ラサ鉄道とチベット「暴動」
   

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チベット「暴動」の報道が、四川大地震の惨害の報道に隠れて見えにくくなった感があるけれど、その火種は依然として現地において燃え続けているのではないだろうか。その真相は見えにくいのだが、最近になって感ずることがある。それは、あたかも、ある出来事が報道の峠を越してしばらく、情報が発酵したかのごとくに何か重要なところが見えてくる、そんな感じである。

ラサ鉄道がその象徴であるのではなかろうか。昨年から、ラサ鉄道が日本人観光客にも大人気でなかなか予約が取れないということを聞いていた。このラサ鉄道の開通とチベット「暴動」が関係するところ大なような気がしてきた。テレビなどで、ラサ鉄道の客がしばしば映っていたが、その場合、漢族などの商人がけっこう写されていた。それは、華僑にみられるように伝統的に商売熱心な中国人が、チベット外からその鉄道開通をきっかけにいろいろな商品の需要をめがけて殺到しているひとこまなのではないだろうか。鉄道で人が移動しても、売るべき商品や、販路開拓のためのいろいろな資材はその人が担いで鉄道に乗り込むのではなく、トラックや貨物列車で別に輸送しているはずである。

そのような動きは、ラサ鉄道が開通するかなり以前からあったと想像される。これは、中国政府の西部経済を発展させようという政策の一環であるに違いない。とすれば、そのような動きは、チベットに限らず、新彊ウィグル自治区をはじめ、西部の発展途上地域にくまなく展開されているはずである。ここではチベット以外に深入りしないでおくとしても、チベットの現在に至る流れは、少なくとも10年以上の時間を経過しているのではないだろうか。ラサ鉄道の建設が起案されるにあたっては、ものごとの進捗の速い中国でも完成前10年以上を遡る必要があろう。私は、そうした時代からの問題が吹き出したのであって、ここ1,2年で急に起こるような事態ではない、と思うのである。

多分、一番ありそうな構図は、そのような長期の動きの中で、チベットでの経済開発の先端には、漢族をはじめ、チベット以外の民族商人がいたのではないか、と想像する。勿論その形態は、資本主義的市場経済であろう。おのずと、資本家は漢族、労働者はチベット族、という関係が多いであろう。資本家と労働者という言い方が大げさであれば、店長は漢族、従業員はチベット族、といった関係である。中国の労賃が安いといっても、その中でも、海岸地域より内陸、特に西部内陸は安いであろう。そうした関係に加えて、民族間の諸対立的感情や、伝えられるような人権問題などが重なれば、漢族とチベット族の間に、急速に険悪な事態が起こることはまことにあり得ることである。勿論、虐げられる多くはチベット族である。中には漢族に取り入って甘い汁を吸うチベット族も出かねない。そうした構図があるとすれば、主要な矛盾といわれるものは、経済事象である労使間の階級対立にあるのだが、事態は、そんなに単純には見えず、宗教や民族という機械的には割り切りがたい問題が混淆して複雑奇怪に見えてくる。それを報道機関は「暴動」などと表現せざるを得ないのである。

そのような事態だとしたら、それを解決するのは、現地のチベット族や漢族やの間の闘争、といっても願うべきは真摯な対話であろうし、現代的にはそれしかない、と思うのである。つまり、現代において戦争など暴力に訴えると、本来は責任のない民衆のいのちが必ず失われるのであり、問題を複雑にする。今回の「暴動」と言われる事態もそうである。その点で、ダライ・ラマ14世も中国政府当局も、いちおうそれを建前にしていると言って良いであろう。しかし、現地の両者の指導者は、現地の切実な状況の中で、その切実さの大きさ故に、対話能力よりも武力に頼らざるをえない力量不足に、「暴動」という事態を招来させてしまう悲しさがある。しかし、それらをコントロールするには時間遅れがあるとはいえ、その方向に動いているように見えるところは、指導者の方針によるところが大きいということができよう。

私は、必ずしも当該事件に係る情報を十分持っているわけではなく、新聞・テレビの報道をじっと見てきて、それら点情報を想像でつないで線や面にしているわけで、正しいという保障はない。むしろ、そうであってほしい、そしてチベットの人たちも、ポタラ宮のトゥルナン寺やカイラス山にむけて五体投地をしつつ大願を成就する、そのセンスで問題を解決していってほしいし、漢族も、中国指導部を占めているのであるからこそ余計にそれを理解して対してほしいのである。

そんな意味をこめて、ラサ鉄道は今回のチベット暴動の象徴である、と思ったのである。

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