中国東北孫呉コース旅日誌

9月9日(金)大連 夜行でハルピンへ

 大連周水子空港で基本コースのガイド李遠東さんと共に孫呉コースのスルーガイド王戦華さんに迎えられる。

大連では基本コースの皆さんと終日行動を共にする。
北方大酒店で参加者10名全員夕食後、孫呉組のAIさんとTADAは大連の夜店を散歩。

大連21時40分発夜行寝台特急(2021列車?)で一路ハルピンへ。
4人定員2段ベッドで花など飾り、なかなかしゃれた感じの個室。ただ日本と違い上のベッドへ昇るハシゴがない。途中に足を架けるデッパリがあるのみ。女性や体力のない人はどうするのだろう。河合さんとTADAが下のベッド、AIさんと王さんが上のベッドで眠りにつく。

 
   寝台個室

9月10日(土)ハルピン・黒河・孫呉

 30分遅れの7時20分ハルピン駅着。ハルピン駅近くの「貴賓楼」(旧ヤマトホテル)でバイキング朝食。

黒河への出発時間まで若干余裕があったので、TADAが引揚開始までの半年間住んでいた「南崗木介街20番地」を王さんに案内してもらう。
番地もそのまま残っており、現在金融関係の事務所になっている、それらしき建物があったが、石段、門構えは似ているものの当時より立派に見える。塗り変えたのか建替えたのか母(94歳)に見せても半信半疑。

何れにしても、あきらめていたハルピンゆかりの地を訪問し大満足。

 
   ハルピン木介街

南崗木介街を後にハルピン空港へ。山東航空11時発SC4897便で黒河へ出発。12時着の予定。80人(?)乗りの機は満席状態でほとんどがロシア人、日本人は我々の3人だけか。順調なフライトで30分たった頃機内アナウンスあり、王さんが今からハルピンへ引き返すという。黒河空港が強風で着陸できないらしい。

ハルピン空港で待機となる。ロシア人達は全く動揺の様子がない、よくあることなのか。

ここまで来て孫呉行きを諦めるわけにもいかず、最悪の場合は孫呉まで600キロ、10時間の夜行列車かと話しているとき出発のアナウンス。3時間遅れの3時黒河空港到着。現地ガイドのカク(郭?)さんの出迎えを受ける。
昼食抜きで、直ちに専用車にて孫呉へ向かう。孫呉まで立派な高速道路が通じており、滅多に車と行き交うことがない。途中一面の大豆畑を眺めている内に夕刻孫呉到着。

宿は孫呉駅南数百メートルの孫呉賓館(元独立守備隊跡)、20年前は孫呉招待所と言った。
道を隔てて西隣が旧ヤマトホテル。20年前は戦前の建物が残っており孫呉人民検定院になっていた。現在は6階建ての近代ビルに建替えられている。

宿は以前招待所だけあって部屋は大きく立派だが、お湯は出ずバスタブは長い間使われた形跡なく、さび付いた感じ。
宿で一服の後、市内のレストランで夕食。最初に皿一杯のヒマワリの種が出る、とても懐かしい。又小魚(柳根と言う名)のから揚げが美味。

夕食後、シャワーがNGなので市内西はずれの銭湯へ4人(AIさん、王さん、カクさん、TADA)で行く。河合さんは大連でシャワーを浴びたというので留守番。
基本的には日本の銭湯と同じだがシャワーが10個程、浴槽2個、垢すり台2個(別料金)。料金はタオル付で38元/4人。垢すりのためか浴槽のお湯が汚れているようなのでシャワーのみにした。

宿までタクシーで帰る。(5元)

 
 旧孫呉ヤマトホテル(20年前)建物は昔のまま、人民検定院の看板

 
旧ヤマトホテル跡のビル:写真左手が孫呉賓館(元独立守備隊跡)

9月11日(日) 孫呉にて

 今日は旅の主目的たる「ゆかりの地孫呉」探訪の日、快晴。

孫呉はAIさんの生誕地、TADAは生まれそして6年間育った場所。現在60年ぶりにここに立っているのが不思議な感じがする。
朝食後、9時頃孫呉賓館を専用車で出発。

現地ガイドのカクさんと今日の日程、訪問場所等を打ち合わせ。日本語が出来ないので王さんが通訳。16年黒河でガイドをしている由。我々と同じ地図を持っているので直ぐに話が通じる。今年の孫呉訪問は我々で3回目とのこと。

ホテル前を出発して10分程で孫呉を東西に横断している遜比拉河(ソンピラ河)の孫呉大橋に到着。車を降りて写真撮影。昭和19年11月竣功のプレートが残っており感激。

20年前にはなかった北黒線の鉄橋が西数百メートルのところを走っている。その直ぐ横に戦前の橋脚跡が確認できる。又南西方向に当時の「新火力発電所」が望見できる。この発電所は完成寸前で終戦になりフル創業することはなかったと聞く。

 
 遜比拉河(ソンピラ河)に架かる孫呉大橋:橋前方が北孫呉

孫呉大橋で10分弱滞在後北孫呉地区へ向かう。北孫呉は最初にAIさんとTADAが住んでいた松風町の官舎街と思われる場所に行くが一面大豆畑で当時の痕跡は皆無。更に河の畔の方へ向かうが一面の草原で河までは行けず。

引き返す途中、北方向の三笠町官舎街と思われる辺りに当時の官舎と思われる3軒長屋の1棟を確認、写真を撮る。(当時の官舎は壁の外に煙突が立っているのが特徴)

 
 当時の官舎:松風町辺りから三笠町方面を撮る

次にメイン道路を北に移動し、孫呉陸軍病院角のロータリー跡付近で下車。

この辺りは第1師団(第123師団)司令部等軍関係の施設が多かった所だが現在は中国人の民家が点在するのみ。師団司令官官邸跡(孫呉人民政府による石碑がある)、孫呉陸軍病院跡、三笠町官舎街の順で歩く。

陸軍病院は現在コンクリートの土台だけが痕跡を残している。(両親が訪問した20年前の今頃取り壊しの最中だった)

TADAの生まれ育った三笠町の官舎辺りは大豆畑や草原に変貌していたが現存する池が目印になりほぼ場所を特定することが出来、今回来訪の主たる目的を達し満足。

 
三笠町の池(右手後方が生誕場所。冬は結氷した上を通り、酒保までお使いに行った。)

ロータリーを後に車で10分程北上、AIさんの父上が所属していた佐倉57連隊跡に到着。
数千人が駐屯していた痕跡はなく、一帯が草原になっていた。その後歩兵1連隊跡方向へしばらく北上しUターン、11時30分頃軍人会館跡へ到着。

ここは当時の建物がそのまま残っているが、戦後の一時期工場として使用されていたとカクさんの説明。玄関横には孫呉人民政府による「侵華日軍軍人會館遺址」のプレートあり。

ここでは昭和20年5月香取在満国民学校の学芸会が行われたと聞いている。記憶にはないがTADAも参加していたはずである。

 
  軍人会館

 
 軍人会館のプレート:孫呉人民政府が遺跡として残している

次に北孫呉東方のわが母校である香取国民学校へ向かう。10分程走ったところで車が止まった。

周囲は一面の草原でなにもない、がガイドのカクさんが道路の左手を指差し草原の前方が学校のあったところだと言う。近くまで行きたかったが道もないので諦めた。以前案内した人の中にマーチョ(馬車)で通ったという人がいたとか。

更に芙蓉荘(当時の飲み屋?)まで足をのばす。当時の建物が廃屋として残っていた。その横の水路(川)に水門の跡が残っており、前日立ったばかりの石碑があった。なんというタイミングの良さ、我々が最初の訪問者と思われる。

 
香取国民学校近くにある水門跡:今回来るまで情報はなかった

 
  水門跡の石碑

ここで折り返し、南孫呉へ向かう。途中道路の左右は民家が点在するのみ。12時25分頃、孫呉神社跡に到着。10年前の記録によると人民政府が立てた石碑があるはずだが見当たらない。神社の石段だけが当時の面影を残していた。又15年前後前に開通した北黒線は孫呉駅から南にカーブし、現在は孫呉神社跡の南側を通っている。

 
  孫呉神社跡

この後、孫呉駅へ。20年前残っていた弾痕入りの望楼は跡形もなく取り壊され、近代的な駅舎に生まれ変わっている。1日数本程度の発着と思われるので閑散としており、駅舎の横からホームへ自由に出入りが出来る。駅前は大きなビルが立ち並び道路が工事中でまだまだ発展途上といった感じである。

 
   孫呉駅

駅前通りのレストランで昼食後、14時頃に明和国民学校跡へ到着。現在は孫呉第3小学校に生まれ変わっていた。現在孫呉には3つの小学校があり、この学校が最大で1300名の生徒と付属幼稚園を擁している。日曜日で生徒はほとんどいなかったが、たまたま居合わせた美術の先生が校舎内まで案内してくれた。又孫呉には2つの中学校があり、その内の1つは高校相当とのこと。(意味がわからない、グレードが違うのか?)

校舎の周りは中国人の民家が立ち並んでいた。昔の官舎らしき建物はない。

 
 孫呉第3小学校(明和国民学校跡)

次にAIさんの生誕場所である日赤病院跡へ向かうが、一帯が民家街になっており土台等の痕跡を確認することが出来ず。

次に孫呉戦争陳列館を見学の後、本日最後の目的地、孫呉南東郊外に位置する防疫給水部跡(731部隊孫呉支所)へ向かう。雨が降ったら通れなくなるような悪路を通り、跡地に到着。

市内より若干高台になっており、辺り一帯は何もない。ただ当時を偲ばせる瓦礫が散らばり、黒竜江省人民政府による石碑が2つ建っていた。

当時はスズラン等の花を植えてカムフラージュし、関係者以外立ち入り禁止だったと聞いている。

 
防疫給水部跡:別名731部隊、ここは解剖室跡との説明があった。

16時30分頃孫呉の予定を終え、高速道路を一路黒河へ。18時頃今日の宿、黒竜江畔の国際黒河飯店に到着。

市内レストランで夕食の後、ホテル併設(?)のカラオケへ。さて一曲といきたいところだが全て中国語のため歌える歌がない。もっぱら王さんが気持ちよく歌っていた。
その内、河合さんが曲・マイクなしで民謡を一曲披露、なかなかの芸達者。
カラオケ代は2時間で30元/一人、一人ずつ付いた女性のチップが100元/一人。

今日は少々強行軍でした。オヤスミナサイ。

9月12日(月)

ホテルで朝食後、10時頃アムール河(黒竜江)遊覧のため船着場へ。今年は雨が少ないせいか思ったより水量が少ない。遊覧船は10〜20トンの割合大きな船だが乗客は我々の5人だけ。船は川下方向に沿ってゆっくり進む。対岸のロシアが手に取るように見える。

途中ロシアと中国の国境監視塔が幾つかあり、又警備艇とすれ違ったりする。20年前中ソが緊張状態にあったときカメラをロシア側に向けるのは厳禁だったとか。それに比べ今はのどかなものだ。
ゼーヤ河の合流点と思われる所で船は反転、1時間一寸の遊覧を終え船着場へ戻る。

その後、大黒河島国際市場を見物。建物内はイベント会場、電化製品、工具類、食料品、お土産屋まで何でもありの感じ。中を一周してから直ぐ横の食品市場へ、日本の築地市場に良く似ている。ただ魚売り場で氷を使ってないのが気になった。

 
黒河の自由市場:穀物売り場、高梁は戦後に食べたものに比べきれいである。

黒河見物を終わり、12時20分発山東航空SC4898便でハルピンへ。帰りのフライトは順調だった。

ハルピン空港から直ちに専用車で高速道路を一路長春へ、夕刻ホテルで基本コース組に合流。

         2005.9.21 文と写真 TADA


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