ひとりの女の顔にもドラマが・・・滝平二郎遺作展を見て

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茨城県出身の滝平二郎(たきだいらじろう)さんは、2009年に88歳で亡くなっていますが、その遺作展「さよなら 滝平二郎−はるかなるふるさとへ−」が、水戸市にある茨城県近代美術館で開催中(2010年11月3日〜2011年1月10日)です。今日(2011年1月3日)は、それに行ってきました。

滝平さんの木版画やきりえは、「八郎」「ベロ出しチョンマ」「モチモチの木」などの絵本や朝日新聞の長期連載などで有名です。それらの主だったものを一堂に集めた遺作展です。

若い頃の作品は、農家の次男坊に生まれたことによるのか、お百姓さんを描いたものが多いのですが、1960年頃から、後年、きりえで展開される滝平ワールドが見えるようになります。それと、もうひとつ、切り絵に良く登場する姉弟の姉に描かれる女性像があります。それは、1950年代前半に現れ、1960年頃にはしっかりと確立されます。一緒に見に行った連れ合いの説では、お姉さんがいなかった二郎さんのあこがれの女性、なのだそうです。多分、そうなのでしょう。

この展覧会で教えられた最大のことなのですが、子どもたちが中心の四季折々のきりえなど一枚の絵にもちょっとしたドラマが見えるのです。たとえば、「赤とんぼ」と題された1981年の作。

        
「あかとんぼ」(1981年)

赤とんぼが飛び交いコスモスが咲く夕暮れの道にいつもの三姉弟が棒で大きな風呂敷包みを下げて歩いてきます。よく見ると、風呂敷から首を出しているのは多分酒の瓶と思われます。瓶の口のところに赤とんぼが止まりました。「兄ちゃん、とんぼがとまったよ」「あっ、ほんとだ」。じっととまっています。きっと、びんの口に滲み付いた酒が美味くてとんぼはそれにすいついたまま動けないのでしょう。「このとんぼも、父ちゃんみたいに飲兵衛なんだね、きっと。だって、父ちゃんみたいにまっ赤だもの」などと会話が進みます。

滝平さんご自身が書いておられます:「かつて私は『たった一人の女の顔の中にも、私がさがし求めてやまないのは、人間のドラマである』と言ったことがありますが、そうなのです。まさに人間のドラマを抜きにして私の絵を考えることはできません」(「随筆#1『滝平二郎望郷篇』1979年」より)

確かに、若い頃の作「鎌、その1」は、研いだ鎌の切れ味を試す指先と刃を見据える鋭い目は、何か厳しいものを物語っています。「たより」と題した縦長の絵では、樹下で一服するお百姓家族の元へ郵便屋さんが便りを届け、ついでにお茶をご馳走になっているのですが、木の陰でみんなに背を向けて手紙を開いている娘の横顔はとても真剣です。題名の英訳には「Love letter」と書かれています。加えて、画面の手前に家族と離れて大きめに描かれる路端の背負い籠・・・、一生懸命に野良で働いて樹下に憩うべくたどり着いたときの息遣いがその籠には残っているようです。展示されているどの絵にも、多少のアクセントのように、あるいはちょっとした短編小説のようにリアルなドラマが見てとれるのです。

私は、下手くそな小説を書いていますが、小説を書いたつもりが、しばしば、お前の書きものにはドラマも物語もなくて説明ばかりだ、などと評されます。小説と絵では形式は違うのですが、内容では同じなんだ、というのもこの展覧会から学んだところです。滝平二郎の絵が多くの人たちの心をとらえ、多くの人たちに愛されるのは、なつかしさを感じさせる題材もさることながら、そんなところにも原因があるのでしょう。

いやしくもひとさまにご覧頂くには、こうしたことに通づる何かがなければいけないのかも知れません。伝えるべきものがはっきりしていないのなら書くな、ということかも知れません。その点で、この文章は、皆様に何かが届いたでしょうか。

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