!!夢じゃない!! ペルセポリスめぐりはこれからだ(o^^o)ということでイランの歴史のお勉強^^v
 
アケメネス朝 (紀元前550年〜330年)
 紀元前550年、キュロス二世が王朝を開く、その子カンビュセス二世がエジプト征服、アケメネス軍のダレイオス(ダリウス)一世が首都をスーサからペルセポリスに移し、中央集権性を確立。その後ダレイオス一世、その子クセルクセス一世によるギリシャ遠征やスキタイ遠征で国力が弱まり、アレキサンダー大王がペルシャ帝国を攻撃。331年ダレイオス三世が暗殺され、アケメネス朝が滅びた。
 
パルティア朝 (紀元前250年頃〜224年)
 アレキサンダー大王
がアケメネス朝の後継者(イラン東部)となる。イラン系遊牧民アルケサスがイラン北東部に進出、ペルティア帝国を築く。アルメニアとメソポタミアの争奪をめぐりローマ帝国と抗争を繰り返し国力が弱まり、226年ササン朝ペルシャに滅ぼされた。
 
ササン朝 (224年〜651年)
 アケメネス朝
の流れを引くササン家からアルデシールパルティア朝を滅ぼし、アルデシール一世の子、シャープール一世はアルメニアを占領、ローマ皇帝ヴァレリアヌスを倒す。シャープール二世がイラン・アルメニア・メソポタミア及びシリアの一部を掌握するが国力が弱まり、その後ホスロー一世の時代に国力を回復する。7世紀の初めアラビア半島にイスラム教が生まれ、570年に生まれた予言者ムハンマドがコーランの啓示を受け布教を始め、ヤズダギルド三世の時、イスラム教徒の軍隊によってササン朝は分裂、滅亡した。
・・・・・飛ぶ(^^ゞ
サファビー朝 (1502年〜1722年)
 イスマーイール一世
が1502年ティムール朝を倒して興した王朝。シーア派のロイマーム派を国教として採用イラン文化の黄金時代を作り上げた。1598年イスファハンに首都を遷都し、サファビー朝の最盛期が築かれた
 
カジャール朝 (1796年〜1925年)
 カジャール族のアガ・ムハマッドが開いた王朝で、首都はテヘランになりました。西欧列強に影響を受けながら1905年立憲革命運動が起き、国民会議が成立。第一次大戦後、国内は混乱。1921年レザー・ハーンテヘランを占領、1925年新王朝を開いた。
 
パーラビー朝 (1925年〜1979年)
 国民議会によるカジャール朝廃止、レザー・シャー・パーラビの称号を与えられ、新王朝樹立。1035年ペルシャからイランに国名を改める。1979年ホメイニ師を指導者とする「イスラム革命」によって位を追われた、ムハマッド・レザー・パーラービは国内に逃亡。パーラビー朝は滅亡した。

(@_@)いかがでしたか?ご存知な方は間違いをご連絡下さい。tomo-san@一夜漬け(O_o)ご存知ない方も\(*◇*)/適当に・・流して下さい。(笑)

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