すたあと長田通信1「1999年夏の号」
おもて | |
---|---|
2ページ目 | 1ページ目 |
うら | |
---|---|
4ページ目(上) | 3ページ目 |
4ページ目(下) |
夏も盛りの頃“今だ!”とばかりに蝉も頑張っていますが皆様にはいかがお過ごしでしょうか。日々の忙しさに翻弄されていると月日の経つのは本当に早いものですね。
昨年開催しました「草刈り隊」の報告を兼ねた、通信紙の発行から早くも半年以上が過ぎ、この町の様子もそれなりに変化しています。
そんな被災地の姿や、私たちの活動を全国の皆様にもお伝え出来たらと、このたび『すたあと長田』では通信紙を発行する事となりました。限られたスタッフと時間の中、蝉を見習い頑張ってみますのでどうかよろしくお願いいたします。
蝉時雨のシャワーを浴び、木陰のベンチで将棋にふける爺ちゃんたち。ン〜、将棋教えてほしい。(真)
仮設住宅なるものを初めて眼にしたのは1995年の4月。
震災から3ヶ月を迎える頃、当時公園のテントで避難生活を送って居た被災者の引っ越しで、須磨区の公園内に建つ高齢者用仮設に行った時の事。島原に建つ仮設住宅をテレビや新聞で見てはいたが、実物の持つもの悲しさまでは私に伝わっていなかった。その使いづらそうな設備や窓から見せる不安げな住民の表情に、私達ボランティアは後味の悪さを抑えきれず「あんなとこに年寄りばっかり入れといてええんかな」と重い足取りで雨の中を帰路についた。
その1週間後、手にいれられるだけの道具を車に積み込んだ私達は再び仮設を訪れカセットコンロの火と闘いながら桜の樹の下で『ふれあい茶話会』の主催者になっていた。あの日から4年が過ぎる今日まで実に様々な内容で仮設支援を重ねて来たが、去る6月25日(コレが又大雨の中)に手伝った仮設から復興住宅への引っ越しを機に、『すたあと長田』の仮設支援はひとまず終了した。
7月11日、神戸市内で最大規模の仮設住宅でお別れ会が催された。かつてそこに暮らした人々が大勢集い、再会の場を共有したが、私達ボランティアには彼らの今後が案じられてならなかった。仮設住民の多くが終の棲家として復興公営住宅へ入居しているが、閉じこもりがちなケースが多く地域コミュニティの脆弱さを浮き彫りにしている。
当事務所近隣にも被災者の受け皿住宅が2棟建設中で2000年には数百人の新たな住民を抱えることになるが、震災で学んだ様々な経験を糧に、今後『すたあと長田』は地域福祉に取り組もうとしている。
私の近頃の主な活動は、地元長田の放送局FMわいわいの土曜の番組『すたあと長田のサタデーエクスプレス』を毎週担当することです。時に復興住宅慰問のお手伝いをする事もありますが1月に兵庫県北部から野菜を持ってきて貰い、バザーが開催された後、そこにはいつものソウル・フラワー・モノノケサミットの姿と演奏がありました。
その公営住宅はお年寄りが多いのですが、足どりのおぼつかない男性が杖を突きながらやって来られました。ところがソウル・フラワー・モノノケサミットの演奏が始まり、『復興節』や『がんばろう』などの唄が始まると、その男性はマフラーを取り、杖を放し、オーバーやセーターを脱ぎ、立ち上がり誘われるまま楽団の仲間となり、ご持参のハーモニカで共演もされました。
これが共にこだまし合う元気なのですね。元気、元気、長田には元気があります。
※文、写真とも和田幹司
ただいま、すたあと長田では『ふれあい塾』なる趣味の講座を開催しています。被災地域に暮らす高齢者の方々に、物作りを通じて仲間や生き甲斐も作れたらとプレハブ事務所の二階を利用して、月に4回行われています。
内容は陶芸と手芸ですが特にカリキュラムを設定せず、参加者の技量に応じて進めていくのが特徴です。既存のカルチャーセンター等とは違って講師がボランティアスタッフですから人件費も不用で参加費も一回200円と言った具合です。
先日は参加者(日本人)の希望で陶芸を一回お休みにしキムチ作りを行いました。講師役に抜擢されたのは『ふれ塾』最年長参加者の在日韓国人の方です。日頃『識字教室』や『ふれ塾』に通う彼女。初の講師役に戸惑いながらも何軒も八百屋に足を運び、材料となる野菜の値段をリサーチするなど私達以上に見事な先生ぶりでした。
他の参加者も熱心にメモを取ったり質問が飛び交ったりとあっと言う間の3時間でした。お陰でおいしいキムチを作ることが出来、今度は『チヂミ』作りも計画中です。年齢を超え気軽で和める学習の場を目指して『ふれあい塾』はただいま開催中!です。
※『ふれ塾』は事務所使用期限に伴い半年の期間限定開催です
99年の6月末から7月の頭にかけての豪雨は、全国各地に大きな被害を与えました。
すたあと長田のある長田区や隣の兵庫区でも新湊川の氾濫や地盤の緩み等の被害があり、避難勧告まで出たと言う事です。埼玉に住む私は、何度も訪れている神戸の被災情報を関心を持って見守っていました。しかしながら地域ニュースということで、全国ニュースで流れたのは最初だけ。仕方なくその後の情報はインターネット上で追う事となった訳です。
被害の概要は、当日の深夜には新聞社のホームページ(HP)で朝刊よりも早く速報で流されていました。翌日からは地元紙「神戸新聞」を始め、全国紙の大阪本社のHPで写真付きで記事を読むことが出来ました。
ボランティア団体のHPでは「神戸元気村」が写真でレポート。「日本災害救援ボランティアネットワーク」に行ってみると「全国災害救援ネットワーク準備会」という新しいHPでこの豪雨被害救援情報を集約しているとリンクが。そこでは震災がつなぐ全国ネットワーク参加団体からの被害状況の報告や、救援情報が掲示板に書き込まれていました。
翌日には兵庫区ボランテイア災害支援センターが設立。床上浸水のは被災地に入って後片づけをする様子などがその後もレポートされました。
また長田のFMわぃわぃはインターネットで聴くことが出来ます。その週の「すたあと長田のサタデーエクスプレス」では、緊迫した様子が身の回りのこととして語られていました。
インターネットというメディアが一般に普及し出してまだ数年ですが、その利点として地域的個人的な限定された情報でも、お互いにうまく活用すれば有効なメディアになり得るということがあります。離れてはいても様々な支援の可能性も広がります。
能動的に自ら動くと神戸の動きも結構知ることが出来ます。するとまだまだたくさんの人の助けを必要としていることが判り、何が出来るのかを考え行動するきっかけとなることでしょう。
すたあと長田を通じてこれからも被災地を見守っていきたいと思います。
神戸は瀬戸内海に添って東西に細長い町ですが、その中心を割ってチョイと西に行ったところに長田区は位置しています。もう少し西へ行くと、かの光源氏がおいたをして都追放の後「須磨の君」と出会った、白砂青松で名高い須磨海岸があります。
さて話を現代の長田に戻しますと、震災で激甚被災地区の指定を受けた長田の町ですが、そのバイタリティ溢れる程の人情の豊かさは震災以前と今も変わらず健在です。
ただ震災で住民が減ってしまった上、そこを平成不況の風に煽られもんですから、商店や製造業者は大変な苦労を強いられ、たまったモンじゃありません。
昭和の中頃から「ケミカル産業」と呼ばれる靴の製造が盛んで国内はもとより外国へも好評を博しましたが、最近は安価な輸入品に押されながらも、仮設の工場や店舗で良い品を安くと底力をふりしぼり励んでいます。
余談ですが歌手の安室奈美恵さんの影響で、アムラー現象が全国の若い女性に波及し、ストレッチ素材の黒い上げ底ブーツが流行ったのを覚えてらっしゃいますか? あのブーツの製造で長田のケミカル産業界がにわかに潤ったのですから、いやはや経済は循環してこそ健全なんですね。
かくいう私も製造業を営む叔母から一足頂きましたが、なにせあのカカトの高さ。今でも大事に下駄箱の中でアムラーしております(?)。
アナタの家の下駄箱にも有りませんか?長田生まれのアムラーブーツが。
“すたあと長田”はこれからも様々な被災地支援活動を展開していきますが、皆様からのご意見ご感想が私達のエネルギー源です。
〒653-0014
神戸市長田区御蔵通り5-5
TEL/FAX 078-521-7170
平成7年1月。阪神・淡路大震災による被災地と被災者の緊急支援を目指して立ち上がった多くのボランティア達。未曾有の災害が残した爪跡と闘いながら、その恒常的支援の必要を見据え、同年3月に『すたあと長田』は設立されました。
避難所や仮設住宅を始め県外避難された方々は勿論、神戸市内各所へも隔週で無料配布された「ウイークリー・ニーズ」。震災後の区画整理事業などが進むにつれ刻々と変化する被災地域の状況、また仮設住宅や避難所で暮らす事の問題点等、そのほか被災者の生活復興に係わる様々な事柄を取り入れた生活情報紙として3年間発行されました。
避難所から仮設住宅への入居が始まった平成7年4月から、その撤去が開始された今年6月末までは仮設住宅住民への友愛訪問を繰り返し、住民の要望を受け引っ越しの補助や日用品のバザー、お茶会、草刈りなどを行って参りました。
そのほかにも被災地域の活性化をと、イベントの開催や各種講座の開設、ラジオ番組の放送、ナホトカ号重油流出現場への支援活動といった具合に、拙いながらもその時々の「ニーズ」に応じ、また多くの人々に支えられ今日まで活動を重ねる事が出来ました。
それらの活動を継続してきた四年半の月日は、私達震災ボランティアに取っても実に貴重な学習の期間でもありました。“震災復興”の名の下に交通網が整備され立ち並ぶビルが写し出されていた1999年1月17日早朝。物質面での復興が陽を浴びるなかで、写し出されなかった沢山の影。強烈な違和感を感じながら、震災で失われたコミュニティに付いて改めて考えさせられました。
また仮設住宅で問題視された「孤独死」は決して被災地だけの問題では無く、現代日本社会の憂慮されるべき問題でも有ると思えてなりません。
そんな被災地を背景に『すたあと長田』は何をすべきか、何が出来るのだろうかと模索しつづけて参りましたが、来年2000年より新たに《配食事業》(仮称:ホドリ)を開始する運びとなりました。
坂道の続く街並みを背景に、杖を突き、車椅子をもってしても外出のままならない多くの方々。震災により地域密着型の小売商店が激減し少量の出前を取る事も困難なこの被災地で、やっとの思いで入居した公営住宅に閉じこもりがちな独り暮らしのお年寄りや、障害をお持ちの方々への支援活動として、バランスを配慮した昼食と夕食の他、希望に応じ持ち運びづらい日用消耗品等を代理購入し、お届けできたらと考えております。
しかしながら、当『すたあと長田』が常に抱える活動資金不足は切実な問題で、震災から今日に至るまで全ての活動は無償スタッフにより行われて参りました。
更に現在使用中のボランティア共同事務所の使用期限も今年11月末と迫り、新事務所の確保や、活動継続にとスタッフ一同悪戦苦闘を強いられております。
今後も被災地と共に、一歩づつあゆんで行く所存ですが、広く皆様にもご支援頂ければ幸いと願っております。
付きましては『すたあと長田』の活動に対し賛助会員を募集させていただき、年4回の通信紙を発送させていただきます。
また通信紙紙面に於いて、活動状況や被災地の様子、会計などのご報告もさせていただきますのでご理解、ご協力の程よろしくお願いいたします。
賛助会員・年会費
個人:一口 5000円
団体:一口 10000円
※お手数ですが同封の振込用紙にてご入金頂くか、現金書留でお送り下さい。
郵便振替 口座番号
00960−7−149031
すたあと長田