ヘーゲル「小論理学」を読む〈第1〜4分冊〉    

       高村 是懿 (著)、 広島県労働者学習協議会 (編)
                一粒の麦社 (第1,2分冊:2009/9; 第3、4分冊:2010/9)

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原典を読むこと、解説書がそれを助けること  2010/11/1


第1分冊 ヘーゲル『小論理学』を読む  2009/9/10発行

本書のカバーには「科学的社会主義の源泉であるヘーゲル弁証法。その真髄を逐条的に読み解いた『小論理学』の入門書」と謳われています。そして、第二版へのあとがき(第4分冊)では、「科学的社会主義の哲学をより平明で豊かなものに発展させる課題は、二十一世紀に生きる我々に残されてい」て、「われわれは、ヘーゲル弁証法の土台のうえに」それを構築しなければならない、と記されています。そのためにも、まず「小論理学」の理解に努めよう、とこの本が作られました。広島県労働者学習協議会におけるセミナーの講義と討論が、この本の出来る母体となったそうです。ですから、全4分冊が40の講からなっていて、第1分冊には9講が配されています。講の切れ目は、必ずしも内容の切れ目ではなく、講をまたいで話がつながることも結構あります。

第1分冊では、ヘーゲル『小論理学』から、下記の部分が読み進められます。( )内の番号は、本「小論理学」を通して付けられている節の番号です。

聴講者にたいするヘーゲルの挨拶
第1版への序文
第2版への序文
第3版への序文
エンチクロぺディーへの序論 (1-18)
論理学(工ンチクロぺディー第1部)
予備概念 (19-36)
 A 客観にたいする思想の第一の態度

著者によるイントロダクションを含め、「エンチクロぺディーへの序論」までに、当分冊の3分の2近くが充てられています。本書および本「小論理学」が出来た経緯、意義、特徴、そもそもヘーゲル弁証法とは何か、などが明らかにされます。本「小論理学」が、実はさらに大部で包括的な「エンチクロペディー」の一部なのですが、その「エンチクロペディー」に関する言及が本分冊の多くを占めます。この論理学、つまりヘーゲル弁証法は、内容的に発展しつつ円環をなして最初の内容に戻ってくるので、これら「序文(論)」も、第4分冊までひととおり読み終わってからもう一度読み直すといっそう理解が深まります(「小論理学」全体も、もちろん同様なことがいえそうです)。

「論理学(工ンチクロぺディー第1部)」からが、本文ですが、その始まりが「予備概念」となっていることからも分かるように、本題に入る前の準備ということになります。論理学、思惟、客観的思想とは何か、がそれぞれ語られ、客観的思想に対する三つの態度、すなわち真理の存在及び真理の認識に関する三つの態度を取り上げ批判します。まず、古い形而上学への批判を通して予備概念を開陳し、他の二つの態度に対する批判の流れは第二分冊に引き継がれます。


第2分冊 ヘーゲル『小論理学』を読む  2009/9/10発行

本分冊では、以下の内容が扱われます。

論理学(エンチクロぺディー第1部:つづき)
予備概念 (37-83)
 B 客観にたいする思想の第二の態度
  一 経験論
  二 批判哲学
 C 客観にたいする思想の第三の態度
 論理学のより立入った概念と区分

本分冊では9講を通じて大きく分けて三つの内容が扱われます。第1は、第2の態度としての経験論とカント哲学批判です。まず、古い形而上学批判から生まれた経験論を批判します。次いで、カントの「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」をとりあげ批判します。第3の態度としてはヤコービの哲学が取り上げられます。カント、ヤコービの著作は、18世紀終盤期の出版です。フランス革命を含む時代です。それに対し、ヘーゲルが「エンチクロぺディー」の体系を完成させたのは1817年、反動的ウィーン体制が出来上がっていた時代においてでした。

本分冊の多くを占める批判では、哲学史上の重要な流れを取り上げ吟味することを通じ、何が進歩で、何が課題かを明らかにしつつ、課題を克服するためにどういうことが必要か、などの作業を行っています。ヘーゲル哲学は、それを通じ先哲から学びつつ限界を克服して育っていったのですが、その内容が批判という形でまとめて示されるのです。


第3分冊 ヘーゲル『小論理学』を読む  2010/9/10発行

本分冊から、いよいよ「論理学」の本論に入ってゆきます。第19〜30講までの12講において下記のような内容を読んで行きます。

第1部 有論 (84-111)
 A 質 (86-98)
  a 有   (86-88)
  b 定有  (89-95)
  C 向自有 (96-98)
 B 量 (99-106)
  a 純量  (99-100)
  b 定量  (101-102)
  c 度   (103-106)
 C 限度 (107-111)
第2部 本質論 (112-159)
 A 現存在の根拠としての本質 (115-130)
  a 純粋な反省規定 (115-122)
   イ 同一性(115)  口 区別(116-120)  ハ 根拠(12日22)
  b 現存在     (123-124)
  c 物       (125-130)
 B 現象 (131-141)
  a 現象の世界 (132)
  b 内容と形式 (133-134)
  c 相関    (135-141)
 C 現実性 (142-143)

「小論理学」は、難解だといわれます。本分冊に入ってそれを感じることが増えます。哲学ですから、私たちの日常の出来事とそれを通じて考えているボンクラな頭にとってはまことに抽象的です。その抽象性が難解と感じさせるひとつの大きな原因です。そのため、著者は、所々で身近な例えを使って説明を加えます。

たとえば、「現代の自然科学は、まず磁気において極として知られた対立を、全自然をつらぬいているもの、普遍的な自然法則と認めるにいたっているが、これは疑もなく学問上本質的な進歩である」(119節補遺1より)というヘーゲルの記述(この部分は、分かり易い方に属します)に対して、著者は、「しかし、二一世紀の自然科学はヘーゲルの予測をさらに超えるものとなっています。ミクロの物質は、すべて粒子と反粒子、物質と反物質という対立物の統一として存在し、これが『自然の対称性』とよばれるものです」として、我々の宇宙がなぜ反物質を含まないかの「対称性の乱れ」の理論を紹介します。こうした、よく知られた最新の事例をもって、ヘーゲル弁証法を全て解説してくれたならどんなにありがたいことかと思うのです。

なお、上の引用直後の( )内にあるように、補遺が要所に入れられています。これは、ヘーゲル自身の仕事ではなく、ヘーゲルの弟子ヘンニング教授が、講義のノートから選択して付加したものなのです。これによって、分かりやすくなっているところもあるとは思えるのですが、やはり、抽象的なことにはさほど違いはなく、やはりむずかしいところはむずかしいのです。ですから、著者は、補遺についても解説を加えます。

著者の解説は、ほとんど逐条的に進みます。ずっと早いうちに論じているところを、再び振り返っておさらいをすることもあります。これらの解説は、ヘーゲル哲学を学習し始めた者にとっては、大変ありがたいことこの上もありません。


第4分冊 ヘーゲル『小論理学』を読む  2010/9/10発行

第4分冊は、「本質論」のつづきを少し見た後で、難しい「小論理学」の中でもとりわけむずかしいといわれる「概念論」に入ります。読んだ結果としては、「概念論」は確かにむずかしいのですが、その前の「本質論」でも十分むずかしいと感じました。これは、やはり前述の抽象性によるところが大きいのです。たとえば、「本質論」の「C 現実性」の冒頭144節で「自己内反省としての可能性から区別された現実性は、それ自身外的な具体物、非本質的な直接的なものにすぎない」といった記述が多いのです。しかし、ここに出てくる「反省」「可能性」「現実性」「外的」「本質的」「直接的」などの用語は、ここまでに何回も繰り返し出現していて、かなりイメージができていることではあるのです。だから、頭の中では比較的分かりやすくなってはいるのです。つまり、難解で、その胸突き八丁のように思える急峻な峰も、それを目指して歩みを進めるほどに、いろいろ見えてきて山の全容も開けてくるのです。

本分冊の内容は次の通りです。

(第2部 本質論 (112-159):つづき)
 C 現実性 (144-159)
  a 実体性の相関 (150-152)
  b 因果性の相関 (153-154)
  c 交互作用   (155-159)
第3部 概念論 (160-244)
 A 主観的概念(163-193)
  a 概念そのもの (163-165)
  b 判断     (166-180)
   イ 質的判断(172-173)  口 反省の判断(174-176)
   ハ 必然性の判断(177)  二 概念の判断(178-180)
  c 推理     (181-193)
   イ 質的推理(183-189)  口反省の推理(190)
   ハ 必然性の推理(191-193)
 B 客観(194-212)
  a 機械的関係 (195-199)
  b 化学的関係 (200-203)
  c 目的的関係 (204-212)
 C 理念(213-244)
  a 生命    (216-222)
  b 認識    (223-235)
   イ 認識(226-232)  口 意志(233-235)
  c 絶対的理念 (236-244)

最後に近く、「意志」以降には、変革の哲学としてのヘーゲル弁証法の真髄と著者が強調するところが見えています。そこまでの理論的理解の蓄積のうえで、ヘーゲルと著者の書くところをたどることにより、ヘーゲルの深き思いに触れた感を強くします。著者は、ヘーゲル哲学を「客観的観念論」として捨て去るような従来一部にあった扱い方を批判しつつ、その変革の姿勢を強調しますが、この部分においては、その主張がよく分かるようになっています。

これら4分冊700頁余りを読んだとしても、ヘーゲル理解が十分出来たとはいえそうもないのですが、今まで曖昧な理解だったところがよく分かったというところが多かったとも感じます。たとえば、即自−対自−即対自などの3分法の具体的中身は、従来の自分の理解がいかに薄っぺらだったかを思い知らされました。古くから、マルクス、エンゲルス、レーニンなどの著書には、ヘーゲルが大きく影響を与えているといわれ、確かに彼らの著書を実際に読んでみればそれが多少は理解できるのですが、それ故に、それらの原典であるヘーゲルを実際に理解することは、いろいろな点で有効だということを理解出来た読書でした。この読書を、新たな変革の哲学を作ってゆく力にすることが出来るかどうかはまだ見えてきませんが、同時に、さしあたって関心のある分野においてヘーゲルの弁証法を応用できる力を養いたい、とは強く思ったところです。たとえば、身近な出来事を材料にして老子をヘーゲルの目でみるとどうなるか、など・・・。

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