好きな土地が減ってゆく

エッセイの目次へ戻る

好きな土地、行ってみたい土地などというものがあるものだが、そのような土地の数は歳をとるに従って減ってくるらしい。他の年寄りにも聞いてみたいが、それはさておいて、どんな風に減ってくるかというと、まず、風景がすっかり変わってしまう場合である。

私が子供時代を過ごした土地は2個所であるが、いずれも狭い平野であった。小さいのは、山が迫っているため。緑の山を背景にして、その平野に早苗が植えられ、根付き、育って緑が一面に広がった景色はなんともすがすがしくて好きな風景だった。黄色く色づいた風景も見事であった。あちらこちらの集落がその中にアクセントをつけ、何とも言えないバランスを醸していた。そんなことで、故郷は長らく好きな土地であった。

昭和30年代後半、その小平野が大きな工場や住宅地に次第に蚕食され、私も大学に遊びに行ってその地を離れた間にすっかり田圃も消えてしまった。以来、その風景は思い出の中にしかないものになり、山などの佇まいは残っているとはいえ、かつての全体としてのその土地は現実には存在しないのである。

同様な土地は、故郷以外にもある。もう一度行きたい場所などの形で、好きな土地がある。それが変容により好きでなくなってしまうのである。乱開発が進む時代には、そういうケースは増えるであろう。

もうひとつの減り方は、全く精神的なものである。ある土地のイメージが、変容のあるなしにかかわらず悪くなってしまうことがある。

とても好きだった土地があったとしよう。たまたまその土地にゆかりの人がいて、その人はその土地ゆかりの人であるという何のことはない普通の認識のみあった。ところが、何かの事件などが起こって、その人のイメージがすっかり悪くなってしまった途端、その人を嫌いになると同時にその土地も嫌いになったということがないだろうか。

私の場合、その人に意地悪をされたり、嫌なことがあってその人が嫌いになって、その途端、その人ゆかりの土地、それは出身地だったり、勤務地だったりするのだが、その土地をも嫌いになってしまうのである。この場合は、その土地に問題があったのではなく、人の側、それもゆかりの人に問題があることもあり、そうではなく、私自身に問題あり、の場合もあるわけであるが、いずれにしてもそんな風にして好きな土地が少しずつ減ってゆくのである。

対策は、修行を積んで人を嫌いにならないことだろうが、それがむずかしくとも、好きな土地を新しく発見すればよい。そのためには、旅をする、じっくりと旅をすることである。

エッセイの目次へ戻る