年4月
1993年6月
山賀監督C言語勉強中。貞本氏によるキャラ表の公開。本田雄氏(エヴァ作画監督)参加。
1993年8月
ストーリー三分の一UP。絵コンテも三分の一UP。イメージボードも作成開始フィルムテストを行う
1993年10月
ガイナックスプレス上で山賀氏「蒼きウル」に関するインタビューを受ける。
1994年2月
忘年会用に自らが作ったウルジャケットを羽織った山賀氏の写真が掲載される。とても満足そう・・・・・・
1994年4月
山賀氏がウルファイター(戦闘機)のフルCGアニメを製作(時間にして約10分)。
ちなみに使用機種はMacintosh Quadra840AVウルファイターはPC98の3Dパースで地形モデリングはINFINI-Dを使用。原画はフルカラーレンダリングにはエレクトリックイメージ解像度1024×768ピクセル。ポリゴン数はウルファイター約6000、地形が約15000
1994年6月
「蒼きウル」凍結。既に原画まで入っていたのに・・・
ガイナックスプレス誌上で「新世紀エヴァンゲリオン」発表。
ちなみに山賀氏トライアスロン復帰のためフィットネスクラブに通う。肝心のウルのほうは、よその会社でIRIS(アイリス)をいじくる毎日。
1994年8月
山賀監督、別作品(「神罰」の事)の為合宿。その時にスタンリー・キューブリック監督の「バリーリンドン」を鑑賞。映画はこうでなきゃいけないと知る。
神罰:FMタウンズ専用ゲームとして製作していた物。現在セガサターン用として開発中。キャラクターデザインは鶴田謙二
バリーリンドン:「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」で知られるスタンリー・キューブリック監督の作品。山賀監督曰く「ぜんぜっん観客の事考えてなくて、しかも気持ちいいくらいに金を使っている。こうでんきゃいかんようなぁって、反省のしきりだった。世界は広い」。ちなみにこの作品全然当たらずビデオも廃盤。
1994年10月
インディゴ(コンピュータ)を社内に導入。新しいCG研究中。エイリアス社のパワーアニメーターと、パララックス社のマタドールでウル(仮名)の動きを作成中。ちなみにこのソフト「ジュラシックパーク」や「トゥルーライズ」でも使われていた物理論上はどんなカメラワークも可能。また、Macを使ったサウンド関係も研究中。
山賀監督インディゴ専用ゲームソフトを作ろうかと考える(一体いくつ売れるんでしょうそれ・・・)。
1994年12月
山賀氏プロデュースによるCD−ROM画集販売開始。10月分に書いたインディゴはCDプレーヤーになっている・・・・・・・・・・・・・・・・・(泣)。
翌年八月まで書くべき事がない・・・・・・
1995年8月
ガイナ祭において、
尊師イタコイチロウのガイナ祭記念企画書「地球にきびしいアニメ」地球を鍛える!自分を鍛える!「捕鯨闘士 紫きグル」を外報部長としての立場で参加。
1995年10月
山賀博之&ガイナックスCGチームで、「プリンセスメーカー 夢みる妖精」のオープニング制作。
この期間プリメの制作をしている・・・と願う。
1996年8月
「神罰」の「人生の意味」を山賀&鶴田コンビで制作中との事。ちなみにこの作品「隙あらば愛」という物もあり、そちらは佐々木美術監督&鶴田コンビで制作している。
1997年6月頃
「蒼きウル」制作のため、ガイナックスより少し離れたところに事務所を構える。
1997年7月
ガイナックスが主催した「第一回サイバーショット世界大会」の優勝賞品CGで作った回るトロフィーを作る。凝り性なため、時間がかかる。
1997年10月初旬・・・1
「王立宇宙軍」が東京ファンタスティック映画祭で上映される為、音響を全面リニューアル。音取りの作業に入る
1997年10月初旬・・・2
池袋のコミュニティカレッジで、「アニメの監督とは何をやっておるのか?わしはこうやっておる」と銘打った講座を開く
「もともと映画監督になりたかった。アニメに初めて触れたのは大学に入学してから。その時にぴんと来た。実写の日本映画の閉塞感・展望のなさよりも、アニメの世界に活路がある」
とのコメント。
1997年10月下旬・・・1
「王立」のサウンドリニューアル版のダビング作業(音と画を重ねる)に入る。が、しかし、好評だった、サイバーショット第二回世界大会の準備に入る。・・・大丈夫?
1997年10月下旬・・・2
「王立」スタジオ作業が終了する。が、山賀監督の頭には「蒼きウル」よりも、サイバーショットの世界大会しかないようだ・・・・監督〜