ャン・クリストフ   ロマン・ロラン(著)  片山敏彦(訳) みすず書房 (1960/9〜1961/9)

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100年前のヨーロッパをクリストフと歩き現代、未来を思う, 2009/11/27

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ジャン・クリストフ、全十章を読み終えました。なかなか大変でした。まずは長い上に登場人物の多岐子細にわたる思考をたどることにはかなりの集中を要します。さらに、私がもっていたみすず書房の上製箱入り四冊本は、結構字が細かく旧字体を使っているときたもので、しばしば天眼鏡のお世話になりました。

この上製本は、50年近く前、私が大学に入って間もなく大学生協書籍部の棚に見つけ、無性に買いたくなって、仕送りの金を算えながら、「みすず書房十周年記念特価提供三百円(定価四百五十円)」という書き方につられて合計千二百円をはたいて買い込んだのでした。それから早速読み出してみたものの途中で放り出し、その後も挫折に挫折を重ねていたのでした。それを今回読了できたのです。今年の初夏の頃からほぼ6ヶ月かけて通読できました。これは、何といっても退職して「時間」が手許に還ってきたことによります。

ロマン・ロランの手書き文字をデザインに使った箱には今でも三冊分には帯がついたままになっていて、「この上製本は、『ジャン・クリストフ』全巻を交響曲の四つの楽章に照応させた原作者の意図に従い、次の四分冊として刊行される」と書かれています。これも何となくしゃれていて、是非、これを買おうと思わせた小さな要因でした。箱から本を取り出すと、今では、第四冊目にしか残っていないのですが、パラフィン紙がかかっていました。

さて、前置きが長くなりました。この大河小説は、今からちょうど百年ほど前の時代を生きた音楽家の人生を描いています。悪戦苦闘の少年・青年時代、苦悩と精神錬磨を積み重ねる壮年時代、ジュラ山地の農家に隠棲していて、春の嵐の中に訪れた啓示を契機として、その後、幾多の精神的熟成プロセスを経て、彼の藝術はいっそうの飛躍をみ、新たな世代の生れ育つのを見て音楽藝術の継承と発展を確信するに至る長い物語です。あらすじは、覚え書きとして別項に記しておきます。

この物語が展開する19世紀の末から20世紀の初頭、それは産業革命やフランス革命、アメリカ独立戦争など近代への体験を経て、封建社会から、人権を有する個人が尊重される時代に移り、この時代に至って特にヨーロッパでは個が花開いた、そういう時期だったのです。花開くためには、個の確立から開花へ向けて全力での戦いが多く展開されました。音楽の分野でクリストフがそうだったように。

ゲーテの時代はさらに百年をさかのぼります。ゲーテの生き方は、その多くの作品に見られるように、いかにして己、個を展開させるか、を問うものでしたが、それから百年経ったジャン・クリストフの時代には、近代西欧が第一次世界大戦やロシア革命を前にして大きな曲がり角に立たされていた時代において、民衆、特に知識人・文化人が、この閉塞感の中でどう生きるかを問われていたのでした。

そこに、ジャン・クリストフは、戦いのかなたに、意見、立場、民族などの違う人々をも受け入れられるほどに広く気高い心が獲得され、そこに気高い藝術が生まれるということを彼の人生により呈示したのでした。ロマン・ロランの英雄主義の具体的な展開でした。「思想や力によって勝った人びとを私は英雄とよばない。心によって偉大であった人びとだけを、私は英雄とよぷ」という言葉は、『ベートーヴェンの生涯』の序文に見られるのですが、「ジャン・クリストフ」を書くにあたっても常にベートーベンがロランの頭にあったといいます。

開巻第1頁に掲げられた献辞は「どの國の人々であれ/悩み そしてたたかっており/やがて 勝つであろう/自由な魂たちに/ささぐ」です。読み終わって改めてこれを読むと、ジャン・クリストフがまさにこのような「自由な魂」であったことに気づきます。

ジャン・クリストフは、ロランのイメージする英雄の典型なのだと思います。大きな力で動いてゆく社会、とりわけ閉塞感に覆われた時代に、その流れから人間性を生かすような方向に、なかなか見え難いであろうけれど必ずや先へ進むはずの社会の流れをつかみ取ってその方向に人びとを導いてゆくような英雄、それを偉大な心を獲得する戦いの中で描いて読者に示すということ、それをロランは成し遂げたのです。

しかし、私は、そこにすばらしさを強く感ずると同時に、今現在、クリストフの時代から百年経った現代において、少し違った要素を付加すべきではないかと感ずるのです。それは、必ずしも論理的にしっかりつかんでいるわけでもないのですが、最近の世の中の大きなうねりなどを見てみて、そこからすーっと匂ってくる香のようなものなのです。

それは、古めかしくなったかも知れない用語では、組織の中の個人の役割、組織と個人のバランスの上にある平衡状態とでもいえそうな状態についてです。上記の通り、クリストフは強靱な個をもって偉大な音楽を作り上げるわけですが、それは実は、全て彼の偉大な力によるといってしまうには単純すぎて、彼の回りの音楽界、文化界、社会などとの相互作業だったはずだ、という疑念です。そして、今現在、現代の英雄とは何で、どういうところから現代の英雄が現れうるのか、そんなことをクリストフとともに考えているのです。

「ジャン・クリストフ」の中では、たとえばラインハルト夫妻、シュルツ老人、友人オリヴィエ、グラチアをはじめ彼と彼の藝術の理解者、後半になって彼の音楽を支える聴衆など、多くの人たちのお陰が、彼との間でほとんど個別に成り立っています。そして、それらはいわば背景というか脇役であって、相対的にはクリストフの個人的才能と努力または戦いとが決定的な要因として描かれています。このことが大切なことであるのは間違いないのですが、ラインハルト夫妻以下のそうした社会的環の中ではじめて、切磋琢磨による才能の展開がみられるものとして捉えられないものでしょうか。そうした社会的動きが、意識的に組織されそれが才能ある多くの個を生み出し多く大きく育て上げるといったことがあって、それは現代におけるひとつの理想的なあり方ではないでしょうか。組織と個人の調和のとれたバランスの問題です。

実は、それは現代スポーツなどで、世界の先進国はもとより日本においても普通のこととして行われています。近年、ますます人気が高まっているサッカー界に典型的に見られます。プロ野球などでもそうだと思います。しかし、いわゆる文壇などでは、文学創造は、あくまで個人の仕事となっています。文学でいえば、民間の同人誌とか文学運動などはあまり表通りに出ずに、裏町の出来事みたいにされています。美術も似たような状況でしょうか。音楽では、どうでしょう。演奏家は比較的組織的動きがあるようにみえますが、作曲家にはみえてきません。それら裏通りにあるものを表通りにひっぱり出すことが、21世紀において新しい藝術を切り開くには必要なのではないだろうか、と思うのです。それは、藝術の世界だけでなく、社会の中にひろく潜在したり、垣間見えたりしていることではないでしょうか。

二十一世紀を踏み出して、いきなり大きな社会的課題を突きつけられている今、ゲーテの時代、クリストフの時代と変化をみせてきた人間のありよう、個人としての英雄ではなく、社会の中での英雄というもののありようが改めて問われているように思うのですがいかがでしょうか。


あらすじ
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第一楽章(序奏と展開) 曙・朝・青春

ライン河にのぞむ小さな町にジャン・クリストフが生まれたのは19世紀後半。祖父は、宮廷お抱えのヴァイオリニスト、父は、音楽の才能はあるものの大酒飲み、母は、心やさしく家族をつつんでやまない、そして二人の弟はクリストフとそりが合わない。

クリストフは、生まれつき感受性に富み一徹で、それ故にしばしば激情に駆られ近所の子どもと大げんかに至ったり、早世した兄の死を知っては強い衝撃を受けたりするのであったが、それはやがて音楽の才能として父に見出される。父は、クリストフに厳しい訓練を科し、彼の才能は伸び始め作曲をも手がけるようになる。父はクリストフを食いものにしようとし、クリストフは、傲慢で破天荒な行動に走り、彼の音楽は壁に突き当たるが、行商人の叔父ゴットフリートは、音楽を作ることについて、「音楽は、お前が神様のなつかしい新鮮な空気を吸っているときに、家の外にあるのだ」とクリストフに諭し、それがクリストフのこころに火を灯すこととなる。音楽の稽古は広く深く進んで行く。やがてクリストフは宮廷ピアニストやオーケストラの指揮を任されるようになる。(『曙』)

一家を仕切っていた祖父が亡くなると困窮が深まり、クリストフは、ピアノを教え家計を支えることとなる。音楽の腕を磨き作曲を重ね、友人オットーと交わり、ミンナとの恋を経験するが、友情は裂かれその恋を失い絶望にうちひしがれる。そこに、父の急死。彼は、それらの試練を経て「自分の心が武装を解き捨てて降伏していたことを」自覚するのであった。(『朝』)

十代も後半に入ったクリストフの前にはふたりの女性が現れる。若くして夫を亡くしたザビーネを慕うが心を交わすこともなく彼女は死を迎える。やがて、背の高いブロンドの髪の少女アーダと知り合うが、彼女の不実を覚り失望のうちにこの恋も幕を閉じる。ここでも、クリストフの傷心を救ったのは、叔父ゴットフリートであった。(『青春』)

第2楽章(スケルツォ) 反抗・廣場の市

クリストフは、創造の喜びを知るなかで「とつぜんドイツの藝術の持つ虚偽について目を開か」されたと感じた。彼にとってそこに見えてきたものは、腐敗した感性、傲慢、虚しい技巧などであった。彼は、既存の権威に反抗し、過激な批評を新聞に執筆し、世間は、彼を理解せず、逆に非難、侮蔑し、多くの敵を作ることとなった。演奏会は不評で失敗に終り、大公は宮廷から彼を追い出した。それらのなか、クリストフはフランス人女優コリンヌを知り、また、満員の演奏会場で、やはり若い女性フランス人家庭教師と席を分け合い、彼女たちを通じてフランスの精神を垣間見る。

孤立無縁と思われたクリストフの前にラインハルト教授夫妻が現れ、彼の音楽を理解し温かく見守ってくれる。フランス文化について夫人と語るうちに、あのフランス人家庭教師を夫人が知っており彼女の名がアントワネット・ジャンナンであること、彼女がパリで学ぶ弟のためにドイツで働いていることを知らされた。しかし、ラインハルト夫妻との交友もまわりからの誹謗中傷により切り裂かれてしまう。叔父ゴットフリートも亡くなる。

孤独のクリストフを老シュルツ教授が救った。老シュルツは、クリストフの音楽を愛し彼の作曲に賞賛の辞を送った。クリストフは老シュルツとのやりとりを通して音楽に対する自信を回復した。

クリストフは、失望を深めていたドイツを去り自由な精神を求めフランスに行こうという思いにかられる。母親と別れることには大きな抵抗を感じていたのだったが、村祭りで起きた騒動にまきこまれ追われたクリストフは、母からの手紙の「パリへ行くがいい。・・・お母さんのことは気にしないでおくれ」という言葉に送られてパリへの汽車に乗った。(『反抗』)

パリでは、善良な隣人たちとこころを通わし、自由で革新的な藝術家を散見したものの、虚飾に満ちた社交界や品格のない聴衆、ディレッタントな藝術家などに憤慨し、形式主義的音楽と不道徳的文学、無政府主義的政治などを感じ失望を深めていった。そうしたなか、クリストフはピアノの生徒コレットに恋心を抱いていたが、結局、それは実らない。コレットの従妹でイタリー人のグラチアも彼の生徒であった。グラチアは、クリストフの音楽だけでなく彼自身をも愛し尊敬していた。その思いが通じないままイタリーに帰った彼女は、クリストフに手紙を送った。「それは、クリストフが孤独ではないこと、彼が勇気をなくしてはならないこと、彼のことを思っており愛していること、彼のために神に祈っていることが書かれている、長い善い手紙であった・・・・・・。途中でばかばかしくも道に迷い、遂にクリストフの手にはとどかなかった哀れな手紙であった」。

クリストフは、母から送られてきた旧約聖書に触発されて交響曲「ダヴィデ」を作曲する。その発表会では、彼に反感を抱く出演者の不実と聴衆のさわがしさとに「気がいらだったクリストフは、曲の途中にとつぜん弾くのを中止し」て出ていってしまう。彼は、失意と孤独の日々を送ることとなる。しかし、彼は、「一つの大きい魂は決してひとりぼっちではないこと」に気づいていなかった。この事件のあとでクリストフは、ある音楽の集いでオリヴィエ・ジャンナン、すなわち、あのアントワネットの弟と邂逅を果たしたのであった。(『廣場の市』)

第3楽章(アダージョ) アントワネット・家の中・女友だち

アントワネットとオリヴィエの姉弟は、クリストフの音楽を理解し親しみを感じていた。オリヴィエは感性豊かで精神性に富み文筆をよくする青年であった。病を得ていたアントワネットは、クリストフへの思慕の情を伏せたまま帰らぬ人となる。(『アントワネット』)

クリストフはオリヴィエを訪ね友情の絆を深める。やがて、彼らはいっしょに住むこととなる。クリストフは、ふたたび生気を取りもどし、「同時代のフランスの詩人たち、音楽家たち、学者たちの精神を生気づけている理想主義のすばらしく大きな力を発見」する。オリヴィエは、フランスの理想主義はドイツ人によるところが大きいとさえいう。善良なフランス人とドイツ人の間に類似点が多いことにも気がついた。クリストフは労働者、作家、宗教者、学者、革命運動家のなかに、近代の歴史のなかに、自由、理性、敬虔といったフランス精神の特徴を見いだしていった。

クリストフのかつての作品「ダヴィデ」の楽譜が出版されるようになったが、それらに対する評価は善し悪しに分かれていた。そうしたある日、母からの手紙を見て急遽帰国したクリストフが見守るなかで母は息をひきとった。(『家の中』)

彼らは、社交界にも身を置くこととなり、クリストフの名声も広がった。オリヴイエが富裕な家の娘ジャクリーヌと親しくなりやがて結婚し、クリストフは再び孤独な生活をはじめる。クリストフは、若い女性ピアニストのセシールと知り合い、彼女の演奏に心を打たれる。女優フランソワーズに出会い、ふたりは愛し合うようになる。クリストフは、彼女たちとの交友の中で、霊感を得たりしながら彼の音楽のうえのいくつかの進歩を得た。

クリストフに対する悪意に満ちた攻撃が急激に消えていった。「クリストフの藝術の味方であるベレニー伯爵とその夫人がクリストフに大きな好意を寄せているという。クリストフ自身はこのふたりの名さえ知ら」ない。

そのころ、オリヴィエの家庭に波紋が起こり、やがて、ジャクリーヌは息子ジャンナンをのこしオリヴィエのもとを去った。セシールがその子どもを引き取った。その後、クリストフは、ある夜会で、今や外交官夫人となったグラチア、すなわちベレニー伯爵夫人と再会した。(『女友だち』)

第4楽章(終曲) 燃え立つ茂み・新しい日

 クリストフとオリヴィエは、以前と違って即かず離れずの交友を続けていた。オリヴィエは試行錯誤を重ねつつも社会変革の波のなかにはいりこんで行く。クリストフはそれらになじめず、「僕は藝術家だ。・・・知性の光を救うことが僕たちの役割だ。・・・藝術家は、嵐の中で常に≪北≫を指している羅針盤だ」と主張し仲間たちと議論をする。

彼らは、五月一日の運動の輪の中に出ていった。民衆の運動に官憲が襲いかかってきた。その乱闘にふたりは巻き込まれ、オリヴィエは深手を負い、クリストフは、抜刀した警官から身を守るため無我夢中でサーベルで相手の胸を刺してしまう。クリストフはパリから脱出しスイスに向かうが、その間にオリヴィエは息を引き取った。

クリストフはスイスの地で、同郷の医者ブラウンに救われ、ブラウン家に滞在することとなる。オリヴィエの死はクリストフを打ちのめすが、ブラウン夫妻の無私ともいえる世話にあって音楽活動を徐々に再開する。しかし、自分の音楽のあり方や意義、自分の能力、人生の目的などに確信を持てない。そうした迷いのなかで、彼は、ブラウンの妻アンナと関係をむすぶことになる。二人は追い詰められ心中をこころみるが果たせず、クリストフは煩悶の末、ブラウン家を逃げ出した。

クリストフは、ジュラ山中の農家に身をかくす。山や森を歩きまわり煩悶の日々を送る。ある春の夜、嵐の中で突然の啓示を得る。「彼は自分の魂を剥ぎ捨てた。天翔る夢の中でのように、彼は自分自身を鳥瞰した」。そして、クリストフは復活新生した。(『燃え立つ茂み』)

「夏の或る夕方」、山中を散歩していたクリストフは、今や未亡人となっているグラチアに再会する。彼女は、物静かで落ち着いた控えめな雰囲気をただよわせていた。「彼らは秋の末ごろにローマで再會することにした」。彼らの間には、自制された親しさからなる友情ができあがった。クリストフは、山野、糸杉、青い空、日の光などイタリーの「自然」に強く惹かれた。「彼は無上の幸福に浸っていた」。「自然とクリストフとは合作して夢みていた」。また、彼は、優美なラテンの藝術に魅せられていった。グラチアは、イタリーが、他方で「意志の力を眠り込ませて無気力にする感化力」を持っていることを知っていた。彼にパリで指揮をしないかという依頼が来たのを機会に、グラチアはクリストフにパリに帰ることを勧めた。

パリに戻ったクリストフは、そこに新しい時代の潮流を認め、それらを次々とグラチアに書き送る。グラチアからも「半月に一度ずつきちんと」返事が届いた。

あの五月、オリヴィエの死のきっかけになった行動をした少年エマニュエルは、新しい詩をもって彼の前に現れた。奔放でおおらかなジョルジュ・ジャンナンは、リセに通っているのだが音楽家になりたいという。彼らは、新しい時代の申し子だった。クリストフは、藝術の新世代への継承と発展を見る思いがした。

グラチアがふたりの子どもをつれてパリに来た。娘アウロラは素直な少女だったが、息子リオネロは病身で神経質でひねくれたところがあり、何かをせがむのにわざと発作を起こしたりして、母やクリストフを困惑させた。リオネロの病気が悪化し亡くなる。その後、グラチアの心身は弱って行き、やがて、イタリーからグラチアの死の知らせが届く。

この時期にクリストフが作曲した二つの交響曲には、「ドイツの、愛情深くて叡智に充ちていて、幽暗な襞に富んでいる思想と、イタリーの情熱的な旋律と、そして、こまやかなリトムに富み、ニュアンスに充ちた和音に富んでいる、はつらつたるフランスの精神と」の統合が実現していた

 ヨーロッパは、第1次世界大戦に向かう暗雲のもとにあった。クリストフは、かつての論敵も受け入れうるが、国と国との憎悪には加担できないと感じていた。「クリストフの音楽創造は清澄な形をとるようになっていた。・・・それはもはや春の嵐ではなく・・・夏の白い雲たちであった」。その頃、ジョルジュとアウロラのあいだに恋心が育っていた。クリストフは、二人の愛を支えあたたかく見守った。

すでに高齢となったクリストフは思い立って誰にも告げず故郷の街を訪ねてみた。「故郷の小都市は大きな工業都市に変っていた」。墓地はなく、彼の遊んだ河畔は失せていた。自分の作品が「その作の根本意図とは正反対の訳出ぶりで演奏され」ていた。

ジョルジュとアウロラの結婚式が春の初めに行われ、新婚旅行でイタリーに旅立っていった。ふたりを見送ったクリストフは病牀についた。「彼は喘ぎながら・・・生を頌める一つの歌をうたいだした。・・・眼には見えない一つのオーケストラが彼の歌に応答した」。「彼の全生涯の絵巻物が彼の眼の下にひろがり流れた――ライン川のように」。・・・「門が開かれる。・・・・・・私が探し求めていた和音が今ここに在る!・・・明日、われわれは更に進もう」。・・・聖クリストフは、「彼の左の肩にかよわく重い≪子供≫」をかついでいる。今にも倒れそうなクリストフの手が、とうとう岸に触れる。クリストフは、≪子供≫に言う、「あなたはいったい誰ですね?」。そして≪子供≫は言った――「私は、生まれ出ようとする日なのだ」。(『新しい日』)

註)
1)以上において「 」はこのみすず書房版本よりの引用です。『 』は章名です。
2)上記の通り、第1〜4楽章という4つの呼び方を使っています。これは、レビューにも書いたことですが、この本の帯に書かれていた「この上製本は、『ジャン・クリストフ』全巻を交響曲の四つの楽章に照応させた原作者の意図に従い、次の四分冊として刊行される」によっています。
3)音楽とクリストフの広範な思索体験に関する要約は改良の余地があると思うのですが、それは評者の力に余ること故、このままとしました。

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