人間の壁 (上・中・下) 石川達三著 新潮文庫 (上-1961/03) (中- 1961/4)(下-1972/05)
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近年の教育界の問題を映し出す鏡としても, 2008/5/6
「この作品に扱われている時間は、昭和三十一年春から翌年五月までの間である」と新潮文庫版(下)で解説の久保田正文さんは書いておられる。私は当時、中学二年生から三年生にかけて。朝鮮戦争特需はあったものの鳩山首相の時代であり、池田首相の所得倍増計画(三十六年一月)には間があって国民の生活はまだまだ貧しかった。戦後の民主化は、朝鮮戦争を目前に大きく右旋回し、教育の中央統制も強化されていた。
この作品の舞台のS県も地方財政危機に陥り自治庁の支配下に置かれつつあった。それを口実に、教員の首切りが強行され、それはとりわけ日教組の活動を弱小化し、保護者からも切り離そうとする方向で進められた。それに対し教師達は、子どもたちをすし詰め教室から開放してこころの通った教育を実現するため、父母をはじめ地域の人々とも手を携え自主的で創造的な教育を実現しようと、教育研究集会への取り組みとも合わせて労組の運動を進めてゆく。主人公のふみ子は、炭坑と漁業の町でまだまだ多かった貧しい子どもたちをはじめいろいろな子どもたちを教え導きながら自らも教育の何たるかを身につけてゆくのであるが、他方で、彼女に対する首切り反対から始まって、離婚して去った夫が、第二組合作りという裏切りに走るのを見たりするなかで、教育の場における教師の団結の大切さと組合運動の役割を自覚するようになって行く。
ひるがえって、現在の学校崩壊などともいわれる教育危機の状況を見てみると、時代と具体的状況は異なるとはいえ、共通の課題が描かれているように思える。文部省の支配が強まり、教育の場に持ち込まれようとする競争原理のもとで、子どもたちは分断され格差をつけられようとしている。教師は、仕事量が増え、強化される管理、一部保護者からの突き上げなど大きなストレスに晒されている。労働組合の組織率は低下し、自己責任で何とかすべきと考える教師が増える。他方で、責任回避策を身につけた教師も増える。私見では、これを打ち破るのは連帯を強く意識した労働組合の再構築しかない、と考えるのであるが、それは、まさに主人公ふみ子の探し当てた道である。あの時代の教員がどのような状況に置かれ、どのように行動したか、などを振り返るとともに、状況の違いを超えて、今現在の教育界の問題を基本的なところで映し出す鏡としても読める作品である。