時が滲む朝  楊 逸(著) 文藝春秋 (2008/07)

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中国から日本文学への問題提起かも知れない, 2008/11/4

中国の田舎から都会の大学に合格した二人の青年。憧れの大学での勉学と、民主、アメリカ、愛国などをめぐる議論、やがて天安門事件。そして退学と挫折。日本への移住とその後の日々、在日中国人の現実的処世術を通しての生活への重点のゆるやかな転換と過去への回顧。こうした流れを、中国と日本を舞台に、二人の中国青年を中心に描いた小説です。

この作品が、芥川賞を受賞した理由と意味を考えてみました。

まず、この小説に、どんな事実をどうとりあげたか、それらについてどう考え、どう行動し、さらにどう描いたか、などは、ユニークなところが多い、つまり多分、中国人のそれらであって、日本人の作家によっては描き難いことが多いのではないでしょうか。「文藝春秋」誌上の選考委員の選評における、この人には書きたいことが沢山ある、この人の書いたものをもっと読んでみたくなる、という複数の委員の指摘は納得できます。

他方で、天安門事件の皮相的ともいえる評価や後半の俗な展開は、純文学の賞であることを考えるとおおいに気になるし、日本語としての生硬さや小説技法の未熟さもたしかにあります。しかし、作者が中国生れの中国人であること、芥川賞は新人賞であることを考えれば、それらはあっておかしくないことで、むしろ今後の発展への可能性や期待を感じるところでもあります。

結局、取り上げられた題材の現代史における流れを中国人作家が一定水準で描き上げたこと、それが最大の受賞理由と見ました。

もうひとつ、最近の日本文学が、芥川賞受賞作を含め、ミクロな空間を対象にことば遊びをしているに過ぎないと思える傾向が強いなか、オーソドックスなリアリズムに近い作品が受賞したことは、文壇に対するひとつの問題提起となっているのではないでしょうか。日本語として違和感を感ずる表現を含め、それらは中国から日本への問題提起であるかも知れません。これから小説を書こうとする人にとっても、方向性と希望を与える受賞なのかもしれません。

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