秋葉原より

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秋葉原の通り魔事件は、ほんとうにいやなやるせない事件でした。不条理な刃によりいのちを奪われた方々のご冥福をまず最初にお祈りしたいと思います。そして、このような事件が繰り返されないよう祈りたい気持です。

3月の土浦、荒川沖駅での事件も同類なのですが、少し時間が経つにつれ、いろいろなことを考えられるようになってきます。というやさき、この事件をどう考えるか、いわば現状認識では、ほぼ同じことを言っている、と思える新聞記事に行き当たりました。まず、それを次に引きます。東浩紀さんという方の記事です。下記から、ジャンプしてください。すでにお読みいただいている方は、確認だけしていただけばよろしいです。

     zetuboutero.pdf へのリンク (AcrobatReader が要ります)

私は、この事件をネットではなく、テレビの速報で知りました。また、この記事では、トラックの突っ込む先が首相官邸や経団連本部であったなら、とか、「テロ」という表現をしておられますが、私としては、そういう発想は、筆者の用語をお借りすれば、やはり「幼稚」な部類に属すことなので、肯んじられません。しかし、東さんの現状認識の大筋には同感なのです。

そこで、現状認識だけに止まらず、次には、何をなすべきか、を考えることが肝心だろうと思うのです。それは何か?

私は、ふたつあると思います。ひとつは、国家としてなすべきこと。このような凶悪事件が再発しないような対策は、専門家の経験や知識を総動員して実行に移してほしいわけです。しかし、国家としてもっともよく考えて実行してほしいのは、このような事件が生まれる背景を無くしてほしい。どれだけ多くの青年が深い絶望や強い疎外感にさいなまれていることか。そうした絶望や疎外感を生み出しているのは、特に小泉政権が強く押し進めた規制緩和などに代表される市場競争万能政策でなくて何であろうか。それをこそ変えてほしいのです。

しかし、それを現政府に要求してもほとんど絶望的です。そこで、ふたつめですが、国民自身が、それを変える動きをするしかないのではないでしょうか。一番しわ寄せをくらっている青年と老人を中心とした世直し運動が起こるべき時です。そして、女性が立ち上がることも必須だと思います。青年女性、老人女性は当然ですが、それ以外の女性にもお願いしたい。青年と老人と女性の三本の矢がひとまとまりになれば、今の政府など短時日で舞台から退くことになるのは請け合いです。

私は、東さんも書いておられるように、今回のような暴力も「幼稚なテロ」も全く認めるわけに行きません。そして、この事件の背景が、市場競争万能政策にあることに気がついたところから、子や孫の時代が、こうしたことのない、ホコテンを平和にやれるような世の中になるように、上記のような行動が、今、どうしても始まらなければならないと考えられるのです。

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