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夏山の名残りに穂高連峰縦走 2002年8月31日(土)〜9月2日(月) |
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夏山山行のために買った青春18切符は残っているし、絶好の天候が期待できそうだったので、 名残りの夏を求めて、前穂〜奥穂〜北穂と縦走することにしました。 展望のよい北穂に泊りたかったのと、夜行を避けるため、岳沢から登り涸沢へ下りる計画です。 9月に入るので上高地もそれほど混まないことを期待して・・・・。 | |||
第1日目: 上高地(1040)→岳沢ヒュッテ(1300) |
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今日は岳沢ヒュッテまでの3時間足らずの道。 なので、高尾を朝出発し、松本でバスに乗り換えて、上高地10時30分到着、と余裕の行程。 まだお昼前なので上高地もそれ程混んでいなそうだし・・?_?。 河童橋を渡り、岳沢の登山口から樹間の道を歩き始めます。途中「風穴」で一休み。 木々が低くなって、空が広くなると、やがて岳沢ヒュッテに到着しました。 テントを張って、お昼寝気分です。 | |||
第2日目: 岳沢ヒュッテ(0455)→紀美子平(0615)→前穂高岳(0645-0710)→紀美子平(0725)→奥穂高岳(0950-1010) →穂高岳山荘(1035-1100)→涸沢岳(1120)→北穂高岳南峰(1305-25)→北穂小屋(1335) |
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台風15号も何のその(どこへ行ったのか?)、朝から極上の快晴でした。 今日は行程が長いし、前穂の登りはきついので、夜明け前に出発です。 明るくなっていく背後を振り返りながら、鎖や梯子の岩場を越えると、やがて紀美子平に到着しました。 | |||
ガラ石だらけの道を辿ると、前穂高岳の岩屑の山頂です。 北方に奥穂がドンとすわり、左右に笠と槍、本当の大迫力でした。 遠くは富士山や中ア、南ア、それに八ヶ岳まで、う〜〜ん大満足でした!!。 | |||
紀美子平に引き返し、岩場だらけの吊尾根をたどり、標高差200mを登りきれば、奥穂高岳はもうすぐ。 ジャンダルムを従えた奥穂の山頂からは、槍ヶ岳が迫力を増してきています。 | |||
白出乗越に下り、穂高岳山荘前の石畳のテラスで大休止。 涸沢岳の山頂から北穂を見ると、歩く道があるのかと訝るような、険しいヤセ尾根が見えています。 ほとんど全面の鎖を頼りにコルにたどり着き、慎重に岩場の道を登り返すと、ようやくで標識も何もない北穂南峰に到着。 あと一息で北穂小屋のある北峰です。 | |||
大展望の北穂!。 とはいえテント泊なので、いったんテント場に引き返した後、夕暮れ時に再び山頂へと出かけました。 夕方には大気が澄んできて、遠く白馬までの眺めにウットリとしていました。 チョッと風があったので、肌寒くノンビリとはしていられなかったのですが・・・・。もう9月ですものネ。 | |||
風があるので一晩中テントがうるさかったのですが、空は満点の星でした・・・・ZZzz。。.. | |||
第3日目: 北穂高岳(0600)→涸沢小屋(0725-45)→本谷橋(0900)→横尾(0955-1000)→上高地(1230) |
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陽の出前に起き出して、再び山頂へ。今日も快晴です。 濃い紅紫色の空が、茜に変わり、やがて浅間の山から陽が登り始めるのをずっと眺めていました。 | |||
テントを撤収した後、岩場の続く急坂の北穂南稜を降りて行きます。 足元にはいつも涸沢ヒュッテの赤い屋根が見えていました。 ハイマツを縫い、岩を抜け、どんどん高度を下げてゆくと、梯子に続いて鎖場になります。 そこを通過すると、ガレた北穂沢に付けられたジグザグの道に。 涸沢ヒュッテの赤い屋根がいつまでも大きくならないのにいら立ちながらも、 沢の小さな水音が聞こえるようになると、やっと涸沢小屋に着きました、ふ〜〜〜〜〜。 | |||
涸沢小屋でノンビリした後は、足取り軽く横尾へと向かいます。なんたって、岩場はもうないのだから・・・・。 涸沢をカールを振り返り振り返り、石畳の道を歩きながら、高度を下げていくと、やがて本谷橋でした。 | |||
バスの時間を気にしながら横尾を過ぎ、観光客の増えてくる徳沢、明神と足早に通り過ぎました。 それでも途中、前穂や明神の眺めを楽しんでいました。 | |||
上高地では日陰に入ると涼しく、もう「秋」を感じさせてくれたのですが、中央線の電車を降りると汗!!。 東京は残暑が厳しかったらしい・・・・。 | |||
2泊3日の穂高縦走の歩き、快晴に恵まれて十二分に堪能できたと思っています。
槍穂に行くのはこの頃が正解かな、と知り合いと話しています。山も登山口も少しはすいているのでしょうし、ネ。
前夜にパッキングしながら、エイヤッとテント泊にしてしまったわけですが、水には困りました。 頼みの岳沢でもテント場には水はなくて、小屋で買う始末。当然、奥穂でも北穂でも水はないし・・・・。 また、北穂小屋とテント場は10分以上離れているし、「小屋泊りにするんだった」とちょっぴり後悔してしまいました。 大キレットを越えたのは10年近く前ですが、涸沢岳〜北穂間の道なんて少しも思い出せず、 「こんなきつい道だったっけ?」と考え考えながら歩いていました。ある意味、大キレットより厳しいかもしれませんね。 |
制作:加藤 輝男 2002年9月8日
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