お待たせしました、インタビュー VOl.2 の登場です! 今回は、「オリオン80」や その他の作品、 そして、現在の竹内さんについてお話を伺いました。


INTERVIEW Vol.2 updated : 20041221


「オリオン80」についてお尋ねします。 「オリオン80」が発売された時期は、PC−8001はピークを過ぎ、 80mkIIやPC−88に移行していた時代だったと思います。 あえて解像度やサウンドの性能に劣るPC−8001で制作された 理由はなぜでしょうか? また、「オリオン」の後で「オリオン80」 を作るということで、どんな点を改良しようとしましたか?

「オリオン80」を語るには、「AY」シリーズの問題を避けては通れません。 「AX」は、実際の売上高はともかく、 成功したプロジェクトとして認識されていました。 そのため、PC−8001用として「AY」シリーズを作りたい、 という考えが生まれたのは自然なことでした。 とある部署がその担当になりましたが、残念ながら、 AY−1[*19] は大失敗に終わりました。 月刊アスキー掲載レベルのゲームは、 AXシリーズのレベルを期待した購入者の期待をまったく裏切るものだったのです。
これは、我々にとっても大問題でした。 同じパッケージ形式で出版されている以上、 ブランドに対する信頼の問題になるからです。 そこで、「オリオン」の8001版を作ることにして、 AYも第二出版部が引き取ることにしました (担当編集者は三田さん。どうしてるかな?)。 8801版にしなかったのは、「スピードがでないものはゲームではない」からです。 同じ形式で640×200の画面で速度を出すことができないのは明白だったからです。
技術的なことから言えば、 カラーアトリビュートの制御が難しいと言われたPC−8001で、 ちゃんと色をつけたものを動かしてみせたい、ということもありました。
スピードは十分に出たので、初心者向けに自動制御モードを追加しました。 「オリオン」では、少なからず操縦できない人がいたのです。 敵機に接近できなければ、星がただ流れるだけのわけのわからない、 つまらないプログラムですよね。 少し前、ビル・バッジが「ピンボール・コンストラクション・セット」[*20] を出していました。オリオン80では、機種の数を大幅に増やしたこともあり、 デザインプログラムが必要だったので、どうせ作るのであれば、 それをお客様にも開放すれば良いと考えました。これが、 「スターシップ・デザイナー」[*21]の生まれた経緯です。
スターシップ・デザイナーを使って、第二出版部のデザイナーの 大嶋さんがすぐに「オニオン」を作ってくれました[*22]

[*19] AY−1「フォートレス・ソロモン」。 AYシリーズとは、AXシリーズと同じく、複数のゲームをパッケージした PC−8001用アミューズメントシリーズ。 第1弾のAY−1「フォートレス・ソロモン」には、7本のソフトが収録されていた。 画面写真などは こちら
[*20] Pinball Construction Set アップルII用ソフト。 オリジナルのピンボール台を作って遊ぶことができた。 インターフェースがMACライクだったのは、それもそのはず、作者のビル・バッジが アップル社でリサの開発にも参加していたから。
[*21] スターシップデザイナー オリオン80には、敵機を自由にデザインできる、「スターシップデザイナー」が 付属していた。 ただし、起動するには全ステージクリア後に表示されるパスワード を入力しなくてはいけなかった。
[*22] 大嶋直人氏。 オリオン80のマニュアルによると、ペンネームは「eccentrics 」氏。


「オリオン」「オリオン80」以外のゲームについてお尋ねします。
まずは、「バトルフィールド」について。 原案となったのはアタリ社の「バトルゾーン」だと思います。 時代的にはAXシリーズと同じはずですが、どのように発売されていたのかがわかりません。ジョイスティックとセットで発売されていたソフトだったのでしょうか? また、大葉浩美さんとの合作のゲーム(イリーガス/テセウス/バトルフィールド)では、2人はどのように仕事を分業をされていたのでしょうか?

アスキー(ACP)が香港の会社(スペクトラなんとか)から持ってきた、 操縦桿タイプ(2本組)のジョイスティックを売るためにつける、 「おまけ」ゲームの開発依頼が第二出版部にありました[*23]
一見して「バトルゾーンしかない」という結論だったと思います。 相当に入れ込んだゲームでしたし。 開発は三橋君が担当することになりましたが、もともと締め切りが非常にタイトであった上に、 三橋君が途中まで完成させた段階で、ある事情から作業ができなくなり、 私がその後を引き継いで3日徹夜で完成させたものです。
ミサイルのみの敵など、ゲーム仕様がプアなのは、 メモリ容量の問題もあったかもしれませんが、 時間的な問題のほうが大きかったように記憶しています。
(合作のときの制作作業は) 割合きれいに分業ができていました。企画は一緒にやりましたが、 プログラムは得意な部分できれいに分業できるように分けました。 音楽はもっぱら三橋君、グラフィックは二人で、フォントやテキストは私の担当です。

[*23] ログイン誌84年4月号より ログイン誌84年4月号の広告に、このジョイスティック(製品名:QUICK SHOT) の広告を発見。 「ゲームソフト付」とあるが、このゲームが「バトルフィールド」のようだ。


「テセウス」はスクロールに「慣性」がついていた事が驚きでした。 「オリオン」の操作にも慣性がついていましたが、 竹内さん的に「慣性」のある操作のゲームが好みだったということはあるのでしょうか? また、「テセウス」はアップルのゲーム「ミノタウルス」[*24] に影響を受けていると思われるのですが…?

テセウスは、アタリのアーケードマシン「メジャーハボック」[*25] の迷路の部分だけを取り出したものです。 このゲームにも相当はまりました。 M.A.M.Eで二十年振りに遊べたとき、非常に感動したものです。
確かに、物理法則(でもないですが) が働くことに対する快感のようなものが好きだったのかもしれません。 操作に対するフィードバックがあり、「重さ・摩擦」が感じられるゲームが好きですね。 アタリの最初のフルポリゴン自動車ゲーム「ハード・ドライビン」[*26] のハンドルのフィードバックも大好きでした。
「オリオン」と「エポック」の関係を知っているアップル好きな人たちに 「今度は ミノタウルス を作らないの?」と聞かれたことがあります。 しかし、「ミノタウルス」が面白いのは浮遊だけ(といってもすごいけど!) なので、そのものずばりを作ろうとは思いませんでした。 でも、「ハボック」をどう料理するか、となったとき 「テセウス」として実現したのは、確かに「ミノタウルス」の影響ですね。

[*24] シリウス社より1981年に発売されたアップルII用2D迷路ゲーム。 作者はLarry Miller 氏。 詳しくは THEIR WORKS を参照のこと 。
[*25] Major Havoc 「MAJOR HAVOC」。 1983年にATARI社よりリリースされたベクタースキャンのアーケードゲーム。 ゲームは2つのパートに分かれている。 前半は3Dのシューティングで、 宇宙船を操縦してベースの周囲の敵を一掃する。 敵を撃破した後は、宇宙服を着たキャラクターを操作して ベース内を酸素を補充しながら進み、 爆弾を仕掛けて宇宙船まで脱出すればクリアとなる。
「テセウス」と同様に、「テグザー」と「カイの冒険」も、 「メジャーハボック」の後半パートに影響されて出来たゲーム。 また、「シルフィード」は、前半の3Dシューティング・パートが元ネタらしい。
[*26] Hard Drivin' (MD) 「Hard Drivin’」。 1989年にATARI社リリースされたポリゴンを使用したカーレースゲーム。 リプレイ機能も搭載されていた。 写真はメガドライブ版。 筐体などの写真は こちら


現在に至るまでのプロフィールを教えて下さい。ログイン誌84年4月号には、「RPGを作りたい」とのコメントもありましたが、テセウス以降、ゲーム製作はされていないのでしょうか? また、「応用グラフィクス」の巻末によると、雑誌「ポパイ」のライターも経験されたとのことですが…。 趣味、愛読書なども教えて下さい。

1961年生まれ、1985年3月東京大学機械工学科卒業、朝日新聞社に入社、電子計算室配属。1988年「ASAHIパソコンネット」プロジェクト、1990年同事業を分社化した、株式会社アトソンに出向、その後朝日新聞社を退社。同社取締役。MBOで私を含めた役員が株式を全部買い取ったので、現在は独立系の会社で、社名も「株式会社朝日ネット」です。
ゲーム以外にやったことというと、書籍は何冊も書いていますが、自分的にそれなりにできたな、 と思うのは「応用グラフィックス」[*27] と 「MSXホームコンピュータ読本」[*28] くらいでしょうか。朝日新聞社とのつながりは、週刊朝日別冊の取材で来た高校の同級生 (朝日新聞社でアルバイトをしていた)にMSX本を「書評を載せてください」と持たせたら、 「原稿を書いてよ」と電話がかかってきてからでした。 朝日新聞に入社するとき、編集系も考えましたが、暇でアルバイトができそうなコンピュータ室を選んだことは秘密です。
中学生のころから第二次世界大戦のドイツ軍に興味がありました。 それが嵩じて当時の写真・文書(オリジナル)の蒐集をしています。 ホームページはhttp://www.history.jp/wehrmacht/
愛読書と呼べるものは、カート・ヴォネガットでしょうか。これも、高校生のときからかな?「スローターハウス5」は、3冊買ったような(壊れたから)。あとはハシェクの「兵士シュベイクの冒険」も一組壊しました。戦争ものではジョン・トーランドとパウル・カレルの著作もぼろぼろにしました。

[*27] 「応用グラフィックス」 「応用グラフィックス」
アスキー・ラーニングシステムシリーズ
太田昌孝,竹内あきら,大口孝之 共著
ISBN4-87148-199-9  アスキー出版局

B5変判  本体価格2,204円  1986年8月28日 初版発行
[*28] 「MSXホームコンピュータ読本」 「MSXホームコンピュータ読本 - OFFICIAL MSX HANDBOOK -」
竹内あきら・湯浅敬・安田吾郎 共著
ISBN4-87148-731-8  アスキー出版局

A4判  本体価格1,600円  1984年5月1日 初版発行


現在はコンピューターゲームに関心がありますか? プレイステーションなど家庭用ゲーム機はお持ちですか?また、新旧問わず、また機種も問わず、好きなゲーム/ハマったゲームがありましたら教えて下さい。

プレイステーション2は持っています。といっても、すこし真面目にやったゲームは「PANZER FRONT」ぐらい。最近ゲームをやる機会はあまりないですね。
昔のゲームでは、前にも書きましたが「スターファイヤー」 「バトルゾーン」 「メジャーハボック」 なんかには、ずいぶんはまりました。パソコンでは 「はまった」 というほどのゲームはありませんが、 3D系では「QUAKE」 「QUAKE II」 「FREESPACE」は 面白かったし、クリアもしました。 朝日ネットの立ち上げのころは、「Nethack」(確かバージョン3) を数回クリアするくらいにはやりましたが、 いずれにしろ、1回クリアすると割合さめてしまったように思います。 実はそんなにゲームが好きなわけではないのかも。 だから、「ゲームアーツ」設立時、そっちに賭けられなかったんでしょうな。


竹内さんはスターウォーズのファンだったと推測されますが、新スターウォーズ3部作(EP1〜EP2)の感想をお聞かせください 。

確かに何回見てもスターウォーズではあるのですが、、、 「スターウォーズというもの」 に対する感動は、 私の場合は EP4 に集約されています。 それでも、DVDは買いましたし、EP2のほうが少し好きかな。 もしかすると、EP3 はかなり好きになるかもしれません。 何といってもベイダーが主役なわけだし。


コンピューター技術関連のことで、竹内さんが現在最も関心のある/注目しているものは何でしょうか? また、それはどのような進化をしていくと予想されますか?

やはり、自分の商売に関係があるネットまわりでしょう。 いろいろな技術、サービスが登場して、 昔では考えられなかったことがいろいろと可能になりました。 昔話になりますが、 Perl言語の最初のバージョンがネットで配布されたとき、 バグレポートを大学の友人経由で作者に送ったことがあります (当時、朝日新聞社からは海外へのメール送信はできなかった)。 このとき、友人に送られたきた返信に 「Thank you for being his friend」とありました。 いまでも忘れられない言葉のひとつです。 人をつなぐサービスって、 良いものだ、と思いました。 この感動をもう一度味あわせてくれるようなサービスを見てみたい、 やってみたい、ですね。




各作品の開発秘話がわかって嬉しいだけでなく、ソフト開発の姿勢 など、とても勉強になるお話を聞くことができました。
「オリオン」が発売されてから、約20年。 インタビューの記事をページにまとめているとき、私は20年前に「オリオン」を遊んだ後〜現在にいたるまで自分が 過ごしてきたことを振り返ってしまいました。
当時憧れであったゲームの作者に、こうしてお話を聞けたということに、私もインターネットの素晴らしさを実感しました。

たくさんの質問に 大変丁寧に回答していただき、ありがとうございました!