このままで良いはずがない
日本の社会はこのままで良いはずがない、と多くの人が漠然と感じています。それはどこから来るのでしょうか。 まず現状を考えてみましょう。大企業はバブル期以降では最高の利益をあげ、トヨタは世界1の売り上げを競うようになっています。大都会では、大きなビルが建ちその中へ入ればお話の世界の宮殿に来たのではないかと思うばかりです。 どうやら大金持ちがいるらしいのですが、反面で、国民の多くは、わが暮らし楽にならざると、ジッと手をみるのです。その手のひらから次々と浮かび上がる姿は・・・ワーキングプアと呼ばれる階層の人々が増加し、生活保護基準に達する人々が増えるなかで、政府の福祉予算緊縮政策により生活保護の支給者は基準に達する人たちの数分の一に過ぎず、残業代が払われない状況は普通のこととなり、非正規雇用がどんどん増えてきた・・・そんな姿です。 その辺りがどうして出てきたのか、今年(2008年)の正月、新聞などで少し勉強してみました。すると次のようなことが見えてきました。 国は、規制緩和といって政府からの規制を緩和するふりをして、実際はその反対に資本(企業)が権力をもっと多く強く手中にするための規制緩和を強行しました。これは、小泉流二枚舌、つまり、威勢の良い総論的セリフとその裏での正反対の各論実行、というやり方によるものでした。雇用の規制緩和の影響はことのほか大きかったのです。サービス残業や非正規雇用の増加、下請け虐めなどにより労賃を削れないところまで削り取るシステムを作り上げ、利益の分配を勤労家庭から資本側(企業部門)に大きくシフトさせました。そして、利益はお客様や勤労国民に還元せず、株主に還元し大株主は大もうけしました。これは、客より株主重視のアメリカ型経営システムを大企業が取り入れてきた結果だったのです。 この辺りの実態を代表的な数字で確認しておきます。2001年からの5年間で、企業の利益は1.8倍、役員報酬は2.7倍、株式配当は2.8倍といずれも大きく増加しているのです。その反面、労働賃金はマイナス3.8%と減少しているのです。 構造改革では、小さな政府でなければいけない、大きな政府をぶっ壊すといって、まず公務員を削減しました。実際には、独法化などにしばしばみられるように数合わせが中心で、エリート官僚の数はほとんど変わらず実際に減ったのは現場の第一線で働く公務員でした。公務員でなくなった彼らも、公務員として残った彼らも労働強化で、必要な作業をこなすため雇われたのは低賃金の非正規雇用者でした。民間委託はそれ以前から増えてきていました。 他方で、大きな政府の最たるものは国債残高で、この額は世界一です。これは、もともと国民の懐から掻き集めて企業に使わせているものです。ほんとうなら史上最高の利益を上げ続けている企業は、そうやって国民から借りたのだから、企業の責任で返すべきなのでしょうが、そうせずにまたもや国民からの税金で返そうとするのです。後期高齢者福祉医療制度などは、そのような発想の典型例です。 最近の企業の繁栄は、国民の果てしない犠牲の上に実現されているものです。犠牲の中で、福祉・医療の後退は、上で触れた後期高齢者福祉医療制度だけでなく、大きな怒りを呼び起こしています。例えば、2006年の診療報酬改定で、回復の見込みのないリハビリは、発病から最大180日で保健医療が打ち切られることになったのですが、社会学者の鶴見和子さんは、脳出血で倒れ、この改定のもとで亡くなったのだそうです。絶筆の中で「この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだ」と書いておられます。これは単なる私憤ではなく、命がけの告発といえるのではないでしょうか。 次に、投機マネーについてです。 企業は普通、5%の利益を上げていれば成り立つはずです。ところが、規制緩和のもとで、隣に10%の企業が現れたら、お金は10%のところにしかいかなくなるのだそうです。さらに、リストラをやり、賃金を減らせぱ減らすほど、ROE(株主資本利益率)というものが上がって株も上がる仕組みになっているのだそうです。そういう競争で稼いだお金が実体経済に有効に使われることなく、企業の買収や先物取引などに使われます。増えた利益は、勤労国民にはほとんど回らず、資本の投機に流れるのです。 原油や穀物の価格高騰は投機マネー、それも国際投機マネーによるところが大です。日本を代表する新日鉄のような企業でさえ、買収におびえざるをえない・・・その株を動かしているのが外資なのです。去年(2007年)のドイツのハイリゲンダム・サミットでは、国際社会が協調して投機マネーを規制すべきだとドイツが提案したた時、反対したのは日本とアメリカだったといいます。それにはそれなりのわけがあるはずです。つまり、規制しないほうが両国首脳にとって有利なのでしょう。 以上のことから、とりあえず、規制緩和、構造改革に代表される日本の経済政策によって、格差(はっきりいえば貧困)など経済のひずみが生み出されており、それら政策をも含むグローバルな新自由主義路線が投機マネーを生み出し、その力が原油や穀物の高騰をあおって、その結果、格差・貧困が拡大再生産される。そのような構図が見えてきます。 貧困の問題にしろ、マネー資本主義あるいは投機資本主義の問題にしろ、日本の資本主義として、このような路線をこのまま続けていけば、問題を解決するどころか、取り返しのつかないことになる、という危惧が財界内部からさえささやかれています。日本の経済は持続可能性を失おうとしているのです。大企業の利益優先から国民生活の真の豊かさに力点を変えないといけない、というこれからの方向が見えてくるのです。 財界は、大企業の利益を資本に組み入れることなしに国民経済の向上はあり得ない、といってきました。しかし、財界のこの理屈は今や幻想となったと近年の事実が示しています。逆に、大企業の利益を勤労国民の側により厚く還元し購買力を増強するならば、格差を解消し経済に活気をもたらすのではないか。それによって国民の生活はうるおいと豊かさを回復するのではないでしょうか。それをやってみる時期に来たのではないかと思われます。これが大雑把ですが結論です。 なお、日本の経済のあり方を本格的に考えるにあたっては、その他多くの問題を考えなければなりません。環境の問題、市場経済の問題(環境以外でも、福祉、教育、食料・農業は市場に任せてはいけない、といわれています)、その他、日米関係、憲法9条、平和下における経済の問題なども重要です。それらに関し、どうしたらよいか、さらに具体的な考察は別の機会に試みることとします。 |