『すたあと長田のサタデーエクスプレス』ゲストコーナー

Vol.4:1996年2月10日放送

テーマ:「仮設を語る!」

ゲスト(所属):
木村文廣さん(北町薬店店主・西区西神第15仮設住宅入居)

浅野幸子さん(曹洞宗国際ボランティア会(SVA)神戸事務所スタッフ)

木村さん 浅野さん

【聞き手】小野幸一郎&家田慈子(すたあと長田)
【テープ起こし】金原雅彦(すたあと長田)

木村さんの「仮設を語る」

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小野:
「早速ですね、今日のテーマ『仮設住宅』について話をしたいと思いますが、木村さん」

家田:
「木村さんというのは北町薬店(仮設店舗)の店主でありまして、その北町薬店というのは、私たちのすたあと長田のプレハブの真ん前にあって、日夜お世話になっているんですね。実は今日とかも“リポビタンD”なる栄養ドリンクを頂いたりなんかして」

小野:
「いつも栄養ドリンク貰ってるよねぇ、なんか」

家田:
「なんかいつも虚弱体質っぽく見られるらしくって、いつも『顔色悪い』とか言って。まぁそれはいいんですけれども。木村さんいつも通っていらっしゃるんですね。お店に住んでいるわけではないので、いつも車ですとか、それより前はバイクでずっと来ていらっしゃったんですけれども、いつもずいぶん時間をかけて通勤していらっしゃるんですよね」

木村:
「そうなんですよ。それこそ通勤ラッシュの時間帯だと2時間くらいかかって……」

家田:
「2時間もかかるんですか?」

木村:
「うん。(神戸市郊外の西区の)西神[せいしん]の仮設住宅から下りて来てるんですけれどもね」

家田:
「西神の仮設住宅の今どの辺りにお住まいなんですか?」

木村:
「(神戸市営地下鉄・西神中央)駅からバスで15分ぐらいかなっていう所にある、通称“アメリカン・ホーム”っていう輸入の仮設住宅に居てるんですけれどもね」

小野:
「なんかメチャメチャあか抜けてますよねぇ。なんかシャンデリゼがあるとか……」

木村:
「そこまではないんやけど」

家田:
「それアメリカじゃないんじゃないか?」

小野:
「何を言ってるんでしょうか(笑)。え〜と木村さんは(長田区の)御菅地区の方でずっと……」

木村:
「そうですね。生まれたのも御蔵ですしね」

家田:
「そうなんですか。お店は?」

木村:
「学生時分は東京やったけど、まぁ親父が悪くなってからこっちで店やってるような形になってるんですけどね」

家田:
「その店は全焼になってしまったという事ですけれども……」

小野:
「今回の震災で……」

木村:
「それこそ、パッと気がついた時には火の海になってた、っていうやつやからね」

小野:
「ああぁ‥‥……」

家田:
「いきなり暗くなってしまいましたけれども(苦笑)」

小野:
「いやいやいやえ〜と……それでやはり仮設住宅に住まざるを得ないというところで……」

木村:
「そやから僕の年代(30代)から言うと仮設住宅はなかなか当たらなくって、僕の名前では第5次(募集)…最終で当たったんですよ」

小野:
「あっ、第5次の」

家田:
「あぁ、そうなんですか」

木村:
「そやから今住んでいるアメリカン・ホームの所も、結局最初に入った人いうと5月くらいに入ってるんですよね。僕らが入ったんは8月やったかな」

家田:
「ずいぶん後の方だったんですね」

木村:
「最後の最後に入って。だからそれまでは、嫁さん所もやっぱ潰れたもんで、義理の父親の名前で当たってた(西神)第7の仮設住宅に居候してたんですけどね。その時は、さっき家ちゃんが言ってたみたいにバイクで延々と……」

家田:
「通勤してたんですよね」

小野:
「ボクの手元に資料があるんですけどね、『西神』という名前の付いている仮設住宅がですね、1、2、3、4、5‥‥‥‥‥15、16、17とまぁ、ようけあるわけなんですけどもね」

家田:
「いくつ位あるんですか?」

木村:
「え〜と、主だった所だけでも20以上あるん違うかな」

家田:
「えっ、じゃあヘタすると迷子になっちゃうって事もあるんですか?」

木村:
「そう。最初ね、その第7の仮設(全1060戸)の鍵渡しで貰ってきて見に行った時、延々1時間迷いました」

家田:
「迷いました?」

木村:
「そう、同じような住宅ばっかしでね」

家田:
「そうですよねぇ」

木村:
「そう、パッと見てね、何も分からへん状態!? 番号もなんか壁に小っちゃい番号が付いてるだけなんで、さっぱり分からない状態。だから僕らの年代でやっと識別が出来る状態やから、お年寄りだったらそれこそ何も分からへんかもね」

家田:
「眼が悪いお年寄りとかだったら読めないでしょうね。表札というんですか、プレートが出てますけどね」

木村:
「ホントあれなんか言ったら5cm×10cmぐらい四方かな? それくらい小っさいナンバー入ってるだけやからね。そんなもん見えるわけないもんね」

小野:
「見えませんよね。実際あの、西神の方でやはり道に迷われた方でお亡くなりになられた……」

木村:
「ええ、僕らが入ってすぐくらいかな、春先になんか朝、通勤で出ようと思ったらやたらとお巡りさんが出てて、何かなと思ったら、迷子になっていたお年寄りの人が凍死したとか言って……」

家田:
「いや何か、殺伐としたエピソードですけれども、やはり住んでいる方、年齢層はどんな様な感じなんですか。お年寄り多いんですか?」

木村:
「そやからね、(西神)第1とか(西神)第7とか、1次(募集)2次(募集)くらいで入っている仮設住宅って言うと、70歳以上のお年寄りを優先して入ってるから、もうホント年寄りばっかし。そやから夜でも8時・9時になると真っ暗け、っていう状況の所ですけどね」

家田:
「あたし前ね、仮設住宅にすたあとの『ウィークリー・ニーズ』の配達に行った時ね、あのワイヤーが張ってあったりするじゃないですか。あれでコケましたよ! 見事に」

小野:
「それは君がドジなだけじゃないの(笑)」

家田:
「え〜ッ! いや、でもあれは絶対……」

木村:
「いや、あのワイヤーは台風対策で張ったヤツやからね」

家田:
「だから、ワイヤーを止める金具が出てるでしょっ?」

小野:
「ああ、危ないなぁ」

家田:
「ワイヤーでコケたのはドジやけどさ(苦笑)。あれは本当に真面目な話、お年寄りとかだったら結構危険なんだと思うんですよ」

木村:
「そやから足元が…仮設住宅っていうのは、年寄り優先して入れてる割りに年寄りのこと考えて造ってないっていう状態? 段差も沢山あるし、道でも砂利敷いたままでデコボコやし」

家田:
「そうですね、あれだいたい砂利ですか? やっぱり」

木村:
「ほとんどが出入口の所っていうのは、だいたい砂利のままですね、どこでも」

家田:
「敷地内はどうなんですか?」

木村:
「一部、車通れる所っていうのかな、そういう所っていうのは“簡易舗装”っていうのが……」

家田:
「あっ、舗装もしてあるんですね」

木村:
「去年の秋口かな、初めてやったんですけどね。それまでは道路のとこも砂利敷いただけ。それも車が走るから……」

家田:
「すごい砂ぼこりですよねぇ」

木村:
「そう、洗濯物外に乾してたら……」

家田:
「汚れます?」

木村:
「かえって汚れる」

家田:
「あちゃっ! ……ちょっと堪らないですねぇでも。ウ〜ン……」

小野:
「第7は、実を言うとけっこう新聞とかでも何度となく取り上げられた仮設住宅でもあるんですけれども」

木村:
「そうですね、数が多いですからね、第7は」

小野:
「実際ね、住まれてみて実感的になんだこれは、とか気づかれた事、まぁ沢山あると思うんですけれどもね?」

木村:
「最初に住んで、すぐ雨降ったんですけれどね、その雨の音がね、最初雨っていうのが分からなくて。なんか“雹(ヒョウ)”か何かがバリバリバリバリッ!! って凄い音がしてね。一瞬『えっ!? 何が起こったんや!』と思って」

家田:
「実はただの雨だったんですか?」

木村:
「そう(笑)。それも小降りやったんやけど、それだけの音がしてたっていう」

家田:
「音、響くんですね、じゃあねぇ」

木村:
「響くってもんちゃいますよ! 隣の隣ぐらいの電話の音も聞こえるしねえ」

家田:
「隣の隣ですか? じゃあ隣なんって言ったらもう、会話が聞こえちゃうぐらいなんですか?」

木村:
「会話どころか足音でも聞こえるしねぇ。みんな聞こえる」

小野:
「ハぁ……」

家田:
「じゃあテレビの音とかも聞こえちゃったりしてるんですよねぇ。何観てるか分かるんですね?」

木村:
「当然! 当然すごい聞こえる。それこそ自分の部屋のテレビ切っても、隣の音で十分テレビが観れる状態やからねぇ」

家田:
「そうですか。じゃあ隣の音も聞こえるし、家の音も聞こえるっていうのは気遣いますよねぇ?」

木村:
「うち、子供が仮設入った時6ヶ月ぐらいやったんですけどね」

家田:
「まだ小さい可愛いお子さんが」

木村:
「入ってすぐに風邪引いてね、夜中に30分置きくらいに泣いててんね」

家田:
「あぁ、気遣いますね。でも中々泣き止まないし……」

木村:
「そう、棟が違う3つくらい隣の棟の人にまで『夜中よう泣いてたねえ』とかって言われて。距離で言ったら50m以上離れてんのにか聞こえている状態やから」

小野:
「そういう状態の所で、結局ずっと住まれることになって何ヶ月目ですかねぇ今」

木村:
「春先やから……8ヶ月ぐらいかなぁ」

小野:
「8ヶ月……、慣れましたか?」

木村:
「慣れたっていうか、とにかく仮設にはもう、早く出たいっていうか」

小野:
「そうですよねぇ」

木村:
「正直なとこやねぇ」

小野:
「さて、そういう所でですね、木村さんのような方、けっきょく仮設住宅自体は4万8千戸、それから10万人近くの人が今住んでいらっしゃる(1996年2月10日時点)ということで、ボランティア、まぁ僕らももちろんそうなんですけど、仮設を中心に活動されていらっしゃるボランティア・グループ、神戸に沢山いらっしゃいますけれど、今日はその中でですね、曹洞宗国際ボランティア会(SVA)で活動ずっと続けていらっしゃる、浅野幸子さんに来て頂いてますけれども。仮設に対してのボランティアって言うのは、知ってる人は知っていると思うんですけれども、知らん人はよう知らんっていう感じなんですけれども……」

家田:
「当たり前だッ!!(笑)」

小野:
「あぁそうか(笑)。突っ込まれてしまいましたが、ちょっと曖昧な問いかけになりますけれども、どういう感じで関わってこられたんでしょうか?」

浅野:
「そうですね。うちの場合は長田区と兵庫区で、特にお年寄りの多い“第1次入居”っていう仮設住宅の所に、一軒一軒行って訪問をして、特に3月とか4月の頃はこの間出てしまった“孤独死”っていう問題が特に『危ない!』って言われていたから、そこに訪問に行ってとにかく皆さんのお話を聴きながら、ホントにコミュニケーションを大事にしながら、その中でもし『心配だな、このおばあちゃんちょっと大丈夫かなァ』とかいうおばあちゃんとかいたら、『どうしようか』って皆で相談しながらね、その後また本当に看護婦さんとか必要だったら市に相談してとか、そういう風な感じで必要なものを入れていきながら。自分たちはあくまでコミュニケーションを大切にしながら、訪問をずっとして回るっていう活動をずっと続けています」

家田:
「やっぱり継続的な活動であることが大事なんですね」

浅野:
「そうだねぇ〜。だからその中でだんだん顔の見えてくる関係って言うか」

小野:
「あの、木村さんは住まれてビックリっていう事がいくつもあったと思うんですけれども、(浅野さんは)ボランティアはそこに住んでいるわけではなくて、やっぱりそれでも継続的につきあっていく、っていう感じでやってきたと思うんですけれども、やっぱ印象的にね、関わってみてどういう事を最初思われました? 仮設とかに入った時に」

浅野:
「最初に行ってやっぱ思ったのは、生活の事を考えた構造に全くなってないなっていう」

家田:
「やっぱり行ってそれは分かりました? これはちょっとっていう」

浅野:
「うん」

家田:
「そういえば、前はちょっと怒っていたのを耳にしましたけどね」

浅野:
「アッハハハハハハッ(笑)」

小野:
「隣のプレハブから(笑)」〔※SVAはすたあと長田のすぐお隣〕

浅野:
「なぬ?(笑)」

家田:
「何か棚に手が届かないとか」

浅野:
「そうそう。おばあちゃんおじいちゃんなんて小さいでしょ、背が。私でも届かない棚を『誰が使うんじゃあ!』みたいな」

家田:
「ちなみに浅野さんもそれほど大柄というわけではないのですが(160cm程)」

浅野:
「確かに(笑)。あと体が弱くてね、1人でお風呂に入ろうと思ったら、誰か支え手が必要だなと思うけれども、もうそんなのも出来ないくらいに狭いユニット・バスとか……」

家田:
「ユニット・バスなんですか!!」

浅野:
「うん」

家田:
「ユニット・バス嫌いな人多いんじゃないですか?」

浅野:
「多い多い! だから使わない人いっぱいいるもん!!」

家田:
「えっ、じゃあお風呂入られないんですか?」

浅野:
「だから、街の中にある仮設の人は、お風呂屋さんに行ってお風呂屋さん入れるけど、そうじゃない人は入れないと……。うん、入らない人は多いんじゃないかな。郊外の方でお風呂屋さんもないような所」

家田:
「そうなんですか。だって例えば(地下鉄)学園都市(駅)とか西神中央(駅)の辺りって、あんまりお風呂屋さんないでしょ? 木村さん」

木村:
「銭湯っていうのはね、全然西神地区にはないと思いますよね」

家田:
「じゃあやっぱり、という事はお風呂は入らない人が多いんですかねぇ?」

浅野:
「うん聞く。入れないから入らないって言うのを。他の西神とかに入っているボランティア団体の人から聞くね」

家田:
「いやぁ……なんかちょっと…………、ちょっとショックを受けてしまいましたけども(苦笑)」

小野:
「まぁ、そういう形でですね、仮設が出来てから数ヶ月が経って、今もいろんな問題を抱えている仮設住宅。僕いま手元にですね、新聞記事いくつか用意しているんですけれども、これは今年(1996年)に入ってからですけれどもね、(2月10日時点で)仮設住宅で既に47人亡くなられた方ですね、孤独死っていう形でかなり沢山の方、しかも結構ご年配の方もいらっしゃれば若い方もいらっしゃるという形で。こういうのを見ると、けっこう大変なんだなっていうのが本当に僕ら自身も新聞から受け取ることはあるんですけれども。西神第15は何世帯くらい?」

木村:
「え〜と、百ちょっとですね」

家田:
「これは規模としては大きい方なんですか?」

木村:
「規模としてはどっちか言うと小さい方ですね。千戸単位の仮設っていうのがありますからね」

家田:
「10倍ですねぇ」

小野:
「実際住んでてこれはまずいなっ、とか思われることは、まぁ沢山あられると思うんですけれども?」

木村:
「まず一番、仮設住宅っていうのを造った時点で、入居の問題としてコミュニティを潰してしまったっていう事。今まで地域でお年寄りが居てても若い人も居てて、そういう人が居てるから会話があるとかそういうのあるけど、コミュニティがないもんだからお年寄りが部屋の中にずうっと居てるっていう。買い物も遠いから、まぁ行けへん、とか行く回数がだんだん減ってくとかってすると、ますます外に出んようなって、っていうのが多いよね」

小野:
「やっぱ家に閉じ籠もっちゃう?」

木村:
「そうそうそうそう」

家田:
「元々のね、コミュニティがもし存続してれば、近所同士でね、例えばお年寄りで一人暮らしの方であっても目が届きますよね」

浅野:
「よく言われるのが、雲仙(・普賢岳の被災地=長崎県・島原)とかは、雲仙でみんな被害に遭った時に仮設住宅が出来た時には、町会ごととかに、村とかにきちっとまとまって……」

家田:
「じゃあ、そのままコミュニティを移動させたっていう感じだったんですか?」

浅野:
「そうそうそうそう。で、この間、東灘区かなんかにその雲仙の人たちが来て意見交換会を被災者同士でやった時に、『うちでは“孤独死”出なかったよ』っていう話。やっぱりそういう人間関係が大事なんだよっていう」

小野:
「いかんせんね、神戸の場合はよく言われるけれども、数がね、莫大な方が家が突然無くなってしまった、という事が響いているっていう事になるんですかね、やっぱり」

木村:
「数だけの問題じゃないと思うねんね。行政が移動する時に年寄り優先って言ってる割に、ホントに年寄りの事を考えてたかって言うと考えてないと思うしね。持っていき方を見てみると」

家田:
「そうですよねぇ。だからお年寄りを優先して仮設住宅に入ってもらったとしても、固めてしまってそれで元々のコミュニティとは、やっぱり離れてしまったという事ですよねぇ」

木村:
「そやからもし何かあった時にね、誰が助けるんやっていうのもあるし、年寄り同士で助けるって思ってそういう風に年寄りばっかり入れたんかっていうのあるし」

家田:
「そこまで考えているんでしょうかね?」

木村:
「考えているんだったら、今の状況は出来てないでしょ」

家田:
「なるほど(笑)」

小野:
「活動していく中で、それでもコミュニティ作りをしなきゃいけないっていう事で、やっていると思うんですけれども」

浅野:
「だから今でた話であったけれども、私たちが関わっている所っていうのはお年寄りがホントに多い所ばかりで、まぁ市街地だからまだね、生活環境的には良いかもしれないけれども、例えばある仮設はお年寄りの1人暮らしが全体の6割とかっていう事になると、しかもみんな障害をある程度抱えていたりとかすると、今さら『町会どうたらこうたら‥‥』言うエネルギーがあるかと言うと、ウ〜ムっていう感じだから、私たちがやっているのは、そういう所に行って、最初の頃は集会所すらも行政は建ててなかったから、ヨイショヨイショ! と5月頃からテントを持って行ってですね」

家田:
「これを集会所にしましょう!! という……」

小野:
「ふれあいテント!」

浅野:
「ふれあいテント……まぁ、そんな感じで。で、お茶会って開いてお茶・お菓子出して、とりあえずみんな出てきて貰おうよって、引っ張り出してきて、一緒にコミュニティの場を創ろう! みたいな。そんで夏は“蚊”に追われ、もうエライ目に遭いながらやってまして。今はもういろんな所から自治会もいろんな意見出してきて、ボランティア団体もいろんな意見出してって、やっとある数以上の仮設住宅の所には集会所(ふれあいセンター)が建つようになって。まぁ私たち寒いこの時期でも、そういうものが出来たんでその中に入っていって、今度はまた会食会みたいな、お昼、会食会が出来るようなぐらいまでなって」

家田:
「みんなでコミュニティが出来る場として、っていう感じですね」

小野:
「なるほどね。で、住んでいる方も色々と努力なさって、ボランティアの人も入って雰囲気を盛り上げたり、いろんな手助けをするっていう形で来ていると思うんですけれども、今でもまだね、孤独死がやはりそれでも出てしまう、っていうのが(長田区)志里池(仮設)の話をみると、現状に関してね、まだまだ全然だなっていう風になんか思ってしまうんですけれども、木村さんなんか、今こういう事がなければヤバイんじゃないかっていう率直な気持ちがあったら、是非お伺いしたいなって思うんですけれども」

木村:
「とにかく単独で住んではる人かな、そういう所に連絡網をキッチリ。行政の方からっていうか、ちょっと調子悪いと電話回線通して連絡取れるような形のモノを早く作らん事には、これからますます孤独死っていう問題が増えてくやろうと思うのね」

家田:
「そうですね。亡くなってから気がつかないで何ヶ月かっていうケースもありますものね」

木村:
「第7の仮設でも初め夏頃かなぁ、何ヶ月か経って初めて分かった、っていうのもあるしね」

家田:
「う〜ん…………」

浅野:
「まぁ、どこの街でもねぇ、ある程度ホントに孤独死で亡くなるお年寄りとかって出るのはしょうがないけれども、ただ地震によって背景に何があるのかなぁっていう所がやっぱ特殊なわけであって、それは本当に若い人でも孤独死が出てしまうっていう現状が、50代とかね、そういうのあるわけだけども、その背景にはやっぱり仕事なくなっちゃったりとか、そういう郊外の仮設住宅に入ったりとかして、やっぱり精神的にね落ち込んで、アルコールが入ってきちゃったりとか、アルコールが入らなくても、寂しい…どうもちょっと打ち解けられなくて、孤独に閉じ籠もるで栄養状態悪くなるで持病が悪化するみたいなね、そういうのが巡り巡って、あらっ気が付くと亡くなっている、みたいなそういう……」

家田:
「悪循環なんですよね。周りからしたら『気が付くと亡くなっている』という事なんですよねやっぱり」

浅野:
「だからその背景をちゃんと『何だろう?』っていうのを考えなければ“死ぬ”っていう所だけを拾ってってもね、やっぱり意味ないかなぁっていう」

小野:
「まぁあのう、お年寄りの方もいれば若い人も仮設住宅にはいらっしゃるし、木村さんみたいな、お仕事を持っていらっしゃって遠距離通勤をされている方も沢山沢山いらっしゃると思うんですけれども。これからですね、仮設住宅っていうのはその名の通り仮設だという一応名目というか、みなさん住まざるを得ない。そこにとりあえず住む形で生活を送らざるを得ないっていう事だと思うんですけれども、これからまだ2年間……もう2年切ってるのか」

木村:
「そやから特別立法の法律上から言うと、あと1年かな、でお終いっていうのが見えてるんやけど、それまでに恒久的なもんが、住宅が建つかって言うとおそらく99.9…何%まで建つはずないやろうしね」(※編者注参照)

家田:
「浅野さんはしきりに首を捻っていますが〜(笑)」

浅野:
「建ててみィ! って感じですか(笑)」

木村:
「それが建たへんかったら、それこそ医療問題にしてもね、病院の数が元々仮設住宅に住んではる人の数がポッていきなり来たわけやから、今まである診療所なり病院の数が……」

家田:
「パニックですよね」

木村:
「パンクしている状態やからね」

小野:
「やっぱり全然数がもう……」

木村:
「だから元々、西神地区の病院っていうのは、トップに西神戸医療センターっていうのがあって、各地域に診療所みたいのがあって、何かあるとそこにデータ送って入院とかそういうの判断して貰って入るような形取ってたんが、その判断しても入院のベッド数がない状態。一時は明石の方とかに送ってたりしてたけど、そこももうパンク状態やからねぇ」

家田:
「じゃあ今は病院に行けない? 入れない?」

木村:
「そうそう。入院する場所がない」

小野:
「木村さんも以前、事故か何かで腰が調子悪いっていう風にね、おしゃってて、もうとばっちりじゃないけれど、やっぱりそれが影響している部分が……」

木村:
「そやね。そやからほんまやったら夏頃入院が10月まで延びてるしね」

小野:
「……そういう状態が、現状でもまだこうだっていう、デカイ解決策あるわけでもなく続いている。だけど問題をこれから良い方向に考えて解決していかなければいけない……。また仮設の話はしたいと思うんですけれども。今日はせめて一言最後ですね、今後こうあるべきじゃないかみたいな事をですね、ご自分のお考えがあったら、是非お聞かせ願いたいんですけど。木村さんどうですか?」

木村:
「それこそ行政が住民サイドの事を本当に考えてこれから行動して貰うと、住んでるもんにとっては、非常〜に!! 助かるんやけどね」

小野:
「そうですね、ホントに(苦笑)。浅野さんは?」

浅野:
「とにかく行政もそうだし住民の方もみんなで、元住んでた所にどうやって人が戻って来るのか、住まないんだったら、他にどういう“まちづくり”にしていくのかっていう事を早く考えられるように、頑張っていくって事かしら」

小野:
「分かりました。ほんとに大きなテーマなんで、またお話聴かせて頂ければと思います。本当にどうも有り難うございました」■


※【編者注】(from きんばらまさひこ)


 1996年6月20日、政府の阪神・淡路復興対策本部は、被災地に特例として国費を投入する「住宅供給・家賃低減の総合プログラム」を正式決定した。
 プログラムは、 等の内容から成るものである。
 これによって仮設住宅の入居期限は、とりあえず「4年間」へと延長が決定された。

 尚、上記の「復興総合プログラム」話は、 『すたあと長田のSaturday Express』Vol.25「住宅について・浅野彌三一」(1996年7月6日放送)の中で詳しく語られている。
 ★放送の起こしは現在奮闘中につき暫し待て!(もし待つ人がいるならば…)


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