魅せられたる魂 改訳   ロマン・ロラン(著)  宮本 正清(訳) 岩波書店; 岩波文庫(1954〜1989)

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何に魅せられるのか, 2012/10/28

                                  「あらすじ」へ

アンネットは、ドラマティックな人生を送るという以上に、おのれをみがきつづけた女性でした。つまり、この長い物語を通して、周りの人たちと、そして自分自身とも思うところを闘わせ、自分の座標軸を限りなく確かなものにしようと闘い続けた女性でした。この本のあらすじをいえといわれても多くの読者は戸惑うはずです。筋を追って読むことも可能でしょうが、私にそれは不可能です。それは長いこと故でなく、ことの進み方がそれを拒むのです。この本では、アンネットの魂の闘いを追跡することで話が展開するのです。とはいえ、覚書として、はなしの流れを敢えて書きだし末尾に付けておきました。

アンネットはどんな女性かといえば、息子のマルクが思春期の親への反発を経て彼女の懐に回帰したときの言葉を借りれば、「気位の高い彼女の面影、彼女の沈黙、潰(けが)れない熱情と試練の生涯、嘘のない、無疵な彼女の魂、言葉に対する彼女の軽蔑、伴(つれ)もない彼女の孤独の深さ、かつて彼は反抗し呪ったが、今日はそれを祝福しているあの一徹な意志」などをもつ女性なのでした。それが、さらに幾多の試練、経験を経て魂を磨いてゆくのです。ロマン・ロランは、彼女の紆余曲折の人生を、彼女の姓である「リヴィエール(川)」と重ねて川の流れに例えています。源流に落とされた雨滴が、自然の摂理に則って高きから低くへいくつもの岩にぶつかりつつ流れ下り、多くの雨滴ないし支流を集めて次第に川をなし、やがて大河となりうねりながら海に注ぎます。まさに彼女の人生そのものです。

彼女の生きた時代は、第一次世界大戦の前から始まりロシア革命を経てファシズムが台頭してきた時代、大きな変化の中でもがいていたヨーロッパの時代でした。独立心が強く、個を持ち続けようという意志の強い女性が、そのような社会に生きようとすれば、自ずから多くの軋轢に遭遇することとなります。彼女の魂が何に魅せられたのかといえば、そのような激動のヨーロッパの時代に、上記の川のように奔流となって流れ下ることとなった運命そのものだったのではないでしょうか。いや、むしろそれに魅せられるのは彼女の魂ではなく読者あるいは読者の魂でもあります。多少の読みにくさを超えて、彼女とあるいはロマン・ロランと対話してみることは必ずや価値のあることだろうと思われます。


なお、本書を読むに至った時のことをエッセイにしております。エッセイ「風に吹かれるアンネット」へ


メール抜粋

少し別の角度から、この作品を考えてみた結果として、ダブリはありますが、友人と交わした二通のメイルから、関係する内容部分を掲げておきます。

M 様

私は、「魅せられたる魂」の7合目をよじ登っています。この本、名うての読書家でもある山中郁子(作家名:秋元有子)さんが、「多少のエネル ギーは必要だが、読んでおきたい名作」と書いていたり、作家の中里恒子さんが「正直に言って、私は努力しながら読了した。ストーリーがおもし ろい小説ではなく、人間の奥底のこころを読む作品であるから、すらすらゆかないのは、むしろ読者としての誠実さ故であると思いたい」と書いており、また、ロマン・ロラン自身、「ここにはけっして論題とか理論とかを求めないように願いたい。そこにただ、ひとつの人生---真摯な、長い、喜びや悲しみに豊かな、矛盾もまぬがれない、あやまちにも豊かな、しかも『真理』に達しえないにしても、私たちの最高の真理である、精神 の調和に達しようとつねに努力するところの生の内面の歴史を見られたい」と序文でいっているくらいの本ですから、難行苦行の連続です。

こうした本は、「資本論」以上に、作者または登場人物とともに行動し考えつつ読まないと、記憶力が減退している年寄りにとっては読んだ意味のない結果になりかねません。作者のメッセージを記憶に残すのでなく、作者とともに生きる、あるいは対話するような読書でなければなりません。こういう本が世の中にはたくさんあります。歳をとると、全ての本でそういう読書をすべきかも知れません。

ようやく朝晩過ごしやすくなってきました。体調に気をつけて過ごしましょう。


M 様

「魅せられたる魂」をようやく読み終わりました。ほぼ三カ月かかりました。

心地よい疲労感と何か足りない満足感、といったところでしょうか。先の見えない開墾地に挑んで、悪戦苦闘しながら、何とか、森林のない境界までたどり着いたような感じでもあります。

なかなかすらすらとはいかない文章。事実の経過を追うのではなく、登場人物の心の動きを辿るところが圧倒的に多く、第一次世界大戦が終わったところなど、「戦争は終った」とかで全てです。そのとき、主人公のアンネットやその妹ほか、周囲の人々が何を考え、何に悩み、敗残兵を助けるにあたり何を思っているか、等々が、例え話や神話の人物の言葉などを借りて語られたりするのは、日本人にはなかなか理解しがたいところです。

読むといっても、筋を追うことは細かなところではほとんど不可能で、読みながら登場人物、とりわけ作者と会話をしながら読むといった感じでした。記憶力は衰えていますので、細かに筋を追うのは諦めざるを得ませんでした。分からないところも多くて、勝手に予想しながら読み進めることが多くなりました。

でも、全体を反芻しながら思いますに、主人公アンネットの、ああでもないこうでもないと悩みながらも生半可には回りに流されずに自立した生き方を貫く、そのような生き方には圧倒されました。晩年、傷つきながら何度も立ち直って後に得た気高いほどの精神で、彼女に続く世代の人々を暖かに包み込んでいる姿は、世にあるどんな賞を当てても不十分なように思えました。終わり近く、共産主義に共感を示すのは、ロマン・ロランの立場なのでしょう。しかし、アンネットの、そしてロマン・ロランの共産主義理解がどうだったのかは極めて不十分にしか分かりません。ガンジーなどのインド精神との融合をも視野に入れていたのかも知れない、と思わせるところも感じられますが、あまり良くは分かりませんでした。

アンネットの姓はリヴィエール=川なのですが、ロマン・ロランは、そこに、川は降った雨を集めて大河となりやがて海に流れ下る、そういうものとして彼女の人生を描いている、と読みました。自然の摂理で川も出来る、小川といえども大河といえども、それは同じです。アンネットは、一度の人生を大河とするべく意識して生きたわけでないけれど、結果として大河となりました。大河は、それに相応しい流域の水を集めます。経験を集めるほどに大河となります。人と自然との相互作用が経験の実体ともいえそうです。アンネットの魂は、そんな川に魅せられたようでもあります。 考えて見ると、ロマン・ロランはジャン・クリストフをもライン川の畔に産み落としました。ロマン・ロランにとって川は、大きなモチーフなのか も知れません。

このメールも、この本を反芻する作業のひとつです。そんなわけで、思いつくまま勝手なことを書きましたが、お許し下さい。

ずいぶんと涼しくなっていますが、日中、暑くなることもあり、やはり気候変動を感じます。お元気にてお過ごし下さい。


メモ

読みながら書いたメモのうちから、書き記しておく価値がなにがしかありそうなものを掲げておくこととします:

運命という「川」に魅せられたアンネットの魂の物語

様々な闘いの人生に魅せられた魂の物語

読みながら登場人物やしばしば作者と対話しつつ読み進める。筋を覚えて読み進むような読書にあらず。

滔々と渦巻き流れ行く川のような物語(まさに大河小説)

ファーブルが出て来る!

理性を大事にするという西欧の伝統が強く、また後半はインド哲学を加味する姿勢がうかがわれるが、それは必ずしも強くはない。

特に晩年は、寛容な精神が目立つようになる。それは、母性にしばしば共通してある包容力より、もう一段強く大きな精神のように見える。一種の愛でもある。

川は自然の摂理に従って流域の水を集めて滔々とした大河となり海に注ぐ。アンネットの人生もリヴィエール(河)という姓の通りにまさにそのような人生であった。

アンネットは人生の終盤に共産主義に行き着くが、その実践にはほとんど踏み込むことなく生を閉じることとなり、それが残された子孫に引き継がれるかどうかは明らかでない。

人生や運命に向き合った人生。不幸やいやなことに決して目を背けず真摯に向き合った故に、強い女性のように読者には見える。それは、ジャン・クリストフとも共通である。

飛行機でビラを撒く革命戦士が登場する。この時代、そういうスタイルが実在したのだろうか。ジャック・チボーもそれをしていのちを失っている。


あらすじ
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(今回読んだ岩波文庫版は、十巻に分れています。それに沿って示すことにします)

第一巻
主人公アンネット・リヴィエールは父を失った折に、異母妹シルヴィがいることを知ります。個性の強い二人は、交流を通し互いに理解し合って行きます。ブリソオ家は別荘が隣り合わせだったのですが、アンネットはその家の子息ロジェと親しくなり、互いに結婚を考えるまでに至ります。しかし、自我を持ち独立心の強いアンネットは、彼に愛情を感じつつもふたりの間に相容れないものを強く感じ別れを決意します。別れたアンネットは、ふたりの胤を宿していることを知るのです。

第二巻
シルヴィはアンネットを強く非難します。道徳は男が作ったものなどとするアンネットの主張はシルヴィと平行線です。シルヴィは彼女に転地を勧めますが、アンネットは土の人であったとみえ海岸地方に馴染めず内陸のサヴォア地方の湖水近くに落ち着き男児マルクを出産します。彼女は戻ったパリの社交界に受け入れられず、軋轢、葛藤が続きます。財産を管理していた公証人の不始末からリヴィエール家は破産、彼女は、マルクをシルヴィに預け仕事につきます。シルヴィはレオポルドと結婚します。アンネットはマルクに愛情を注ぎますが、彼の心とすれ違いが目立ってきます。アンネットは、同年のジュリアンと親しくなりますがしっくり行きません。誰にも親しみを示すアンネット故にレオポルドから辱められそうになり、男女の間を考え直します。シルヴィは女児を出産します。アンネットのマルクへの愛情は強まりますが、マルクの心は母から離れて行きます。

第三巻
シルヴィの娘オデットが突然の死に見舞われます。アンネットは、いろいろな人々との交流の中でいろいろな矛盾を感じ思索を続けます。マルクは中学に通い、母親との葛藤、恋心などを経験し成長して行きます。第一次世界大戦が始まります。

第四巻
第一次世界大戦は激化し男達は次々と出征し、人々の間にはドイツに対する反感が強く巻き起こります。アンネットは、戦地からの避難民の面倒をみるようになります。マルクをパリに残しシルヴィに託し、単身、中部地方の中学の教師として赴きます。その地には古くからの因習、生活様式などが色濃く残っていて、彼女は安易にそれらを肯んじられません。マルクはパリで、陶磁器の修繕をするピタン老人をはじめ諸階層の人々を知り揉まれます。シルヴィのもとに夫レオポルドの死が告げられます。アンネットの任地の町にもドイツ人傷病兵が送り込まれ、人々は彼らを怒号で迎え、彼女は、彼らを平等に扱い町の人々と対立し、中学校から免職されます。彼女は、独仏青年の友情の仲立ちを始め、ピタンの力をも得て、病身のドイツ人俘虜フランツをスイスで待つ彼の友人ジェルマンのもとに脱出させます。マルクは、依然として彼女と反りが合いません。

第五巻
フランツは病気の重いジェルマンに会うことが出来たのですが、ジェルマンは死んでしまいます。アンネットは自らと時代とを見つめ直しスイスからマルクのいるパリに帰ります。スイスの町の郵便局留めになっていたマルクの手紙があることを知り、それを取り寄せます。それを読んだ母は子と話しあい、互いに理解を深めます。マルクは、父の名を知って会いに行きますが、政治家になっている彼の俗な演説に幻滅し彼の前から消え去ります。大戦は終了し、母と子の絆は深まってゆきます。

第六巻
マルクは、成人し何人かの男女の親友も出来、様々な経験を重ねます。アンネットは、マルクのもとから離れダニューブ地方の城館に住み込みます。マルクは、「七人組」のなかで付き合ってゆくが、彼らは、それぞれの個性、主義、立場を持っています。示威行動にも参加します。マルクの懊悩が続きますが、やがて、仲間はちりじりになり、マルクはいろいろな仕事を渡り歩きます。アンネットは、激しい気候や沼地の多いダニューブ地方でしばらく過ごしますが、やがて、城館の下品な家族、沼地の多い環境からくる悪性の感冒から逃げ出しパリにたどり着きます。彼女は、放縦な生活を送っていたマルクを探し出し、新聞界で顔を利かすチモンの秘書兼タイピストとして働き新しい経験をしてゆきます。

第七巻
チモンは金や支配欲に執着する俗物ぶりがめだち退廃的でさえあり、マルクは反発するが、アンネットは、それでもチモンとともに仕事を続けます。やがてチモンはアンネットの仕事の質の高さに気付き尊敬さえするようになり、彼女は、チモンをコントロールするまでになります。マルクは母に新しい特質を見出し打ち解けてゆきます。アンネットはパリを離れます。シルヴィは、「脱線しかかっている!ブレーキを!」と自覚し、店を閉めホテルを売ります。彼女は三人の子どもを養子にしていましたが、そのひとり、ベルナデットをマルクと結びつけようとしますがマルクがそれを拒否します。マルクの生活は困難をきわめますが、アンネットの援助を受けようとしません。しかし、精神的には頼っているのです。マルクは青春の旋風の中にいたのです。カルチェラタンの小さな旅館の隣室に亡命ロシア人で、インテリゲンチャ出身の孤独な女性アーシャがいました。彼女は、貧乏な中でも書店で本を立ち読みするような女です。彼女は、衰弱していたマルクの看病や世話をしていたのですが、アンネットのことを知り、電報でイギリスから呼び帰し、マルクはア−シャの部屋で意識を回復します。マルクとアーシャは結婚することになります。

第八巻
自由な精神、個人主義をそれぞれ強く持つマルクとアーシャは、精神、思想のすれ違い、不和、軋轢を時々経験し、アンネットはその修復に手を貸したりして相互に理解し自己変革を進めます。マルクはガンジーの「無暴力」を知ることとなります。ふたりの間には、ヴァニヤが生まれました。コミンテルンの秘密の使命を帯びたヂト・ヂャネリヅェにアーシャは近付き、ヂャネリヅェとの不貞に至り、マルクは彼女を追い出します。マルクはマルクスからガンジーなどの思想に自分の進む道を探します。アーシャは、タイピスト兼速記者の仕事を通しヨーロッパの現状を掴んでゆきます。アーシャの心はマルクに戻ってゆき、やがてふたりは和解します。マルクとアーシャは、共産主義のパンフレットなどの出版をするようになり、彼らには危険が近付きつつありました。アンネットは、旧知のジュリアン・ダヴィ、キアレンツァ伯爵などと親交を深めてゆきます。

第九巻
キアレンツァ伯ブルノーは、インド、チベットで研究旅行を行い悟りを開き、イタリア南部の復興に力を注ぎます。アンネットは、パリにいたジュリアン・ダヴィとその娘ジョルジュ達と絆を深めます。ファシズムとの闘いも始まっていました。アンネットはジョルジュを養女として迎え、やがてマルクも彼らの輪に加わります。マルクは闘争の準備を進め、いろいろな集会に参加します。アーシャはマルクをスイスに避難させます。スイスで知り合ったユダヤ人銀行家と少年がファシストに襲われ、マルクは彼らを助けようとその場に飛び込んで行き、刺され死にます。アンネットは、悲しみに耐え、アーシャを励まします。アンネットとアーシャは、マルクを田舎の墓地に埋葬しました。パリに帰りひとりになったアンネットは、悲しみの中で、彼女の生活の中心に常にマルクがいたことに気づきます。彼女は、内心の苦悩の日夜を経て、息子の生活をみずから生きようとするのでした。

第十巻
アンネットにはマルクの生命と死が浸透していきました。アーシャは悲しみの重荷をひとりで担っていましたが、やがてアメリカ人の技師と結婚します。それを聞きシルヴィは憤慨しジョルジュは落胆しますが、アンネットはアーシャを抱きしめます。アンネットは、反ファシズム闘争の場に顔を出すようになるのですが、病魔が徐々に彼女を冒し始めていました。シルヴィは40才で逝きます。アーシャはアメリカで良人とともに革命運動に携わり、二人の子供がいたのですが、やがて、未亡人となりソ連に行くことになります。アンネットは、死の床で、アーシャ、ヴァニヤたちに囲まれ、「私たちはいっしょに歩いて行こう。同じリヴィエール・・・・・・」、と。そして、「魅せられたる魂」の周期が完結するのでした。

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