日本語入力プログラムの歴史(MS-DOS〜Windows)

日本語入力プログラムがどのように発達してきたか、振り返ります。

この項は、リコーの太田純さんがDOS/Vマガジンに書いた「ATOK150% 第8回 最終回・ATOKの歴史をたどる」の再録です。もともとの連載の性質から、ATOK中心の記述となっています。太田さんのご厚意により、このページに掲載しています。

目次

ATOK150% 第8回 最終回・ATOKの歴史をたどる

ATOKを使いこなすというテーマで連載を続けてきたATOK150%も、今回がいよいよ最終回となった。編集部から特別にお許しをいただいたので、今回はATOKの来歴をたどり、競合製品との確執の中でATOKがどのように成長してきたかを眺めてみることにしよう。

日本語入力FEPの黎明〜ATOKの誕生(1983〜1986)

文書作成は、パソコンの登場当初からその用途の上位を占めている。8ビットCPUを搭載した当時のパソコンは非力だったため、日本語入力は単漢字変換や熟語変換が一般的であり、長い文章を入力するのはなかなか骨の折れる作業だった。実用的なワープロソフトが普及するのは16ビットCPUを搭載したパソコンが登場してからのことになる。

NECは同社初の16ビットMS-DOSパソコンであるPC-100に、アスキーとジャストシステムの共同開発になるワープロソフトJS-WORDをバンドルした。1983年のことだ。JS-WORDのかな漢字変換部はKTISと呼ばれ、活用語尾や助詞を認識して変換を行う文節変換を採用していた。PC-9801が登場すると、JS-WORDはPC-9801に移植されてJS-WORD2となり、KTISもKTIS2にバージョンアップされた。その後ジャストシステムはアスキーと袂を分かち、連文節変換が可能なjX-WORD太郎を発売した。

ATOK4が産声をあげる

1985年、jX-WORD太郎から半年を経て、ジャストシステムは一太郎を発売する。一太郎のかな漢字変換部はATOK4と呼ばれていたが、一太郎から切り放され、独立して使うことができた。日本語入力FEPとしてのATOKの登場だ。東芝が630万円のワープロ専用機JW-10を発売してから7年後のことだ。

このときすでにバックスはVJE-IIを販売している。最初のFEPであるVJE-86は1984年に発売され、当初から連文節変換が可能だった。VJE-IIはローマ字入力を提供し、その後改良されてVJE-αとなる。管理工学研究所はPC-9801のBASICで動く日本語ワードプロセッサを販売し、これはその後「松」となるが、松茸のFEP化はもう少し先のことだ。いずれにしても、日本語入力FEPの主戦場はPC-9801のMS-DOSだった。

ATOK、VJE、松茸の御三家がシェアを競う

1986年、一太郎Ver.2の登場とともに、ATOKもバージョンアップされてATOK5となる。一太郎上のみという制限はあったが、ATOK5は変換操作を不要にする自動変換を搭載していた。同年、バックスもVJE-βで逐次自動変換を実現する。松茸が松から切り放されて松茸86となったのもこの年だ。日本語入力FEPはこの三者がメジャーとなり、御三家と呼ばれた。

当時のATOKが持つ最大の特徴は、スペース変換を採用していたことだ。他社の製品はほとんどがPC-9801のXFERキーを変換操作に使っていたが、親指で気楽に叩けるスペースを変換のトリガーに使っていたことが、ATOKを普及させた要因のひとつであったことは疑いない。VJE-βもしぶしぶながら1987年のV1.2でスペース変換を採用する。松茸も同年の松茸V2でこれに追随する。

また、ATOKやVJEは当初から後変換が可能だった。後変換とは入力した文字をキー操作でカタカナや英字にする機能で、いちいちモードを変更して別の文字種を入力せずにすむ便利な機能だが、当時は後変換を持つ製品は多くなかった。

しかし、ATOKは一度に入力できる文字数が29文字と少なく、ユーザーは細切れ入力を強いられた。また、ATOKの操作体系には変換後の文節選択操作がなく、途中の文節を切り直すためには先頭から部分確定をくり返し、目指す文節にたどり着いてから伸ばし縮めを行う必要があった。これらの操作性の改善は、1993年のATOK8まで待たなければならない。

百花繚乱の時代〜ATOKの台頭(1987〜1993)

一太郎は1987年にVer.3となり、ATOKはATOK6となる。ATOK6は、VJEがだいぶ前から実現していたCTRLキーによるショートカット操作をようやく提供し、操作性の面では一応の完成を見た。アプリケーションからATOKのオン・オフなどを行うためのAPIも公開され、多くのアプリケーションがATOK6に対応した。操作性や変換精度ではVJE-βに一日の長があるというのが衆目の一致するところだったが、一太郎のシェア拡大とともにATOK6の地位は不動のものとなる。

2年を経て1989年、一太郎はVer.4となり、ATOK7が登場する。ATOK7ではATOK6の弱点だった学習能力が改善され、VJE-β同様に半角英字からのローマ字漢字直接変換が可能になった。20MB超のハードディスクに対応するなど低レベルの変更も行われている。ATOK7独自の改良としては、送り仮名基準を本則、送る、省くから選べることが目立つ。これはきわめて有益な改良で、その後1991年にはWXII、Katana4、VJE-γが追随する。ATOKは安定期を迎え、この後しばらくATOK7の時代が続く。

FEPメーカーの興亡

当時はさまざまなFEPが登場し、消えていった時代でもあった。1987年にはMacintoshの有力な日本語入力ソフトだったEGBridgeがエプソン版MS-DOSにバンドルされ、ワープロソフトのテラIII世からはFIXER3が独立する。1988年には弘法IIのMGR2、創文αのWXが登場し、NECもMS-DOSにAIかな漢字変換を搭載する。1989年にはp1.EXEのDFJ、忍者のKatana2が登場し、FIXER3はFIXER4となる。FIXER4やNECのAIかな漢字変換は簡単なAI変換を実現していた。これとは逆に、8ビットワープロから出てきたFEPの多くはこの時期にその生涯を終えている。たとえばハドソンのHuTOPは単体発売の予定広告まで打ちながら、とうとう発売されずに消えてしまった。

しかし、1989年でいちばん重要だったのはWXPの登場だ。エー・アイ・ソフトがフリーソフトとして配布したWXPは、メモリ食いで動作も重かったが、変換精度は高く、ユーザーからはおおむね好評で迎えられた。同社はWXPのフィードバックを受けて1991年にWXIIを投入する。WXIIはカスタマイズ機能や他社互換操作体系を実現し、主にパワーユーザーから一定のシェアを取り込んだ。FEP業界に新規参入の可能性が残されていることを知らしめた面で、WXシリーズには大きな功績があったといえる。

ATOK8への長い道程

4年のあいだ沈黙を守っていたATOKだったが、1993年、一太郎Ver.5とともにATOK8が登場する。ATOK8は用例辞書を利用して意味解析を行う、業界初の本格的AI変換を搭載していた。ATOK委員会を編成して辞書単語の網羅的チェックを行うなど、ATOK8では辞書にも莫大なコストを掛けている。ATOKが変換精度の面で業界をリードするのはこれ以降のことだ。

ATOK8は操作性の面でも大きな進化を遂げた。一度に100文字までの入力が可能になり、文節選択の操作がようやく実現された。また、WXIIが1991年に業界で初めて搭載したカスタマイズ機能は、同年にKatana4、VJE-β3.0、DFJ2が追随していたが、ATOKも2年遅れでカスタマイズ機能を搭載した。

Windows時代の幕開け(1991〜1998)

1987年に登場したWindowsは、1991年のWindows 3.0でようやく実用の域に達した。これ以後はWindowsの時代となり、MS-DOSは徐々に衰退する。これに伴って日本語入力システム(MS-DOSではFEPだったがWindowsではIMEと呼ぶ)の主戦場もWindowsに移ることとなった。

Windows 3.0に対応したIMEはそれほど多くない。サムシンググッドのKatana、バックスのVJE-γ、エー・アイ・ソフトのWX2-Win程度のものだ。東芝版Windows 3.0にはATOK7が付属していたが、これは東芝が独自に移植したものだったらしく、他社のWindowsには提供されなかった。

遅れてきたATOK

ジャストシステムはWindows 3.0の登場から3年近くのあいだ、Windows対応製品をまったく出していない。ATOKユーザーはやきもきしながら、WinATOKというブリッジソフトでMS-DOS版のATOKを使ったり、あきらめて他社製品を使っていた。

1993年にはMS IMEを標準搭載したWindows 3.1が登場する。MS IMEはWX2-Winに由来する製品であり、カスタマイズ機能は落とされていたが、性能的には一般ユーザーにも十分満足できるものだった。他社製品も続々とWindows 3.1対応を果たす。

Windows 3.1から半年以上を経過して一太郎Ver.5が登場し、ようやくATOK8のWindows 3.1対応が実現する。しかし、ATOK8は候補ウィンドウを持たず、同音語候補は画面の一番下に並べて表示するというきわめて不完全なインタフェースを持つ製品だった。

インタフェースを改善したATOK9は1995年に登場し、ようやく他社製品に見劣りする部分がなくなった。このころにはすでにVJE-DeltaがAI変換を搭載しており、WX3-WinもようやくAI変換を実現してATOK9と同時に登場する。ATOK9は辞書サイズが格段に大きくなったが、変換エンジンはATOK8とそれほど変わっていない。

ATOK vs. MS-IME時代の到来

1995年末にはWindows 95が登場し、標準IMEは用例変換を搭載したMS-IME95となる。VJE-DeltaはWindows 95と同時に32ビット対応を果たしたVJE-Delta 2.0となり、入力補正を実現する。この機能はその後WXGやATOK10の入力・校正支援へと受け継がれる。翌年にはWXGが登場し、拡張ローマ字入力などきわめて強力なカスタマイズ機能をアピールしたが、初期バージョンにはバグが多く、1年近く安定しなかった。

同じ1996年、Windows 95対応を果たしたATOK10が登場する。ATOK10では構文解析方式を全面的に変更し、長らく使ってきた2文節最長一致法からMS-IME95やWXGと同じ最小コスト法に変更した[これは後にガセネタであったことが判明^^;]。それと同時にさまざまな改善が行われたらしく、体感的な変換精度は大きく向上した。機能面でも英数字記号だけを半角で入力可能にするなど、他社製品より遅れていた部分のキャッチアップが行われた。

それからまもなくAI変換を搭載したMS-IME97が登場する。相変わらずカスタマイズ機能は持たないものの、安価なアップグレード、手書き文字認識を搭載したことなどから、多くのユーザーがMS-IME97を好評で迎えた。このころから一般ユーザーはATOKかMS-IMEで満足し、それ以外の製品はあまり話題に登らなくなる。ATOK vs. MS-IME時代の到来だ。

しかしその陰で、OAK、書院IME、RupoACE、CanoIMEなど、専用ワープロの衰退とともにWindowsソフトへの移行を始めたワープロメーカーのIMEが続々と登場する。Wnn95やCannaなど、UNIX方面からの参入も目立つ。ここに到ってWindows IMEも百花繚乱の時代を迎えることになる。

AI変換の熟成〜未来へ

MS-IME97から遅れること数か月、1997年にATOK11が登場する。ATOK11ではVJE-DeltaやWXGに遅れていた意味解析後の構文再解析を実現し、細切れ入力への対応や、文章のジャンルを判断して意味解析に利用するなど、細かい改善が行われた。AI変換はもはや熟成した技術であり、こうした付加的な改良によらなければ差別化が行えないところまできた。

これと前後してWXG2とVJE-Delta 2.5が登場している。WXG2は住所入力オプションを持ち、漢字から読みがわかる逆変換を搭載していた。同時に発売されたパワーアップキットでは手書き文字認識や英和・和英変換が可能だった。VJE-Delta 2.5も住所入力アクセサリを搭載し、これ以後MS-IMEとATOK以外の製品は多機能化で生き残りを図ることになる。

1998年初頭にはWXG3とMS-IME98が登場する。WXG3は和英変換を始めとしたさまざまな特殊変換を提供し、MS-IME98は初めてカスタマイズ機能を搭載した。9月にはATOK12が登場し、省入力機能や校正支援、またカスタマイズ機能を大幅に改善している。

いまやメジャーな製品すべてが多機能化への道を歩みはじめている。今後のIMEは単なる日本語入力システムであることを超え、ユーザーに最も近い位置にある計算機インタフェースとしてさらなる新境地を拓いてゆくことになろう。

ATOKを総括する

ATOKは長いあいだ「賢くはないが気のいいヤツ」という評価を受けてきた。しかしATOK8でAI変換を搭載してからは、コンスタントに改良を行い、トップクラスの変換精度を維持しつづけている。機能面では競合製品に遅れがちだったが、最近のキャッチアップは貪欲ともいえるほどだ。一般ユーザーの好感度は相変わらず高い。ジャストシステムが健全な経営を続け、ATOKに継続して開発コストを投下できるなら、ATOKは今後も巨人でありつづけるに違いない。

さて、ここで紙数が尽きた。これまでの連載にお付き合いくださった読者の方々に感謝して、この稿を閉じることにしたい。いつかまたお目に掛かる機会があることを願おう。


年表は、別ページにまとめました。


このページは、太田さんのご厚意により、<ajmc02$6mp$3@ns.src.ricoh.co.jp>(→Google)を使用いたしました。なお、太田さんから、「間違いがあったらそれは太田の責任」と記載しておくよう、お申し出がありました。


作成日:2002年 8月 24日 (土)