中国東北旅日誌

参加者名及び日程表はここ
写真集「大連、ハルピン、長春、瀋陽2005」はこちら

旅程マップー作成者TOMO

   GPSから地図に落したもの。
青線が行きのハルビンまで、赤線がそれ以後帰国までのルート。

 備忘録です。旅行記は別に作成。

9月9日(金)晴  大連にて
 12時過ぎ、大連周水子国際機場にランディング。大連ガイドの董沢さん、スルー・ガイドの李遠東さん、孫呉ルートのスルー・ガイドの王戦華さんに迎えられる。
 昼食後、水師営会見所、旅順の203高地、東鶏冠山と自然博物館などを見物。博物館では、10数点の陶磁器や水晶や玉の製品が黒檀のキャビネットごと数十万円、博物館も商売熱心になってる現今にびっくり。
 星が浦海岸を横目に中山路などを通って大連市街へ。旧三越ののビルをチラリと見たりしてホテルにチェックイン後、夕食へ。
 パスポートトラブルのため別便にて大連入りした一人も無事合流して、夕食は北方大酒店3階のレストラン。大連風(?)中華料理。10名全員で初日の顔合わせ。乾杯の後、自己紹介も交えて歓談。AIさん、TADAさん、河合さんの孫呉組3名は、夜店を冷やかしてから夜行列車でハルビンまで、それから黒河経由、孫呉に移動。

孫呉旅日誌はこちら

 基本コースは、今夜から明朝についての確認事項を聞き、サーカスへのお誘いを断って、お部屋へ。


(旅順・東鶏冠山。ガイドの董さんから説明を聞く)

9月10日(土)晴  大連からハルビンへ
 ホテルを9:00出発。中山広場を目指す。旧ヤマトホテルの玄関でじっくり建物を拝見。広場の中央まで歩いて行きグルリと見回す。ヤマトホテルから反時計回りに、大連市役所、東洋拓殖大連支店、中国銀行、横浜正金銀行(化粧直しか、ネットに覆われて)、関東逓信局、朝鮮銀行など。ノーラさんは、記憶の場所を探してキョロキョロ。
 満鉄本社跡へ。
 日本人街。ここでもノーラさんは、「コレコレ」「そうです」とうなずいている。
 「龍源地毯工藝廠」で見事な絨毯作製デモを見て休憩、何人かはお土産を購う。
 鏡池(児童公園になっている)。ノーラさん「へェ〜、こんなに綺麗になって・・・。当時はうっそうと木が茂っていたのよ」
 映画館のあった通りなどを通って、満鉄病院。みつやさんの生まれたところ。みつやさんご夫妻は、病室まで行った。病院裏にて記念撮影。「天天漁港」にて昼食。「昨夜のよりおいしい」と誰か。
 日本橋などを見ながら大連周水子国際機場へ。中国南方航空(CZ3603)にてハルビンへ。14:40ハルビン太平国際機場着。
 バスで李さんから、彼の地元黒龍江省やハルビンの知識を授かりつつ新香坊を目指す。が、道路工事中でストップ。明日に期待して、ヤマトホテルなども眺めつつ中央大街へ。
 ホコテンの中央大街では、旧モデルンホテル、旧松浦洋行(現新華書店)の交差点で李さんの解説を聞いた後、しばらく散策。傾いた陽がまぶしい。
 遠藤さんお薦めの「グロリアホテル」(正式名称:松花江凱菜花園大酒店)に着いて一服。エアコンが工事中でダメ(!)。次の日、ふた組は窓が開く部屋に引っ越しすることに。6:30より同ホテル二階のレストラン個室で夕食。隣の広間では赤い衣装のお年寄りの誕生日大宴会。そしてお開き。


     (大連:鏡池)


ハルピン・新華書店(左2005年、右1990年に撮影)

9月11日(日)曇一時雨  ハルビンにて
 9時前にホテルを出て、松花江を専用観光船でミニ・クルージング。20世紀初頭にオープンしたヨット倶楽部などが並ぶ船着場から松花江公路大橋の橋桁を回ってUターン。鉄路橋の手前まで行き戻って船着場に。シャングリラホテルなどの高層ビル、太陽島などがよく見える。この川のどこかでかつて多くの方が・・・
 地段街、桃山小学校、そしてソフィスカヤ寺院。寺院内部はハルビン歴史博物館。チューリン百貨店、松浦洋行、駅などの古い写真あり。外で集合写真撮影。
 地段街から東本願寺跡などを経て駅前のホテルで昼食。新香坊に行く道は本日も封鎖とのこと、残念ながら行くのを断念。
 小雨。マッサージ(香水足欲)で休息後、公路大橋を渡って太陽島公園へ。ロシア歌舞団のショウを観覧。みつや奥さま、舞台で上手に踊ってダンサーデビュー。
 夕食は、名典西餐庁でロシア料理。ボルシチ、ウォッカなど。席上、二日遅れではあるが、旅行社からみつや奥さまの誕生祝い、歌とケーキで。


 (旧桃山小学校)

9月12日(月)晴  ハルビン発、長春
 8:12ハルビン駅発。ハルビン発漢口行T184便の硬座指定席。右後向き(3人掛け)窓ノーラ、ヤギ、前向き通路Tomo、ローラ、MIE、左後向き(2人掛け)みつや夫妻、前向き李。
 松花江、飲馬川を渡り玉蜀黍の平原を行く。イネやコーリャン、ヒマワリなども。落葉樹は黄葉が一部で始まったばかり。
 長春にほぼ11:00着。現地ガイドの李延東さんが合流。旧ヤマト・ホテル2階で昼食。ヤマト・ホテルのコックの孫謹製の月餅を試食。12:25頃バスで出発。
 西広場小学校訪問、看板塔になりかわった給水塔を見たりして周辺散策。MIEさん、地図を見ながら生地を探す。
 児玉公園を左に見て白菊小学校へ。崇智路、崇智胡同を散策、ノーラさんの家は跡形もなし。興安橋で回りを見渡す。桜木小学校、清和路辺りを散策。土産物屋、デパートを経て紫荊花飯店へ4:00近く到着、チェックイン。
 夕食で、孫呉コースと合流。互いに簡単に報告。黒河への飛行機が強風で着陸できず、あわや夜行列車かと覚悟したけれど、何とか黒河に飛んでくれて助かった、とのこと。


(崇智胡同は3世代の建物が並んでいた)

9月13日(火)曇時々晴  長春にて  
 8:40にホテルを出発、大同広場へ。ロータリーをグルリと回って周辺の建物を眺める。三中井デパート跡で「迷子にならないように注意して」、関東軍司令部を車中から眺め、みつやさんが住んでいた長春大街を経て偽皇宮へ。
 偽皇宮では、集合写真撮影後、庭で防空壕や三種の神器の納所に驚き、建物や中の部屋、調度や蝋人形など説明を受ける。昼食は民航賓館のレストラン「中華食府」。
 午後は、「杏花村」地区に駐車、皇宮予定地を見学。鳩や凧も。国務院は吉林医科大学第一院、ノーマン・ベチューン医師の銅像も。玄関周辺が観光区域。国務院裏でローラ宅のあったあたりを散策した後、交通部に寄り、八大部周辺を巡回。
 洪煕街を通り満映。路面電車を見つつ南湖公園の中、南湖大橋で湖と釣り人などを眺める。寛平大路では北側の2本の小路を掘り返していた。寛平橋を渡って南新京駅。多くの方は、ここから列車に乗って・・・。今、駅はなく(循環鉄道の駅あり)立派な立体交差の道路。桜木小学校再訪、清和胡同のあなたのやぎさんち周辺が確認できた。
 テレビ塔上から長春を俯瞰、あそこが何、あれが何等々、訪問地点のおさらいも。「博芸茶苑」でお茶の実演後、数名がたくさんのお茶をお土産に買い求め(美しい女性は時に毒をもつと気付かされ)る。ビルの谷間の夕日を眺めつつ吉林物貿大酒店のレストランへ。夕食後、7時過ぎホテルへ帰着。


(国務院裏のアパートの庭で語らうオバサンたち)

9月14日(水)晴  長春発、瀋陽へ
 7:20頃ホテル発。ヤギさん曰く「さらば長春ですナ」。吉林発瀋陽行N122便の列車は、長春駅を定刻8:29に対し5、6分遅れで出発。今日は軟座、14号車36〜46番の指定席。14号車にはアメリカから来た中国人グループ30余名も。
 たまさか、丘が見えても、どこまでも平らな平原。ポプラや柳の防風林、トウモロコシ畑や時々水田と街や村を見ながら進む。ノーラ・ローラ達から
日君再来」などの歌唱が出て、みつやさんのハモニカ、李さんの日中両歌謡などで盛り上がる。中国人グループも歌と身振り、手振りで盛り上がってる。最後はAIさんの横笛演奏に車内全員聞き惚れた。
 四平、鉄嶺などに停まった(中固には臨時停車した)後、12:10過ぎに北瀋陽駅に到着。女性ガイドの韓輝さんが迎えてくれる。
 列車中への某氏の忘れ物も無事手元に戻る。これで当ツアーの3大事件が出揃ったことになる。どんなツアーでも珍事など、三つは起こるのです。何よりなことに、これで、飛行機の墜落は無し、と確定。
 昼食後、世界文化遺産の瀋陽故宮博物館を見物。結構暑い。張氏帥府では張作霖、張学良の事跡を見物。豪邸振りや軍閥の力を再認識したり、おとッつァんはやはり第五婦人まで、と驚いたり、張作霖の爆殺時に運び込まれて死亡時まで匿われた第?婦人の館とエピソード等々。
 夕食に直行。老辺餃子館で焼餃子、水餃子、蒸餃子、スープ餃子など。美味しくて食べ過ぎた人はいないか?李さんの「北国の春」と「二匹の蝶」の歌声も室内に響いた。明日、最終日のオプショナル・ツアーの行程も決める。
 ホテルは、シャングリラチェーンの商貿飯店。五つ星に近い四つ星に加え朝食が豊富でツアー客によく利用されるとのこと。列車で一緒のアメリカン・チャイニーズの一行もここ。
 いつもの通り、確認事項を聞いてそれぞれの部屋へ。


(張氏帥府・張作霖は爆殺後この館で匿われ、やがて死亡)

9月15日(木)晴  瀋陽、そして日本へ
 8:05頃ホテルを出発。柳条湖の九・一八歴史博物館の前でモニュメントの撮影のみ。
 北陵見物。カートで長い前庭を突っ切り、敷地内へ。韓さんの説明を受けつつ方城をグルリと時計回りに一周。数人は、頂きに楡の木を植えた宝頂という円墳の回りも歩く。妹が亡くなった大地の小石を、というネット仲間に小石を拾う。また、カートで入り口へ戻る。日差しは強いが風はさわやか。
 遼寧省博物館では、日本語ガイドのゲンさんの説明で二階を見物。溥儀コレクションを中心とした景徳鎮など、蝙蝠(こうもり)の蝠部と福の発音が同じなので蝙蝠が絵柄に使われる話、内外歴代の貨幣の変遷等々。山水画等の展示が終わっていたのは残念。ここでもキャビネットごと百数十万円!
 空港へのバスで李さんの「星影のワルツ」を聞きつつ12:00過ぎ瀋陽桃仙国際機場着。振り返りオフ会の日程と場所を相談して仮置き。
 13:30過ぎに始動、大連、ソウル、朝鮮半島横断、隠岐島、鳥取、大津、津などが見える。九十九里方面から成田空港に近づき無事にランディング、日本時間6:00頃解散。家路につく。


(九.一八歴史記念館)

お疲れさまでした。
                   2005,9,18 文と写真 TOMO


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