小泉劇場「枯れ尾花」・・・民営化 正体見たり 枯れ尾花
原作:小泉純一郎 脚色:時の流れと民(たみ)の声 予告編 時:2005年秋、総選挙に向けて小泉純一郎が選挙カーなどから叫ぶがごとくフレーズを流しまくる。「官から民へ」「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」 解説:マスコミは、これを小泉劇場と呼んだ。小泉劇場とは、実は、規制緩和、民営化、構造改革の予告編だった。肝心なところは隠して耳障りの良いフレーズが並び、本番のお楽しみということになっていた。「お楽しみ」どころか、大変なことになろうとは、その当時、どれだけの人が予想したろうか。 本番は全4幕 時:2008年から2009年にかけて 第1幕:リーマンブラザースの破綻 時:2008年秋から冬にかけて 所:アメリカ、ニューヨーク市ウォール街と東京証券取引所 あらすじ:金融ビッグバンとは何だったのか。身近では預金金利がゼロになったことの意味が分かった。 「預金から投資へ」というスローガンの下、庶民のなけなしの貯金まで証券などに振り向けさせ、金融市場に吸い上げようとするものだった。金融ビッグバンとは、庶民の預金や各種運用資金などをふくらませて取り込み、金融市場を拡大し、そこでギャンブルを展開し、大きなリスクの下で、そのリスクをさける金融工学と称するIT技術まで駆使して、目先の利益を追い求めたものであった。投資ファンドといわれる専門家集団が大企業を後ろ盾にして世界中で泡銭を追い求めたのであった。日本の株などもそれら投資家のウェイトが大きくなった。アメリカでは、低所得者向け住宅ローンが破綻し、自動車ローンも続き、トヨタ車も売れなくなった。アメリカなどへの輸出に頼るところが大きかった日本の輸出企業は、軒並みそのあおりを食うこととなった。 第2幕:年越し派遣村 時:2008年暮れから翌年正月 所:日本、日比谷公園 あらすじ:規制緩和が何だったのかが分かった。 アメリカ大統領が、もっぱらアメリカ大企業の番頭役を演じているのは有名だが、それは、日本でも同じこと。現政権与党の選挙資金は、その大部を大企業などからの献金に依存するのだから、政府が何よりも献金醵出元である大企業の利益のために働くのは理由がある。 大企業に代表される資本陣営は、グローバル化した経済の下で、競争に打ち勝って利潤を伸ばし続けるためには、コスト削減をどこまでも追求し続ける。物理的なコストが切り下げられないところに来ると、下請けのコストをトコトン切り詰める。それも限界に来ると、労働者の賃金を切り下げに掛かる。実際には、それらは同時並行で行われる。 それらが限度に来ると、労働の形態を変えに掛かる。1990年代の資本陣営にとって、国際競争力強化を旗印に、競争に勝ち抜くために何をすべきかが大きな課題となっていた。その回答として、金融工学などを駆使したギャンブルと調整可能な労働力、この二つを、日本の大企業は利潤追求の2大手法としたのであった。後者に関しては、働く者が大企業の調整弁のように「もの」扱いされることとなったのである。そして、金融危機が始まり前者が上手く行かないことがはっきりしたとき、後者の「活用」に走ったというわけである。そして、政府が、働く者の悲劇には目を向けず、金融工学の失敗をどうするかにかまけているうちに(それに対しても、実は、ほとんど無策なのだが)、日本経済のリーディング・カンパニーを自負した大企業各社が、非正規切りを大々的にやり始めた。そこで、労働側では、草の根の力により「年越し派遣村」を日比谷公園に展開することとなったのであった。 第3幕:かんぽの宿 時:2009年2月 所:首相官邸と国会 あらすじ:郵政民営化が大企業のためであり、民のためでなかったことが分った。 かんぽの宿のオリックスへの超安値の一括売却は、規制緩和、民営化の目的が何のためであるかを白日の下にさらけ出させた。規制緩和というのは、国民の財産を民と呼ばれる大企業にたたき売りするということだったらしい。規制緩和の本質が国民の目に見えたのである。 これらに対し、国会は、多くの政党と議員がなすすべをもたず、与党は、解散することも出来ず、最大野党は有効な対抗策を示すことなく早く解散せよというばかり。泥仕合の形相がエスカレートしつつある。他方で、国民は、いったい誰に願いを託したらよいか、決めかねている。国民に対しても、その知恵と力が試されているのである。 「官から民へ」など、小泉劇場のスローガンの民(みん)が民(たみ)でなく大企業のことだったことがはっきりしたのである。 第4幕:2009総選挙 時:2009年夏 所:日本全国津々浦々 あらすじ:民(たみ)が掴んだのは枯れ尾花。今や、反撃が始まった。 資本は目に触れない地下で栄養をしこたま貯め込んでやがて旺盛な一花を咲かせようと企んでいたのであった。そして、民(たみ)が掴まされたのは枯れ尾花、それが分かった今、この選挙でなすべきことも明白になった。地下にため込んだ養分を民(たみ)のために使わせよう。かくして2009年総選挙は、歴史的意味を持つものとなった。(第4幕のこの後のシナリオは、国民が書かなければならない) |