無気力・無関心・無感動の三無主義世代として育った川村賢人が、無責任に綴る駄文集。
長岡鉄男が死んでしまった。大正十五年一月五日生まれだから享年七十四歳。日本人の平均寿命からすれば決して早すぎた死とは言えないが、オーディオ・ファンにとって、そして僕にとっても唯一無二とも言える存在だったので最初は夢でも見ているような気がした。
エコロジーという言葉が定着して久しいが、これは「資源」と「環境」を引っくるめて話をする時には非常に便利な言葉だ。
「資源」に関しては以前は「省エネ」という言葉が使われていた。一九八〇年代には「省エネ・ルック」と称して、半袖の背広を着る国会議員が現れたが、戦後の貧困をとうに脱して「おしゃれ」の段階を迎えていた日本人が国会議員のファッションを真似するはずもなかった。
「省エネ」という言葉から判るように、当時の資源問題というのはエネルギー問題のことであり、そしてまた当時はエネルギー問題=石油問題であった。(続く)
ペットボトル入りのお茶というと、緑茶、ウーロン茶とあるが、今の主流はアサヒ「十六茶」などの混合茶であり、夏になるとこれに麦茶が加わる。
伊藤園の「おーい、お茶」は画期的な商品で、多くの企業が追随していたように思うが、結局どれも二番煎じで消えていった。緑茶で負けた企業は、麦茶に体に良さそうな物をいろいろ混ぜ合わせて挽回に成功したが、この路線はおそらく「十六茶」で終わりになるだろう。
「十六茶」は語呂が良いし、これ以上種類を増やしても生半可な数ではあまり訴える物がない。強いてやるなら「六十茶」か「百茶」といったところだろう。
僕が今飲んでるのはキリンの「生茶」。ビール会社が作った「生茶」、実にわかりやすい名前だ。そしてこの「生茶」は珍しく緑茶系であり、また苦みがあり、いかにも植物っぽい味がする。お茶というのは「植物」だったんだと云うことを再認識させてくれる。
最近よく読むページに、週刊「秋葉原情報」というのがある。【第83回】不思議なトラブルは多分こんな理由なんじゃないかと思う。
ファンを止めて CPU がチンチンに熱くなると正常に動作するようになるところから、タイミング的にクリティカルなパスがあるように思える。
トランジスタは温度が上がるとスイッチング・スピードが遅くなる、と言うことは交換した CPU が速すぎたのである。製造プロセスが新しくなっていたのか、設計変更があったのだろう。このことは最終的に電源電圧を下げることで問題が解決したこととも符合する。電源電圧を下げるとスイッチング・スピードは下がる。
まあ、賢人には動かない PC に八時間も付き合う気力はないので、同じ状況に遭遇したらすぐ投げ出してしまうだろう。
何者にもちょうど良い大きさと言うものがある。分かり易いのが音楽媒体だ。音楽媒体の歴史は今までは小型化の歴史であった。
最初に普及したのはSPレコードだったが、収録時間が短かったため、交響曲などは一曲収録するのに何枚ものディスクが必要だった。このときの入れ物が写真のアルバムのようだったことから「アルバム」と呼ばれるようになり、それは現在まで続いている。
一九四八年、LPレコードが開発される。交響曲が三十センチメートルのディスク一枚に収まるようなった。LPは、観賞用としては既に充分な音質を持っていたが、アルバムを最初から最後まで聴き通すためには、途中で席を立ってディスクを裏返す必要があったし、充分な音質を得るためにはそれなりの知識と努力を必要とした。
1982年にはCDが発売される。実はその前の年にソニーの技術者と話す機会があったのだが、「少しくらい音が良いからと言って、二十万円もするプレーヤーが売れるわけがない」と言っていた。確かにそれはその通りだと思うが、実際はそうはならなかった。CDは音は良くなかったが、プレーヤーの値段はアッという間に五万円を切って爆発的に普及した。(続く)
昔、給食で、石油から作った「石油タンパク」というのが出てきたことがある。形はアコーディオン、味は「麩」に似ていたが、麩よりは遥かに不味かった。「石油危機」以前の話で、当時は「食糧問題」が真剣に議論されていた。
子供の頃からずっと蕎麦が好きで、自宅の周り、会社の近く、通勤経路にある蕎麦屋は一通り試しているが、本当に美味しい蕎麦屋は少ない。ただ、何軒も回っているうちに美味しい蕎麦屋にはかなりの割合で共通の特徴があることが分かってきた。
一極集中と言えば大都市の過密化と地方の過疎化を真っ先に思い浮かべるが、食べ物に関しても一極集中が進んでいるようだ。例えば、「林檎」と言えば青森、「ミカン」は愛媛で「梅」は紀州。「お米」は魚沼、「マグロ」は三崎。
味を確かめてから買うことが出来ない場合や、味見しても良し悪しが判らない人はおそらく「産地」や値段で選ぶだろうから、企業の方も当然の如く「産地」を前面に押し出すようになる。
こうして一極集中が進むとそのうち、その「産地」だけでは需要をまかなえなくなるし、「○○産」と付けるだけで高く売れるので、よそで獲れたものを「○○産」と偽って出荷・販売するようになるだろう。
既にお米なんかは「魚沼産コシヒカリ」とは言っても他の産地の米が混ざっているのがもう当たり前になっているそうだし、「三崎のマグロ」も、三崎港に行くと高く売れるというので、よその漁場で捕れたマグロをわざわざ三崎港まで運んで行って陸揚げした物が多いという。
ビールを買うときはなるべく瓶入りビールを買うようにしている。別に缶入りビールは味が悪いと思っているわけではないが、缶は瓶に較べて無駄が多いと思う。アルミ缶の再生行程について詳しく知っている訳ではないが、瓶はおそらく洗浄とラベルの張り替え程度で済むだろうから、やはり瓶に較べたら遥かに資源を浪費するだろう。
困るのは地ビールである。地ビールは三百三十ミリリットル入りの瓶が多いのだが、空き瓶を回収してくれる業者は殆ど無い。賢人の知る限り、空き瓶を引き取ってくれるのは「銀河高原ビール」だけで、他の銘柄の瓶を販売店に持って行っても「うちに持ってこられてもゴミに出すだけなんですけどねぇ」と嫌みを言われていやな思いをする。引き取りさえ拒否されて、持って帰ったこともある。
地ビールの醸造元は是非談合して、共通の瓶を使い、自分の所の瓶と、そしてよその醸造元の瓶でも引き取れる体制を作ってもらいたい。
昨日久しぶりにバスに乗った。最近のバスは車内販売もやっているようで、傘や、ガム、ハンカチ、新聞などが置いてある。
傘や新聞が置いてあるのは当然という気がするが、何故かそれ以上に場所を占有しているのが、健康食品。それも特別な効能を謳った「○○茶」の類が目立つ。これは、利用客に年輩の人が多いということだろうか?
他には、レトルトパック入りのカレーなんていう、誰がどういった理由で買うのかよく分からない物もあった。
しかしバス運転手という仕事も大変になったものだと思う。賢人が子供の頃は路線バスにも必ず車掌さんが乗っていた物だが、それがワンマンになり、プリペイド・カードの販売もやるようになったと思っていたら、今やキヨスクの店員役もこなさなければならない。次は立ち食い蕎麦か?
今まで飲んだ中で一番美味しかったビールは、たのみこむで購入した瓢湖屋敷の杜ブルワリーのブラックスワンスタウトだ。
第二弾フルーツエールは買いそびれてしまったが、第三弾のスワンレイクオクトーバーフェストは予約することが出来た。十月が楽しみだ。第九回出来たて蔵出しビール頒布会も勿論申し込んだ。
近頃車に乗っていて目に付くのが「アイドリング・ストップ」の断り書き。バス・トラック・タクシーには殆どこの断り書きが張ってある。そして最後に決まったように「地球に優しい」もしくは「環境に優しい」という謳い文句が出てくる。
しかしこれはどう考えてもおかしい。「環境に優しいクルマ」なんて物が存在する訳がない。すべてのクルマは環境を破壊しながら走っているのだ。違うのは環境破壊の程度が軽いかどうかであって、こういうのは「優しい」とは言わない。今まで毎日十発殴っていたのを今度から一日八発に減らしました、というだけのことだ。
最近はどの企業もこの「地球に優しい」「環境に優しい」というのを売りにしているが、勘違いしてはいけない。
宴会の幹事をやったら足が出てしまって、千円札一枚しか残っていない。小銭を足しても千四百四十八円。今日は一日飲まず食わずで過ごそうと考えていたのだが、こう暑いとやっぱりビールが飲みたくなる。
賢人は一日ビール五百ml入り六本飲むので、千四百四十八円だと発泡酒を買うしかない。発泡酒は炭酸水に色を付けただけなんじゃないかと思うほど水っぽい物が多いのだが、その中で一番ビールらしい味がするのはサッポロ「ブロイ」。サントリー「秋生」は発泡酒の中ではましな方だが、なんというかどうも味わいが人工的で不自然な感じがする。
と言うことで酒は「ブロイ」で良いとして、問題はおつまみである。「ブロイ」を六本買ったら千二百二十八円、二百二十円しか残らない。二百二十円で買えるおつまみ、一応栄養価も考えたい。まず、手持ちの食料品を調べてみる。「そうめん」「そうめんのつゆ」「とろろ昆布」「海苔」「味噌」。
昆布、海苔、味噌でタンパク質とミネラルは何とかなりそうだ。炭水化物はビールに含まれているので、あとは野菜だけ、と言うことでキムチに決定!
こうして今日も一日が過ぎていく、、、
昨日、帰ってきたら入り口のドアの前に段ボール箱が放置されていた。何かと思ったら、Amazon.com からの郵便小包。盗まれたらどうしてくれるんだ! と一瞬腹が立ったんだけど、まあ、考えてみるとこういう得体の知れない段ボール箱を持っていく奴はいないだろうから、かえって郵便局に取りに行く手間が省けて良かった、と思い直したのでした。
で、今回買ったのは、
Fire On The Bayou [CD] | By: The Meters |
Cabbage Alley [CD] | By: The Meters |
Rejuvenation [CD] | By: The Meters |
We Come To Party [CD] | By: Rebirth Brass Band |
Neil Young [Paperback] | By: Alex Petredis |
Stephen Stills & Manassas - Best of MusikLaden [DVD] | |
Talking Heads - Stop Making Sense [DVD] | |
Berlioz: Symphonie Fantastique, Romeo et Juliette, Faust [CD] | |
The All Star Percussion Ensemble / Harold Farberman [CD] | |
It's A Shame About Ray [CD] | By: Lemonheads |
The End Of Silence [CD] | By: Rollins Band |
Last Rights [CD] | By: Skinny Puppy |
High and Low [DVD] | By: Akira Kurosawa(Director) |
Fireworks [DVD] | By: Takeshi Kitano(Actor) |
ミーターズは Trick Bag(1976)、New Direction(1977) も最近CD化されました。ちなみに「Rejuvenation」に入っている 'Africa' はレッド・ホット・チリ・ペッパーズ 'Holleywood' の原曲。
去年 JB's のライブに行ったときにオープニングで演奏していたニュー・オリンズ系ブラスバンドがえらくかっこよかったので、ちょっと聴いてみようか、と買ったのが Rebirth Brass Band。このCDももちろん良いんだけど、この手の音楽はやっぱり生が一番です。
ベルリオーズ「幻想交響曲」はアンドレ・クリュイタンス指揮の一九五九年録音。定評のある演奏だそうだが、なんと $3.77! こんな値段で儲けはあるのか? 心配になってしまう。
オール・スター・パーカッション・アンサンブルは、今は亡き長岡鉄男の「外盤A級セレクション」に紹介されているオーディオ・マニア向け優秀録音。これもたったの $3.77。
スーパー三和で半額で売っていた「鍋焼キムチうどん」。こんなまずいうどんを食ったのは初めてだ! と思ったが、思い起こしてみると、その昔シアトル空港で食べたうどんの方がもっと不味かった。
一年ぶりにバンドをやることになった。
と言っても別に人前でライブをやる訳じゃないけど。やる曲はもう決まっていて、問答無用でテープを渡された。
Please Please Me | ... The Beatles |
Berangkat | ... The Boom |
You Really Got Me | ... Van Halen |
20th Century Boy | ... T.Rex |
Hey Jude | ... The Beatles |
誰が決めたのか知らないけど、実にポリシーのない選曲で気に入っている。賢人のパートは、
Please Please Me | ... Harmonica & Chorus |
Berangkat | ... Bass |
You Really Got Me | ... Bass |
20th Century Boy | ... Bass |
Hey Jude | ... Vocal |
賢人は T.Rex が大好きで、CD50枚、楽譜、本、詩集と手当たり次第に買い集めている。そこで、20th Century Boy は是非ボーカルをやらせてくれ! とお願いしたんだけど、そうするとベースを弾きながらボーカルを取らなきゃいけないんで楽譜を見てみたら、何とこのベース、拍の頭にはほとんど音が無くて、裏打ちばっかり!
ベースだけだったらすぐに慣れるんだろうけど、ボーカル取りながらだとかなり苦労しそう。
今日は楽器屋にEのブルース・ハープを買いに行くつもりだったんだけど、雨がひどいんで止めて、家でベースの練習している。
# 目指せジョージ・ポーター・ジュニア!
・・・・
雷の音で目が覚めたんだけど、台風十七号っていうんですか、これ。十秒おきに雷が鳴っている。距離はそう、頭上に花火が上がっている感じ。
僕が住んでるマンションは低地にあるので大雨になるとよく水が溜まる。パンツ一丁で窓を開けて外を見ると、バスが水をはじき飛ばしながらウンコをしている、、、いや、運行している。
今のところ水かさは二十センチメートルといったところ。
僕がこのマンションに引っ越してきて翌月にやはり大雨が降って、そのときは膝上二十センチメートルだったから、そのときに較べればまだまだ大丈夫だが、今のうちにセブンイレブンに買い出しにいっておこう。
昨日行きつけの串焼き屋で天狗舞の山廃純米酒を飲んでいたら、テレビでオリンピックの新体操をやっていた。新体操といえばオリンピックの華、楽しみにしている人も多いと思うが、かたや男子体操の方を見ると、今ひとつ盛り上がりに欠ける。そこで考えたのだが「男子にも新体操を作ったらどうか?」ということ。
この場合、一番の問題は小道具を何にするか、ということだろう。女子と同じようにリボンやボールでは新種目としての価値がないので、ここはやはり「さすが男子ならでは」と唸らせるような小道具が欲しい。
そこで賢人が考えたのが「タンス」である(まあ、酔っぱらってるからね、マジメに読んでいた人、ごめん)。
女子のリボンやボールに当たるものとしてはムチ、砲丸といったところが思い浮かぶが、男らしさを強調するにはやはり「タンス」が一番だろう。女子「リボン」男子「タンス」による男女混合演技も是非検討して欲しい。
今まで越乃寒梅を飲んで美味しいと思ったことがない。いや、あることはあるのだが、他の日本酒と飲み較べて格別旨いとは思わない。この程度の酒だったら一升瓶で二千円も出せばそこら辺にごろごろしていると思う。
まあ聞くところに依ると、越乃寒梅とは云ってもそこらで売られている越乃寒梅は他の酒が混ざっているらしい。ここら辺の事情は以前 一極集中の時代 - 食糧編 - で書いたとおりで、越乃寒梅の空き瓶は一本五百円で引き取ってくれるところもあるらしい。
日本酒といえば、地酒ではトップ・シェアの久保田にも疑惑がある。久保田は「百寿」はまずいが「千寿」は結構いける。一升瓶で二千五百円ぐらいだったら買って損は無いと思う。「萬寿」だったら三千五百円から四千円ぐらいの価値はある。
問題は生産量の多さにある。久保田の生産量は年間およそ三万石。地酒を扱っている飲み屋の多くは久保田を置いている。需要に応えるため、もしくは拡販を続けるためには自分の蔵だけではとてもまかないきれないんじゃないのか?
今日、浅草のロック座に行った帰りに神谷バーで「電氣ブラン」を飲んだ。
「電氣ブラン」というのは明治十五年に誕生した、ジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされている、ブランデーベースのカクテル。
発売当初は「電氣ブランデー」という名前だったそうだ。アルコール分四十度。
味は、僕は「ドクターペッパー」に似ているなと思ったんだけど、一緒に飲んでいた女の子は「養命酒みたい」と言っていた。確かにちょっとクスリっぽいけど、なんで養命酒の味を知っているんだ、お前は!
「神谷バー」は営団地下鉄線浅草駅3番出口を出てすぐ左。浅草に立ち寄った際には是非お試しを。吾妻橋の向こう側に例のウンコ形オブジェを望むことも出来る。
優れた内容を持ちながら全米151位とさっぱり売れなかった前作『Sunflower』の後ビーチボーイズは、ビッグ・サー・フォーク・フェスティバル、ウィスキー・ア・ゴー・ゴー、フィルモア・イーストでのグレイトフル・デッドとの共演などのライブを成功させ、ファンやマスコミにビーチ・ボーイズの復活を強く印象づけていった。
その成果が現れたのがリプリーズ移籍後第二弾となるこの『Surf's Up』で、ビルボード全米29位と、『Pet Sounds』以降低迷を続けていたビーチ・ボーイズにとっては久々のヒット・アルバムとなった。
内容的には前作で見られた明るさは影をひそめ、生きていくことの困難さを考えさせるような作品が並んでいる。
『Pet Sounds』以降アルバムによって雰囲気ががらっと変わるのはいつものことだが、この『Surf's Up』に関して言うと、アルバムの雰囲気を決めているのは、このアルバムで三曲の詩を提供し、後にビーチボーイズのマネージャーを務めることになるジャック・ライリーではないか思われる。
彼はビーチ・ボーイズをコンテンポラリーなバンドにしようと曲作りやライブ活動に意見を出すが、マイク、カール、ブライアンといった中心メンバーに気に入られていたため、このアルバムでは実に多くの曲に彼が関わっている。
また、ライブ・バンドとして再評価されるきっかけを作ったのもこのジャック・ライリーで、その意味では大きな功績を残したわけだが、彼を嫌っていたブルース・ジョンストンと対立し、脱退に追い込んだことを考えると失ったものもまた大きかったといわなければならない。
そのジャック・ライリーの意見をストレートに反映させたのが、「Don't Go Near the Water」と「Student Demonstration Time」。
すっかりバンドの牽引車となった感のあるカールは、このアルバムでは二曲をジャック・ライリーと共作している。
「Long Promised Road」では困難に立ち向かう強固な意志を唄い、当時のカールの充実ぶりと自信が伺われる。「Feel Flows」は中間部に幻想的なインストを配し、聴いているうちにまるで森の中をさまよっているような気分にさせられる、個人的には非常に気に入っている曲。
ブルース・ジョンストンは、もはや説明不要の名曲「Disney Girl」を提供している。その後一九七五年にこの「Disney Girl」と並んで彼の最高傑作といわれる「I Write the Songs」がバリー・マニロウの歌で大ヒットしたことを思うとつくづく脱退が悔やまれる。
〈かつて空に向かって枝を伸ばしていき人々に恵みをもたらした木々も今や身を横たえ死を迎えようとしている〉
この曲もブライアンの心中を歌っていることは間違いないと思うが、パイプオルガンを使い教会音楽のようなアレンジになっている分「'Til I Die」よりはまだ救われた気分になる。素人丸出しのジャック・ライリーのボーカルも効果的。後半はヴァン・ダイク・パークスがメインボーカルを引き継ぐ。
このアルバムの沈んだ雰囲気を決定づけているのがブライアンの「'Til I Die」。海に浮かぶコルク栓が為すすべもなく荒波にさらされている姿に自分を投影し、そしてこのまま死んでいくのだと唄うブライアン。これが前作で「This Whole World」を作った人間と同一人物とは思えない。
そして最後の曲は『Smile』制作時に書かれ未完成のままになっていた「Surf's Up」。
ブライアン自身にとってはこういう形で発表されたことは不本意だったようだが、ファンとしてはこうしてこの曲が聴けることを素直に喜びたいと思う。
前作『Sunflower』がバンドの一体感が強く感じられたのに対して、この『Surf's Up』はメンバー各自の志向の違いがはっきり判るようになっている。こじつけて考えれば『Sunflower』がビーチ・ボーイズのサージェントペパーだとすると、この『Surf's Up』はさしずめホワイトアルバムといったところだろうか。
たまに長崎チャンポンが食べたいと思うことがある。うちのすぐ近くにリンガーハット座間相模が丘店があるのだが、折りしも旬の牡蠣入り長崎チャンポンが五百八十円で食べられるということなので、早速入ってみた。
さて、店に入って席に座ったのだが、一向に店員が注文を訊きに来ない。僕も気の長い人間なので、店内を一通り眺め、メニューを隅から隅まで読み終えて、しばらくボーっとしていたのだが、ふと時計を見ると店に入ってからもう30分も経っている。
さすがに腹が減って我慢できなくなってきたので、店を出てコンビニに向かった。しかし不思議な店もある物だ。客が腹を空かして待っているというのに、、、全く商売をする気が無いように見える。壁のポスターには「おかげさまで三百店舗突破!」と書いてあるのだが、これではとてもじゃないが信用できない。
ケントが今まで出会った中では最低の飲食店であった。
ケントが住んでいるマンションは一階がテナントになっている。長い間、何も入っていなかったのだが、今度、ヤクルトの販売店が入ってきた。
ひと月ほど前から工事が始まっていたのだが、ようやく終わったみたいで、先週の土曜日にマンションの住人に挨拶にやってきた。チャイムが鳴ってドアを開けると、満面に笑みを浮かべた背広姿のおじさんが、お辞儀をしながら「このたび・・・・、・・・・よろしくお願いいたします」と言いながら、紙袋の中から一見してタオルセットと判るような紙包みを僕に手渡した。
「それでは失礼いたします」、、、おじさんは去っていった。しかし、去ってゆくおじさんが同伴の女性に「これで202号室は終わり、、、」と言い渡すのがはっきり聞こえた。
もちろん向こうが仕事でやっているのは重々承知しているので、別に不快にも思わなかったのだが、もらった包みを開けて思わず吹き出してしまった。
そのタオルには「ヤクルト・スワローズ」と染め抜かれていたのである。ケントが巨人ファンだと知ってのことだとしたら、あのおじさんもかなりしたたかな奴である。
昨日、お菓子の家を作った。先ず、段ボールで家の格好をした物を作り、外側をいろんなお菓子で飾り付ける。内側には絵を描いた紙を貼る。
家の土台は茶色の麩菓子、壁は耳無しパンをトースターで焼いた物を貼っていって作る。パンを焼くときはアルミホイルを乗せると、そこだけ焦げないので、アルミホイルをいろんな形に切って模様を付ける。
飴のような物を溶かして平べったく延ばして窓ガラスを作る。赤、青、黄色、緑といった色のガラスを作って組み合わせたので、ステンドグラスみたいになった。屋根には、名前は覚えていないが、丸くて薄い、海老風味の煎餅を、瓦のようにずらして貼っていく。
これで下地は出来上がり。後はこの上に飴玉やら、手作りのクッキーやら、買い込んできた様々のお菓子を格好良く貼り付けていく。昼頃からおよそ十人で始めたのだが、完成したときにはすっかり夜が更けていた。
翌日このお菓子の家は知り合いの幼稚園に運ばれていった。子供たちは大層喜んだということであった。
スーパーで生ワカメを買ってきた。三陸産の新ワカメと云うことである。生ワカメは柔らかくて滋味があり、乾燥ワカメの遠く及ぶところではない。石巻市に住んでいる友人が以前言っていたのだが、乾燥ワカメは味も栄養も何にも無いんだそうである。何にも無いと云うことはあるまいが、生ワカメが美味しいことは確かである。
さて、この生ワカメをどうやって食べるかと云うことだが、やはり酢の物にして酒の肴にするのが良いであろう。もちろん味噌汁に入れても美味しいのだが、美味しい味噌汁の作り方はまたいずれ述べることにして、今回は簡単で美味しい三杯酢の作り方を書いてみたい。
まずは手持ちの酢(千鳥)、醤油(三ツ星)、味醂(三河みりん)を適当に混ぜてぶっかけてみたのだが、ちょっときつすぎてあまり美味しくない。やはり出し汁が必要だと思う。だしは昆布と鰹節で取ればいいのだが、いちいち鰹節を削るのも面倒だし(ケントは花カツオなんか鰹節じゃないと思っているのだ)、冷めるまで時間も掛かるしと云うことで、出来合いの出し汁を買いにゆくことにした。
それは蕎麦つゆである。ケントは蕎麦好きで、蕎麦つゆの作り方は良く知っている。出し汁とかえしを混ぜて作られる蕎麦つゆに、お酢を混ぜたらそれで三杯酢が出来あがるはずだ。幸い蕎麦つゆは、出し汁と比べて趣味性が高いらしく、化学調味料を使っていないものもちゃんとある。
今回は「上野藪そばのつゆ」を使ってみた。さて出来上がりだが、予想通り、これは美味い! 生ワカメの、ヌルヌル、シコシコした口触りに絡むどしっとした三杯酢の味わい。手軽で美味しく、しかも化学調味料無添加。これはお薦め!
瓢湖屋敷の杜ブルワリーからメールが届いた。ブラックスワンスタウトをまた作るらしい。注文が増えればその分だけ値段も下がるという仕組みになっている。当然のこと、ケントはこの欄にこの話を載せることにした。あのブラックスワンスタウトが一本四百円で買えるとしたら、こんな嬉しいことはないのだから。
いつの時代も子供は親に反抗し、若者は大人に反発を覚える物だと思うが、一九六〇年代のアメリカの若者はヒッピー思想のおかげで一段とその傾向が強かったらしく、またそのおかげで自分の考えを直接、行動に移すことが出来た。
ジム・モリソンことことジェームズ・ダグラス・モリソンはその中でも極めつけの反逆者だった。
海軍のエリート軍人の長男として生まれたジム・モリソンは、交通事故に遭遇した多数のインディアンが路上で血を流しながらもだえる様を目撃するという幼少の頃の異常体験や、父親の仕事の都合で転校を重ねるうちにいつしか読書にのめり込むようになる。
ディラン・トーマス、ウィリアム・ブレイク、ボードレール、アルチュール・ランボー、ジャック・ケルアックそしてニーチェ、ルソー、サルトル、カフカ。
IQ百四十九だったというジム・モリソンは高校に入る頃には教師をはるかに上回る知識を身に付け、みんなが知らないような詩や小説の一節を口にして人をはぐらかすのを得意としていた。
UCLAの映画学科を卒業したジム・モリソンはビルの屋上で頭の中に鳴り響く詩や歌を次々と書き留めていった。
「月光のドライブ」「エンド・オブ・ザ・ナイト」「夏は去りゆく」「大地に触れずに」「マイ・アイズ・ハブ・シーン・ユー」そして「ジ・エンド」「音楽が終わったら」、、、
UCLA映画学科で、フランシス・コッポラに次ぐ有望株として将来を嘱望されていたレイ・マンザレクは、ヴェニス・ビーチで見覚えのある人間に出くわす。訊けばビルの屋上に住んで歌を書いているという。学生時代「ひげ面のブルース野郎」と呼ばれシングル・レコードを発売したこともあるマンザレクはさっそくその歌を聴かせてもらった。
ジムは当初マンザレクがボーカルを取るものとばかり思っていたが、マンザレクはジムの歌を最良の形で表現できるのはジム本人だと考え、ジムを説き伏せてそれまで音楽の素養がなかったジムにボーカルレッスンを施す。
グループはロサンジェルスのクラブでギグを繰り返すうちにスタイルを確立させて行くが、その神秘的なサウンドと幻想的な詩、そして演劇の手法を取り入れたステージ演出で評判を呼び、やがてニューヨークのエレクトラと契約を結んでレコード・デビューを果たす。「サマー・オブ・ラブ」にはまだ少し間がある一九六七年一月のことだった。
シングル『ハートに火をつけて』の大ヒットでグループは一躍トップ・グループに躍り出るが、同時にジム・モリソンはその端正な容姿とステージでの破天荒な振る舞いによってエルヴィス・プレスリー以来のアメリカ最大のロック・スターに祭り上げられる。
ドアーズが崩壊した原因はジム・モリソンの常軌を逸した行動にある。元来詩人として認められたいと願っていたモリソンは、ロック界の反逆児、セックス・シンボルといったイメージが一人歩きを始め肥大化するにつれて、そういった役割を演じることに嫌気がさしてくる。
以前は観客を自分たちの世界に引きずり込むことが出来たが、今や観客は自己主張を始め、ヒット曲、とりわけ『ハートに火をつけて』ばかりを要求するようになっていた。そしてツアーを続けながら限られた時間で新しいアルバムを作らなければならないというプレッシャー。かつてロサンジェルスのクラブでギグを繰り返しながら完成させていったレパートリーは最初の二枚のアルバムで使い切ってしまっていた。
こうしてジム・モリソンはどんどん酒にのめり込んでいく。酒を飲むことによって自分を肥大化させ、周囲の状況に対応して行くが、それは泥酔しては周りの状況を悪化させていくという悪循環だった。
しかしもはやジム・モリソンは自分自身すらコントロール出来なくなっていた。パリに着いて始めのうちは詩作にいそしんでいたものの、すぐに酒浸りの自堕落な生活に戻っていく。
一九七一年七月三日、パメラ・カーソンは浴槽でジム・モリソンが死んでいるのを見つける。死因は心不全。パメラの願い出により死亡証明書にはこう記された。「詩人、ジェームズ・モリソン」
ジム・モリソンはドアーズでの六年間の活動を通して多くのことを学んだ。警備の警官をからかい、観客を罵倒し、まともにレコーディングに姿を現さなかったモリソン。両親は死んだと公言してはばからなかったモリソンも、かつて仲違いをしていた友人達と仲直りをし、両親とも和解したいと漏らすようになっていたが、終始ジムと生活を共にしてきたパメラ・カーソンが三年後ジムの後を追うように亡くなってしまった今となっては、ジム・モリソンが絶望の淵にいたのか、それとも夢を捨てずに将来に希望を持っていたのか知るすべはない。
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