完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上
ジャン=アンリ・ファーブル
(著), 奥本
大三郎 (翻訳) 集英社 2009/3
本能の不思議, (2009/8/21)
先日、テレビ番組で「動物は死を意識できないことが最近の研究で分かった」と報じていました。ファーブルは、この巻のはじめの部分で、このテーマを扱います。死んだふりをするとされるオサムシ、ゴミムシなどを観察し、また、実験室へ虫たちを連れてきて実験します。火に囲まれたサソリが自殺するという俗説について追試します。シチメンチョウに催眠術をかけた子ども時代の悪戯を再現します。それらにもとづき、死について考察します。上記テレビ番組では、さらに「死を知っているのは人間だけである」と言っていましたが・・・
昆虫が冬ごもりしている間に古銭や化石の話をしようというひとつの章を挟んで、後半では、いろいろなゾウムシをとりあげ、産卵から子育てなどの生態を観察します。ゾウムシの仲間の内、ある種ではアザミの蕾に産卵しますが、他の種では固いドングリの実に穴をあける。他の種では、ポプラやブドウの葉を巻いてそこに産卵します。これら比較により、似たような姿をしている昆虫でもその生態は随分異なることを明らかにします。逆に姿形は違っても同じような生態のものをも考察します。これらの考察は実に十章にわたります。
ファーブルは、それらの考察を通してつねに進化論を批判し、本能の本質を追い続けます。本巻の最終章では、その想いを格調高く謳い上げています。そのあたりは、現代的な話題でもあり、もしファーブルが最近の遺伝子科学の発展を踏まえて考察すれば、また違った書きっぷりになっていたかも知れません。