碧く輝く村の奥へ 島永嘉子(著) 創造社 2014/2

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インドネシアを舞台に三つの話題、愛、女の自立、父の歴史, 2014/09/15

三つの短編からなっています。すなわち、「祈りの日」、「マホガニー並木」、「碧く輝く村の奥へ」であり、最後の作が半分以上を占めています。いずれも、インドネシアを主な舞台とした小説です。ひとつづつ見てゆくこととします。

「祈りの日」

概要
祈りの声が溢れるような国、インドネシアに赴任中、村岡は美しいハルティナを好きになります。が、宗教の違いなどもあって結婚には厚い壁が立ちはだかります。村岡と縁の深い青年リドも、実はハルティナを好きらしい。家族の反対も強く、ハルティナとは、なかなか会えない状況となってしまいます。やっとあったとき、二人は結ばれます。村岡に、日本への異動辞令が出ます。ジャカルタへ飛んでも会わせてもらえません。そして、今回、ジャカルタに来てみるとリドとハルティナは夫婦となっており子どももいたのです。しかし、ハルティナによれば、村岡との子だというのです。リドは、二年経って村岡が迎えにくれば、一緒になっても良い、といっていたのですが、村岡は来なかったのです。その時、村岡は怒りにとらわれたのですが、結局、苦悩しながらティナを諦めるのです。それは、リドの祈る姿がつきまとったからです。祈る姿に、負けた、と思ったからでした。

レビュー
著者は、インドネシアに駐在した日本人エンジニアの恋愛を描いて、愛はイスラム教という宗教の壁を越えられるか、と問います。この大きな問題を、400字詰め90枚余の小説で描くのは、至難の業だと思うのですが、著者は、ひとまずその答を示しているのです。

難しさは、イスラム教という日本人に馴染みが薄い宗教というところにあるようです。キリスト教の場合、宗教の壁を突き破る愛について見聞きした記憶もあるのですが、イスラム教となると、その教義をほとんど知らないといってよい日本人には分からないことだらけです。こうしたところは、ひょっとすると、キリスト教が盛んな国においても日本人と似たり寄ったりかもしれません。

本短編においては、双方が結婚できるだけの愛情をもちながらも、家族にそれを認めさせるまではゆかないし、浄瑠璃にしばしば描かれる道行きにも踏み出せないのです。この壁は、ほとんど宿命のように思われます。勿論、道行きに踏み出す物語は可能かも知れませんが、多分、それは、もっと長い小説になるのではないでしょうか。


「マホガニー並木」

概要

夫との離婚がこじれている幾子は、インドネシアで日本語学校の教師になろうとジャカルタにやってきました。プリヌディン夫妻とは、夫妻の娘が日本留学時に幾子の両親のもとにやっかいになった縁で仲がよいのです。8年ぶりのジャカルタです。プリヌディン氏は、絵画の好み、その物腰、視線に洗練されたところがあり、バンドンまでのマホガニー並木が切り倒されることに心を痛めています。幾子は、夫妻の邸の一角に住まわせてもらうこととなります。夫人とも立ち入った話をしたり、使用人とも上手くつきあえるようになり、この地と人に安らぎを感ずるようになってきます。そんな中で、他人のために生きようとする時間は終わったと思うのでした。

レビュー
確かに、日本の女性は、自分を犠牲にし夫をはじめ誰かのために生きることを長らく当たり前としてきました。それに対し、女性が自立するという課題は、日本人の間でも特に戦後、すいぶん話題となり、実際に多くの女性がその答を実践してきました。その結果が、離婚率の増加であったり、キャリア・ウーマンであったり、結婚できない男が増えたりという現象ということでもあるのです。それらは、女性史においては、前進面、プラス面であることは確かでしょう。

本短編で描くところの自立の決心は、そうした日本女性史のひとこまをインドネシアの人と文化との対比において体験するというところにおいて独特です。それは、かなり見事に描かれているといってよいでしょう。

しかし、最近、絆とか共生とか、思いやり、もてなしといったキーワードが注目されることも多くなっています。これは、自立ではなく孤立する人間が増えている反面であることは確かです。核家族現象が広まる中、親世代と子世代が別々になり、習慣、時に文化の継承が上手く行かなくなったり、家庭の中でも、夫婦の関係がしっくりいかないような事例は極めて多いです。先日の大震災以降、それらが束になって意識されるようになっています。

自立すべき人と絆を深めるべき人とが同じ輪の中に混在する状況にあるなかで、自立した個人同士が絆を深め会うことが出来るようになることはひとつの理想です。幾子さんは、この後、ジャカルタでそれを実践することになるでしょうか。しかし、それは、本作品とは違う別の作品に求めなければならない大きな課題のようにも思えます。


「碧く輝く村の奥へ」
第1部 「黒檀の箱」、第2部 「石の村へ」からなります。

概要

母の遺骨を、父の墓に納めようと私は人吉に赴きます。父は、私が母のお腹にいることも知らず出征しインドネシアで終戦を迎えたのですが、結局、帰国せず遺骨は届きませんでした。人吉の町を俯瞰できる高みから眺めていて、インドネシアで訪れたことのある村と似ていることに気がつきます。その村でもらった黒檀の箱のことも思い出されました。母の遺品整理中に、その黒檀の箱が出てきて、その中に写真などと共に、大木敦夫の詩集があって、その一部に父からの母宛の手紙が書かれていました。
 インドネシアで父の知人だった人の訃報が届いたのを機に、その夫人から父のことを幾許か知ることができ、インドネシアに行く機会は今しかないからと現地行きをすすめられました。父の行動が描かれた小説を知らされ、「石の村」に案内されて夕闇に碧く輝くその村の輪郭を眺めました。翌日、その村にいた日本人から、父のたたかった場所に案内され、たたかいぶりを聞き、父の墓に対面します。しかし、そこにも父の骨はありませんでした。退役大佐から父の雑嚢を手渡されます。私は、父のことを新たに詰め込んだ胸に父の雑嚢を抱きしめたのです。

レビュー
インドネシアの独立を心から願った父親が帰国もできず遺骨も戻らなければ、父親の心の内は知るべくもありません。しかし、主人公は、いくつかのつながりをたどって、少しずつ父の足跡を知って行きます。日本軍のインドネシアでの作戦は、インドネシアの独立ではなく資源の獲得が目的だったのですが、その下でも、民族の独立を心から願った軍人がいました。その一人、主人公の父親は、脱走兵といわれようがその願いを貫きオランダ軍とたたかい死んでいった、ということを主人公は知ります。これはひとつの悲劇ですが、そうした史実はほとんど知られていないと思われます。登場人物の一人が、その父親を研究対象にしているということが描かれていますが、そういう研究者が現れても不思議ではありません。日本国政府は、現在、過去の歴史、特にアジア太平洋戦争の歴史に真摯に向き合うことを避けていますので、それは、民間人や良心的研究者に期待されるところが大きいのですが、そうした努力は実際にもっともっとなされる必要があるだろうと思われます。

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