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樹下談叢(掲示板)へ

2007年5月31日(木)
レストランなどの新陳代謝

陰時々雨。昼餉に同僚と新しくできた中華料理屋に。モダンな建物でレバニラ定食800円その他大衆メニュー。次々来客あり。当地もレストランなど新陳代謝が激しい。

2007年5月30日(水)
高杉一郎の巻

陰後雨。雑誌「世界」の対談「世代を越えて語り継ぎたい戦争文学」。高杉一郎の巻、読むを手控えていたが止みがたく「絶學無憂」に集録すべく要旨を作る。父母の十・一年祭の準備開始。梅雨が近づいて来つつある空気。

2007年5月29日(火)
大学紛争真っ盛り世代の後輩

晴。高校の4年後輩に会い、仕事を依頼。気持ちよく承諾してくれた。大学紛争真っ盛りの世代。学長団交、内ゲバ等。その思想の一部が仕事の上に映っていたように見える。念願の眼科に行く。孫来る。

2007年5月28日(月)
北海の高気圧からの風

晴。昨日午後まで南海の高気圧から風が吹き込んでいたのが、同夕方からは北海の高気圧からの風に変わり、ぐっと寒くなり、今日も日差しは強いが風は寒いくらい。これも気候変動の一部か。忌明けで香奠返しを葬儀屋に依頼。葬儀の決算は未だ出来ず。松岡農水大臣が自殺。

2007年5月27日(日)
鳥の声の種類の多さ

晴夕陰。清祓の儀、神封じをとり煤も払い、通常の神棚に戻った。朝、久しぶりに自転車で花室川畔を走る。少し前の花の数の増加より、今は鳥の声の種類の多さよ。葭原からも雑木林からも、ウグイス、ホトトギス、シギの仲間、等々。川の主の鯉一家も悠々と泳ぐ。時は春、日は朝、・・・すべて世はことあまた。

2007年5月26日(土)
五十日祭

晴。亡次男の五十日祭。元職場の先輩からの手紙も届く。数日前にも、その別のお仲間からお参りを頂いた。それやこれやでこの間、お花の途絶えることがなかった。

2007年5月25日(金)
心がけと天気の関係

雨。天気予報で、今日だけ雨で明日はまた晴と言っていた。東京の会議にあちこちから人が集まるので、足元の悪くなったのを気にしたメンバーが「心がけの悪いのは誰だ」と言っていっ時話題になった。会議は大変良い結果に終わり、心がけの悪い人は不問に付されて皆さん満足して帰って行った。心がけと天気の関係は、血液型と性格の関係と同程度にどうでもよいことらしい。

2007年5月24日(木)
夏は来ぬ

晴。昨日は花の咲く時季を問題にした。が、今日、卯の花が咲いているのに気がついた。つまり、例年通り、夏は来ぬ。春先、桜の開花にあちこち早晩があって、それは冬の寒さにちょうど良く会ったかどうか、によっていた。そんなことがシャクナゲだけでなくいろんな花の開花にも影響しているのかも知れない。世は官製談合の摘発で騒がしい。

2007年5月23日(水)
花の季節に花がない

晴。元の職場の仲間が連休明けに県北の花園神社にシャクナゲ鑑賞に出かけた。ところが、どのガイドブックにもこの季節シャクナゲが咲くとあるのに群落はおろか木すら見当たらない。で、滝を眺め新緑をたっぷり浴び満足することにした。と、退職者の会ニュースに書いていた。そういえばシャクナゲだけでなくツツジも花のある時季にないのではないか。花はどこへいった?

2007年5月22日(火)
どちらに未来が

晴。政府の規制改革会議が、最低賃金引き上げは生活をかえって困窮させるので慎重にとか、事業主が金銭を払えば解雇できる制度とか、女性の権利強化は雇用を手控えるなどの副作用を生ずるとして否定など、常識では首を傾げたくなる意見書を発表した。他方で、20日には、新聞では小さくしか報道されなかったが東京で3000名以上の青年が集まって「全国青年大集会」を開き「まじめに働いてもむくわれない世の中を変えるためがんばろう」と訴えた。どちらの立場に未来があるか、考えさせられた。

2007年5月21日(月)
窓を開けると

快晴。窓を開けると湿度が上がって気持がよい、と職場の女性の言。お肌にも感ずると。確かに外の方がホッとする。そこで、仕事が一段落したこともあり少し早く引けてきた。

2007年5月20日(日)
孫と買物

快晴。娘一家とショッピングモールに買物。孫の夏衣装など。時々、同類の家族連れが目につく。ベビー用品大型店には、おむつ交換や授乳などのできるコーナーがあり混雑。我らの子育て時には思いもよらぬこと。

2007年5月19日(土)
匍匐前進

陰一時雷雨。孫がはじめて匍匐前進。手拍子、万歳など、急激にいろいろできるようになっている。別の孫は、先日、野球大会でタイムリーヒットに対し敢闘賞の金メダルをもらって喜んでいた。敢闘賞というのが気に入らんが、こちらもいろいろ出来るようになっている。その妹も難しい漢字を沢山覚えてきている。孫たちが思いっきり力を発揮できる環境を作るのにじじばばは何かしてあげたい気持。

2007年5月18日(金)
社会は動き季節は進む

陰時々晴一時雨。朝5時に起き浜松日帰り。ということで、昼以外TVや新聞に触れず。しかし、昼休、立てこもり暴力団のニュースが耳に。これ無くば外界よりの悪便なく穏やかなりしに・・・。14日には冬風情の静岡県東・中部の水田に水が張られ田植準備中。西部の水田は粗方苗も活着済み。社会は動き季節は進む。

2007年5月17日(木)
車社会

雨後晴。梅雨に入ったような雨。過ぎたらからっと晴れた。車のバンパを取り替え、新車のごとく甦った。それにしても車社会は限界のようで、帰り道、事故で渋滞、救急車も来ていた。一歩間違えば事故、という中で皆運転している。

2007年5月16日(水)
靉光(あいみつ)

晴。東京で細かな仕事がみっつあり、その間の空き時間、竹橋の国立近代美術館で「生誕100年 靉光展」を見た。彼は応召され病を得て終戦後に上海で戦病死した。38歳だった。その間に、実に多くの種類の絵の技法を試み、それぞれなかなかの絵を画いた。応召直前の3連作の自画像がすごい。その印象は「H.R.の手記」に記した。最後の自画像を初め主な作品は、近代美術館のHPで見ることが出来る。

2007年5月15日(火)
責任者は誰だ

晴。TVや新聞のニュースをあまり見たくない。今日も殺伐とした事件が起った。17歳が母親を殺し、首を持って警察に自首した。最近、親殺しが増加中とのこと。多分、間違いなく社会現象。とすれば、その社会の責任者は誰だ。その責任者が責任をとってそうでない社会を作ることに邁進するのが当然だ。私がその責任者であったなら躊躇なくそうする。責任者がいないのか、責任者が他のことに執心でこれに責任を感じていないのか。後者であれば責任を感ずることの出来る他の人に替わってほしいものだ。

2007年5月14日(月)
同時多発田植えか、また黄砂か

晴。田植え前線などは無く、田植えはあちこちで同時多発の可能性有り。東海道線で静岡辺の乾いた田圃を見てから大井川を越え牧野ヶ原を抜けたら、掛川から磐田の辺り、田植えが進行中。地域性があって、他にも進行中の地域があちこちにありそう。夕刻、灰色の空を背景に、明るい夕日が山の端の緑に映えたり、家々の屋根やビルの壁を明るく照らしたり、風情を醸す。色調はこの季節のいつもの夕景に比べ赤みがかってもしや黄砂の影響か。昨日も静岡近辺にて同様の色調の夕景を体験。

2007年5月13日(日)
うつりかわり

陰後晴。新幹線より眺む東海道の山は椎若葉鮮かなり。田は未だ冬のママ。田植え前線はいずこ辺か。用ありて清水駅前通りを歩む。モダンなビルの間に昭和30年代を思わす新聞店、京染め屋、ポンプ屋、閉店など散在。表のみ今風で脇は古色蒼然たる板羽目も見ゆ。表通りを行く人の中にタイ語を話す少年ふたり、国際都市になりつつあり。変化を覚ゆ。荷風が東京で感じた変化の筋を思う。

2007年5月12日(土)
十割蕎麦

晴。昼餉に、雑木林の緑のトンネルを抜け、田圃には早苗の波を見つつ、田甫の中の一軒家の蕎麦屋に行き十割そばと普通のせいろを食す。連れ合いは前者が良い、小生は後者が良いと。窓の外には筑波山と飛行船があちらとこちらにそれぞれ悠々。

2007年5月11日(金)
新聞折り込み広告

晴。新聞に挟み込まれる広告、ほとんど全く見ない。新聞配達人にとっては重い。配達店にはなにがしかの収入になるのだろう。あるとないとでどのように違うか、調べた人がいるのだろうか。資本主義経済の特徴の一端を表しているのかもしれない。

2007年5月10日(木)
茶髪のお兄さんと雷雨

晴後雨。車で曲がり角にさしかかったとき、向かいから来たダンプの心優しい茶髪のお兄さん運転手が、心持ちこちらにスペースを分けてくれたので、肝心の工事場に入るのに塀に接触しそうになり、大努力でちょっただけバックしてコースを調整して入って行った。どうもありがとう、おつかれさま。その後、雷が鳴って、まさに車軸を流すような雨。家に着いたらほぼ止んでいた。

2007年5月9日(水)
暑い日

晴。あちこちで真夏日。ヤツデの葉が夕方ぐったりしていた。温暖化対策を加速させるべし。

2007年5月8日(火)
新宿の高層ビル街

晴。新宿の高層ビル街、久しぶり。地下道は段ボールはないものの、相変わらず薄暗い。出ると、都庁ビルが摩天楼のようにそびえていた。石原さんは、どんな豪華な椅子にお座りか、想像も出来ない。日差しが強かった。西日本は軒並み真夏日。この夏も大きな気候変動が襲いそう。

2007年5月7日(月)
イネ科草

朝の内雨日中晴。一両日、鼻回りがおかしいと思っていたら、今朝になって小鼻の裏側に痛みを感じ、始まったのが確認できた。イネ科草によるアレルギー反応。道ばたに確かに穂が伸び始めている。アレルギーに関しては惚けていない。これからもしばらく薬が欠かせない。

2007年5月6日(日)
花と緑

雨時々陰。花があちこちに咲き誇っている。猫額庭ではスズランとシランとクレマチスなどが咲いている。緑も増え、ケヤキなど、出葉が遅い木々がまだ枯れ枝に見える。柿若葉の季節がみどりの盛り。その時期が好きである。

2007年5月5日(土)
ハワイへの慰安旅行など

晴。爽やかな日が続き、連日、スイス辺りの夏の陽気。午後、次男の元同僚2名来訪、ハワイへの慰安旅行など、思い出をたくさん語ってくれた。芝生刈込み、軽く施肥。

2007年5月4日(金)
冷し中華

晴。昨日より暑く、買い物に出た昼餉には冷し中華、勿論今年始めて。

2007年5月3日(木)
憲法、生きづらい世、自転車

晴。還暦憲法の日。TVの政党討論を聞く。夕餉時のTV「生きづらさを聞いてくれ」。2本のTVで憲法の9条、生存権など考えさせられた。特に9条はこれからの世界を先取りしており、改憲の必要は全くなし。そもそも憲法で最も規制さるべき首相が改憲を言い出すところに、魂胆が見え見え。字義どおりの政治実現が先決。午後は、行楽日和を自転車で30km程、花室川源流まで、2時間強。少々疲れた。筑波8時間耐久自転車レースというイベントをやっていた。8時間とはね〜。

2007年5月2日(水)
突然土砂降り

晴時々雨。八十八夜。よく晴れていたのに、店から外に出ると土砂降り。小降りになって歩き出したらまた突然土砂降り。子どもの頃ずぶ濡れで帰宅したのを思い出した。夕刻、次男の元同僚のお嬢さん来訪。

2007年5月1日(火)
メーデーの日

陰後雨。今日のメーデーが本物、心配していたらテレビでちゃんと映していた。葬儀のあと、諸手続きで1か月位掛かるといわれるが、ようやく先が見えてきた。午後から東京、仲間と夕餉をとりて後、かみさんが県議になった大学の先生の経験談を聞く。全く新たな生活リズムが必須とのこと、さもあらん。