越後妻有アート・トリエンナーレは、今回が3回目。その中で、8月5日、室野地区で展開された太鼓フェスティバルは、私にはポラーノの広場の祝祭のように思えた。






なお、皆さんご存じの宮沢賢治の「ポラーノの広場」は、もう一度、お読みいただきたいと思いますが、その筋書きのサイトを付しました。参考になさって下さい。

写真房目次へ戻る

私たちは、棚田や畑、斜面に拡がる森や集落を眺めながら、ポラーノの広場があるといわれる方向に、つめくさのあかりを目印に、山の中に入っていった。
渋海川(しぶみがわ)の上流に沿って行くと、黄色い竿の列が並んでいるのが見えた。私たちは、ポラーノの広場が近いのか、いや、この田圃こそ、新しいポラーノの広場に違いない、と思った。
その田圃を見渡せる所まで来ると、田圃のあちこちに、もう、大勢の人たちが集まっていて、テントや大きな太鼓などをも見ることが出来る。私たちは、農道を大勢の人たちと一緒に、下の田圃に降りていった。実は、この広場は、磯辺行久さんの「農舞楽回廊」という大地の芸術祭参加作品なのである。
田圃の周りには、やぐらが建ててあったり、人々が座る場所を作ったり、小高い丘の上では大きな鐘を据え付けたりしている。まさにお祭り直前の雰囲気が漂っている。陽もだいぶ傾いてきた。
田圃の外れまで来てみると、そこには、「江戸時代には、この方向に渋海川が大きく迂回して流れていた」と大書した幕が長〜く張り巡らされている。渋海川は、以前、この黄色い竿に沿って流れていた。太古から山の裾を水の力に応じて流れては土砂を低みに蓄えてきたのである。人々は、そのようなところに田圃を拓いてきたが、よりたくさんの米をとるため、水田の面積がもっとも多くなるように工夫して、川の位置を変えてきた。ここではそれを瀬替えと呼んでいるのである。
田圃の畦には、小さな火が灯された竹筒のランタンが立ててある。先ほどから、遠くからつめくさのあかりとみえたのは、これだったのである。
黄色のポールが立てられたあぜ道を人々が続々と集まってくる。ファゼーロやロザーロの兄弟も、つめくさのあかりの番号を数えながらこちら近づいてくる。
浴衣姿のお嬢さんやお母さんの姿もけっこう目につく。陽も山際に沈んで、つめくさのあかりのような竹のランタンもだんだん目立つようになってきた。向こうの巨大な太鼓が皆さん、気になるのである。
その太鼓が、先ほどからドン、ド〜ンと不規則に鳴っている。集まってきた人の中から、我こそはという人が、指導を受けながらバチを打ち付けているのである。山猫博士デステゥパーゴも今日は法被ハチマキで太鼓の指導員である。
太鼓の列も本番を待ちかまえているし、人々は、それぞれここが一番、という場所を選んでシートを敷き腰を下ろして本番開始を待っている。
巨大太鼓には、いろんな人が次々と挑戦している。
日の光が最後に射しているアジサイの咲く池の畔にも、太鼓打ちの一隊が控えている。
たいまつの火もだんだん燃えさかって、人々を迎えている。
高台の鐘が、祭りの開始を知らすため打ち鳴らされた。
いつもは羊を追っているミーロも畦から落ちないように注意しながらやってきた。中央舞台の準備も整った。
たいまつが燃えさかり、遠くの太鼓舞台もすっかり用意が出来た。
まず、一の太鼓が轟き始めた。この舞台には、「瀬替」という名前がついている。
瀬替の太鼓は、ますます熱がこもってくる。
たいまつの陽炎の向こうで、太鼓はますます強く高く鳴り響き、人々の耳を釘付けにする。
月も出てきた。中央舞台では、外国から来たドラマー達が異国のリズムを刻み始めた。人々は、太鼓の鳴る方向へあぜ道を移動したりしている。
八丈島から来た太鼓部隊は、照明に照らされて、黄色な掛け声と島のリズムを漆黒の闇に振りまいた。イネもなびいて太鼓に合わせる。
若い力が太鼓よ破れろ、とばかりにエネルギーをぶつけている。
舞台の上では、ふたたび、ヨーロッパからのゲストの金属的な太鼓の音が轟く。日本の仲間も裏方を務めている。
舞台の上と下で掛け合いの太鼓の乱打が続く。笛の音もかき消えそうな熱気である。ファゼーロもロザーロもミーロもデステゥパーゴも舞台の上下で手打ち足ならして踊っている。
夜が更けてきても、坊やはリズムに乗って歩き回っている。外国からのお客様もにこにことそれをみて歩き過ぎる。つめくさのあかりもますます輝く。
やぐらのあかりは、太鼓のプログラムが終わってからも明るく輝いて余韻を楽しんでいた。

 つめくさ灯ともす 夜のひろば
 むかしのラルゴを うたひかわし
 雲をもどよもし 夜風にわすれて
 とりいれまじかに 年ようれぬ

ポラーノの広場は、静かにその幕を閉じた。



写真房の目次へ戻る
トップページへ