4代にわたる家族の歴史ですが、多くは3代目のことが書かれています。つまり近代ヨーロッパにおけるあるブルジョア家族の没落の過程が濃密に描かれるのです。
19世紀中~後半のヨーロッパでは、あちこちの都市を中心に革命が勃発し、その全ては結局失敗するのですが、それらは単なる失敗ではなく発展しつつあるブルジョア社会の生の葛藤として新たな力を生み出してゆく歴史の節目だったのです。この小説の舞台は、北ドイツのハンザ同盟の歴史を持つさほど大きいとはいえない都市ですが、そこにもそうした波は確実に到達していたのでした。
小説では3代目当主の妹トーニが印象深く描かれています。登場人物としては脇役ですが、彼女の人生は、まことに波乱に満ちており、それは、露骨に語られはしないのですが、歴史の波を受け、没落の道がせまることを身を以て示すのです。その意味で、家族の没落を象徴しています。
他方、没落を決定的にしてしまった形になる4代目のハンノの健康と音楽にみせる才能、そしてそれらを育てられない社会と家庭の有り様は、具体的に解析はされないのですが、読者は、おそらくいろいろ考えさせられることでしょう。実業と芸術の矛盾などとしばしば言われますが、それは、言うほどに生やさしくないということ、それが作者の強い実感だったのではないでしょうか。とりわけ、この社会の、以後、変化発展していった筋道を現代のわれわれが思うと、そこに社会の未発達、つまり資本主義はこの後もさらに発展してゆくことを思うのですが、それは今だから簡単にいえることなのです。いえ、今でも芸術が利潤などの実業の論理に負けてしまうことは少なくないのです。それが、現代においてもしばしば文学のテーマになり、そこでは個性的かつ多様に葛藤が描き出されているのです。
ところで、こうした没落を避ける道はないのでしょうか。その答が、仮に言葉として分かったとしても、実行することは、それを分からす以上に困難なことです。それでも敢えて、一般論として、先人が明らかにしたことを確認する意味で言うならば、歴史を見通す眼とその中に己の役割を見定める勇気、そしてそれら理解を培うだけの知を身につけることなのです。トーマス・マンもそのことは承知していたはずです。
トーマス・マンが25歳でこの作品を完成したということにも驚かされます。作者の主張を声高に叫ぶのではなく、山あり谷ありの物語として、事実を的確に紡ぎそれにふさわしい情緒をただよわせる、それを25歳でやってのける、その力は天才と言わずに何といえるのでしょうか。わが国においても北杜夫、辻邦生などがマンから多くを学び自作に活かしてきたことも理解できることです。
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