TAO―老子の道〈上〉〈下〉
和尚 (著), スワミ・プレム プラブッダ (翻訳)
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(上) 「悟り・覚醒」に向け「老子の道」を外挿する書, 2006/5/4
下巻をも合わせると、老子道徳経全81章の内、22章を選んで詳論する。全章でないのにこのページ数:上下合して約900ページ!!
論ずるときの構造は、上下とも第1話から10話まで共通している。すなわち、まずその章の意訳を与えた後、老子の当該章の神髄をアナロジカルに語る。アナロジカルというのは、「老子の言わんとしたことには言葉で表せない知を多く含むのでアナロジーでしか言えない」ため。それに続けて、多くの事例、エピソードを交えた逐条的解釈と外挿を綿密に行う。そこでは、歴史上の人物、例えばアリストテレスから毛沢東、シモーヌ・ヴェイユまで、多くの言説ほかを賛否交えて取り上げる。宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教などの説くところが頻繁に引かれる。これは、老子の注解書ではなく、老子の応用編ないし「老子の道」を「悟り・覚醒」に向け外挿する書である。
なお、老子の主張を解説するに際し弁証法とりわけ矛盾論が繁く展開される。これは、ヘーゲルなどの西洋流でなく東洋風の印象を受ける(それらの異同は今後の課題か)。ちなみに、毛沢東「矛盾論」や張鍾元「老子の思想―タオ・新しい思惟への道」のそれは西洋仕込みである。
(下) 知識としての老子でなく、理解する老子を・・・, 2006/5/4
上巻のレビューでは、本書の構造、論じ方などの外枠について記したので、ここでは上下巻の”内容”に関しレビューする。とはいえ、本書のストーリーを延べることは不可能なので、老子の解釈、応用に関し印象に残ったことをキーワード的にいくつかを列記する。
過去と未来はあるが、現在はない。存在、実存、seinの重要性=今を大事に生きなさい。循環は永遠の法則。「全体」を生きることが大切、バランスも。内奥無比が肝心。知識と認識は違い、「知識は重荷になる」すなわち知識となったとたんにそれは死ぬ(この書に開陳される知識の多さと深さ、これは何なのか!?)等々・・・
本書で扱うことは、いずれも現代人にとって大切なこと、原文にあたってほしいと言うしかない。そして、「知識としての老子でなく、理解する老子でなくては本物でない」とする本書の意図からすれば、この本は理解のための演習、ゼミナールを用意していると解すべきであろう。