磁力と重力の発見〈1、2、3〉

                山本 義隆(著) みすず書房

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第1巻

磁力と重力が主人公の物語風な科学思想史, 2004/4/18

 この本3巻とも、磁力と重力が主人公の物語のような科学思想史である。著者は、その歴史を、機械論的要素還元主義と有機体的全体論とがねじれあって進む曲がりくねった流れとして描き出す。その主流は、遠隔作用する力があるか否かをめぐる流れ。幼い主人公たちの成長の物語である。

 第1巻では、古代ギリシャから古代ローマのプリニウス「博物誌」を経て中世に入り、アウグスティヌス「神の国」以来1000年のヨーロッパにおける自然研究の停滞に至る流れが物語られる。航海や農業の前進、大学の創設に象徴される学問の発達を背景に、この時代、磁力の認識がゆっくり進展したことが示される。しかし、それはキリスト教世界よりもイスラム教世界の流れに影響されるところ大であった。古代ギリシャ哲学の再評価もイスラム社会がリードした。ペレグリヌスによる磁極の発見が次の時代との画期をなす。
 形而上の世界での知恵のすばらしさと形而下の世界での幼稚さが際だち、科学より哲学が圧倒的に優勢な時代であった。

第2巻

魔術と16世紀文化革命, 2004/4/18

 著者は、実験魔術あるいはルネッサンス魔術の展開を科学変革の流れととらえ、また16世紀文化革命なる概念を用いてこの時代の意義を強調する。科学史上におけるこれらの流れはまさに物語のようにドラマチックで斬新である。

 ルネッサンスといえば、人間復活、芸術の開花、学問の進歩等々がいわれるが、この時代は、キリスト教の腐敗が進み魔術が流行し異端弾圧も激化した時代であった。また、商品経済の発展が顕著になり、羅針盤と鉄砲を積んで大航海時代が進展して行く時代でもあった。そのような中で、自然魔術は実験魔術といえるような形で展開され、経験科学、実験科学が普及していった。実践的な思考が普及し、科学方法論も「なぜ」から「どのように」、つまり定性から定量へとすすみ、その成果が自国語で印刷されて広まるという動きを見せた。磁気に関しては偏角・俯角の発見と測定、地球上の磁極の発見などに代表される進展を見せた。

 この巻も、第1巻(のカスタマーレビューでもふれた)と同様に、機械論と全体論のねじれ具合がおもしろい。

第3巻

魔術的な遠隔力の科学理論化成る, 2004/4/18

 近代の夜明けは、明治時代が華やかな人物列伝で飾られるように、この巻も、教科書で聞き慣れた多くの科学者が登場する。それら科学者が、得体の知れない魔術的な遠隔力を合理的なものとしてどのように認識してゆくかがドラマチックに描かれる。この巻で、初めて数式が登場するが、それは、この時代になって初めて定量的な実験物理学が成立することに照応する。もちろん、数式をすべて追わなくともそのドラマの筋を追うことは可能である。でも、分かるところだけでも読みとればそれだけリアルな姿をみることができる。この巻は、ケプラー前後から始まってニュートンを経てクーロンまでのドラマを描いている。

 きら星のように登場する大学者の評価が教科書などのそれと違うところはおもしろい。ごく一部だけ紹介すると、たとえば、ガリレイは合理的すぎて、またデカルトは単純すぎて磁力、重力の科学理論化に失敗した、などであるが、それがベーコンやニュートン、その他についてもそれぞれ開陳される。特に、デカルトの科学史上の役回りは、磁力、重力以外でも従来の評価の主流とはかなり違う。そのあたりのおもしろさを原文にあたって味わってほしい。
 誰かが新しい立論をするとしばしば批判や非難が出る。それにどう反論したか、をみると改めてその立論により何がどう前進したのかが分かりやすくなる。そのような3巻に共通する書き方も、この長いドラマをいっそうドラマチックに仕立てている。

 著者の視点のユニークさは、30年以上にわたって持続しているようである。

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