生命とは何か―物理的にみた生細胞    

        E.シュレーディンガー(著)、岡 小天(訳)、 鎮目 恭夫(訳)  岩波新書

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非周期性結晶を歯車とする時計仕掛けとしての生物, 2007/7/19

物理学の立場から生命をどう見るか。まず、遺伝の仕組みに関する考察を通して、遺伝子の大きさや永続性という特性に注目します。突然変異の考察を通して、その不連続性に注目します。そして、それらは、古典物理学では説明しきれず、量子論ではじめて説明可能となるとして、突然変異と量子飛躍の関連を考察し、遺伝子という分子の安定度がいかにして得られているかを示してくれます。そこには、熱力学の第2法則も貫徹しており、生物体は環境から「秩序」を引き出すことにより維持されているのです。かくして、生物は、非周期性結晶を歯車とする時計仕掛けのようなものであると要約します。さらにエピローグでは、それらを哲学的に敷衍して、「私」とは、「原子の運動」を自然法則に従って制御する人間である、という論をも導き出します。

さて、この本の出版から10年後に、この本に触発されたワトソンとクリックがDNAのらせん構造を提起するのですが、実に、上記の非周期的結晶の基本物質がDNAだったわけです。

しかし、この本を読んで感じたのは、そのような先駆性のみならず、内容の広さ、深さでした。

まず、生命の全体像を理解する上で、この本の示唆するところは大きく広いのではないか、ということでした。分子生物学から生態学まで、生物学に関心のある向きは、本書を繰り返し精読してシュレーディンガーと対話を深められたら得ることが多いのではないでしょうか。そのためには、この本、現在品切れ、是非、重版をしてほしいです。

つぎに、この本を自然界の階層性の概念により再構成したらおもしろかろう、と思いました。どなたか、やってごらんになりませんか?

さらに、この本に詩を感じたといえば、それはお前の勝手だろう、といわれそうですが、リルケの「彼は詩人であって、曖昧なことが嫌いであった」を思い出したのです。

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