三日月が天頂付近に上り詰める時間になっても、ソルダの重鎮達は暖炉を囲んで鳩首会談を続けていた。アルテナがグラン・ルトゥール=原初ソルダへの回帰を、ノワールの復活という具体的な形で推進している事が明らかになったからである。
「アルテナめ・・・遂に本性を現しおったか」
重鎮の一人が苦々しい面持ちで、パイプに詰めた煙草の燃えカスを灰皿に落とす。
「我々ソルダが世界を掌握し得た理由が、原初ソルダの気高き精神にある事は認めざるを得ない。アルテナもその事を熟知し、ソルダの基本理念に則ってグラン・ルトゥールを標榜している。何とも狡猾な手段を思い付くものよ」
「だが、この千年で世界は変質した。もはや理想論などで世界は変わらない。金と権力−−−原初ソルダが否定したそれらの存在こそが、今のソルダの力の根源だという事を、アルテナ自身も知らぬ訳ではあるまい」
「アルテナの真意の程は判らぬ。が、10年もの歳月を費やしてノワールの育成を行い、今更グラン・ルトゥールなどという綺麗事を持ち出す目的が、『原初ソルダの理想の実現』のみにあるとは到底思えん」
「ノワールに存在意義があるとすれば、アルテナが古の定めに則ってソルダの司祭長に就く為の道具であり、アルテナに盾突く反逆分子を抹殺する為の道具という事になる。いずれにせよ、ノワールがソルダではなく『アルテナの両手』である事に変わりはない」
「・・・どうやら、結論が出たようだな」
重鎮の中でもとりわけ威厳のありそうな初老の男、グレイファードが呟く。
「アルテナの暴走を挫くには、アルテナから両手を奪う必要がある。両手と成り得る苗木は3本。それ等を切り倒してしまえば、ノワール復活もアルテナの野望も水泡に帰すだろう」
「だが、苗木の1本には我々が手を出す事は出来ん。残る2本をどう切り倒すか、それが問題だ」
「策は有る。ここはひとつ、ワシに全てを任せてほしい」
グレイファードは他の重鎮達に一言告げると、部屋を出て自分の書斎へと向かった。
グレイファードは書斎に着くや否や、携帯電話を取り出して腹心の一人を呼び寄せた。2、3分後、目付きの鋭い細身の男が書斎に入って来た。
「お呼びですか、グレイファード閣下」
「いよいよ例の計画を実行する時が来た様だ、カルボロー君」
「『ノワール抹殺』ですね」
「そうだ。ワシの予想通り、ノワールは『アルテナの両手』だった。ノワールをこのまま放置しておけば、ソルダはやがてアルテナに支配されてしまう。それだけは避けねばならん」
「承知しました」
カルボローはポケットから2枚の写真を出した。
「夕叢霧香とミレイユ・ブーケ。2人の素性や殺しの手口を徹底的に洗い直した結果、私はこの2人のそれぞれに致命的な弱点を発見しました。ただ、奴等を倒すにはそれなりの舞台が必要です」
「舞台か・・・何を用意すればいいのだ?」
「『白き街』の使用許可を頂きたいのです」
『白き街』という言葉を聞いた途端、グレイファードの表情が険しくなった。
「・・・『白き街』でなければ駄目なのか」
「はい。奴等を倒すには、どうしても『白き街』の力が必要なのです」
「・・・判った。アルテナに支配される事を思えば、『白き街』を使用する事による損失などものの数ではない」
「ご快諾頂き、ありがとうございます」
「だが『白き街』を使う以上、奴等が倒せなかった場合には、君には相応の責任をとってもらう事になる。良いな、カルボロー君」
「心得ております。吉報をお待ち下さい、閣下」
カルボローはグレイファードに軽くお辞儀をして、書斎を後にした。
☆★☆★☆
数日後。
フランス裏社会に存在する情報屋集団、俗に『暗殺者協会』と呼ばれるグループから、ミレイユ宛に仕事を依頼するメールが届いた。
『フランスの前警視総監、カルフールをドイツとロシアとの国境近くの町で発見した。村に出向いてカルフールを暗殺してほしい。依頼人はジョセフ・カルボロー』
ふぅ、とミレイユは大きな溜息を漏らし、サブウィンドウを開いてカルフールの個人データを検索する。
「デュラン・カルフール。数ヶ月前までは警視総監に在職していたが、判事デスタンと警察官ルビックの共謀による汚職が発覚した後、間も無く引責辞任する。以後の消息は不明・・・か」
ミレイユはもう一つサブウィンドウを開き、今度はカルボローの個人データを検索する。しかし、サブウィンドウには"No data"という文字が表示されただけだった。
「これだから協会の依頼は困るのよね」
ミレイユは仕事を受けるべきかどうか迷っていた。
暗殺者協会は名前こそ立派だが、その実体は単独では行動出来ない二流・三流の情報屋の集まりである。そんな連中の集まりであるから、依頼人の素性もロクに調べられない事が多い。
しかし、暗殺者協会は個人営業の情報屋と比較して、コンタクトを取り易い事と仕事料の安さから、裏社会の事情をよく知らない人間からの支持を集めていた。「暗殺者協会に仕事を依頼するのは素人で、玄人は個人営業の情報屋に依頼する」というのが、暗殺者にとっては定番となっていた。
ただ、今回は素人の依頼にしてはターゲットが大物過ぎる。
デュクスを暗殺した時の様に、依頼そのものが罠である可能性も無い訳ではない。
ミレイユは色々と考えた挙句、ポーレットにカルボローの素性の洗い出しを依頼した。
そして2日後。
入口に『本日休業』の札が掛けられた美容室の奥で、ミレイユはポーレットに髪の毛をセットしてもらいながら、仕事の話を交わしていた。
「相変わらずヤバイ仕事を受けているみたいね、ミレイユ」
「腕の立つ相棒が居るおかげで、何とかこなせているけどね」
「例の霧香って子ね。私の方でも色々調べてみてはいるんだけど、あなたに提供した情報以外は何も判らない。本当に謎の多い子ね」
「そう・・・ま、いいけどね」
ミレイユは霧香と出会う直前に、霧香の素性の洗い出しをポーレットに依頼していた。霧香から送られて来たメールの宛先が、自分以外には情報屋しか知らない筈のメールアドレスだったからである。
しかし、霧香と一緒に生活し、霧香と一緒に様々な危機を乗り越えていくうち、ミレイユの中では霧香の素性より、霧香と一緒に過ごした時間の方が重要な意味を持つ様になっていた。霧香の素性を知っておくに越した事は無いが、ミレイユは霧香の素性について、単なる知識以上の価値を見出せなくなっていたのである。
「ところで、カルボローの方は?」
「ジョセフ・カルボロー、32歳。ロンドン生まれのロンドン育ちという根っからのイギリス人で、現在はレアメタル(稀少金属)の採掘・加工・販売を仕事にしているわ」
「表の顔は判ったわ。肝心な方を聞かせて」
「表も裏もないわ。単なる一般人よ」
ミレイユは思わず「そんなバカな」という表情を見せる。
単なる一般人、しかもイギリス人の彼が、何故フランスの元警視総監の暗殺を依頼して来たのか、ミレイユには全く理解出来なかった。
「ただ、過去に一度だけ、ヤバイ連中の資金洗浄に関与したという容疑で、彼はフランス警察に検挙された事があるわ。レアメタルの中には、たった1グラムで数万ユーロの価値を持つものも存在する。彼はその事を資金洗浄に利用したらしいわ。もっとも、証拠不充分で釈放されたけど、釈放後暫くは商売にならなかったという話よ」
ポーレットの言葉を聞いて、ミレイユは納得した表情を見せる。少なくとも、カルボローにはカルフールを殺そうとする理由がある事が判ったからである。
そんなミレイユの表情を見て、ポーレットは意地悪そうな顔でミレイユに語り掛ける。
「協会からの仕事ね、ミレイユ」
「・・・ポーレットには隠し事ひとつ出来ないわね」
「依頼人の素性調査は殆どが協会絡みだからね。頼む方も殺し屋のランクだけでなく、情報屋のランクにも気を遣って欲しいわ」
「でも、おかげで迷いが晴れたわ。ありがとうポーレット」
「お礼なら今日のセット代で頂くわよ」
ポーレットの言葉に、ミレイユは思わず苦笑した。
☆★☆★☆
3日後。
ミレイユと霧香は、ドイツ国境に程近いロシアの小さな町に到着した。
勿論、協会からの依頼によるカルフール暗殺が目的である。
「小さな町なのに、随分賑わっているのね」
ミレイユの言葉通り、駅を始点とした約200m程のメインストリートは、この小さな町に住む人間全員が集まっていると思える程の盛況だった。
「今日はホテルへ直行ね。仕事の下調べもしなくちゃいけないし、何よりも長旅で疲れたわ」
「そうだね」
ミレイユはホテルの居室に着くや否や、ノートパソコンと携帯電話を取り出してインターネットに接続し、何やら調べ物を始めた。
「どうやら、カルフールがこの町に潜伏しているのは間違い無いようね。場所までは特定出来ないけど、フランス元警視総監が庶民の家を間借りしているとも思えないわ。セキュリティサービス契約の線で辿っていけば、場所の見当も付くわね」
霧香はミレイユの隣に腰掛けながら、ミレイユの情報分析力に並々ならぬ関心を示していた。霧香は戦闘能力こそずば抜けていたが、暗殺に必要な情報の収集や分析については素人も同然だったからである。
10分後、カルフールが潜伏している可能性の高い拠点の情報を得た時点で、ミレイユはインターネットへの接続を切り、ノートパソコンの画面を閉じた。
「ある程度の場所は絞れたわ。後は現地に足を運んで、直接調べる必要があるわね」
「相変わらず凄いね、ミレイユ」
「私の師匠は情報屋だし、足掛け6年この仕事をしているからね。この位は朝飯前って所ね」
得意げに言うミレイユの言葉を聞いて、霧香は素直に頷く。
(ちょっとは羨やみや妬みが顔に現れても良さそうなのに・・・ま、そこが霧香のいい所なんだけど)
ミレイユは妙に感心した表情で笑みを浮かべた。
その日の夕食は、ホテルのルームサービスをオーダーする事にした。ミレイユも霧香も長旅の疲れで外出する気にならなかったからである。
夕食の時間になると、8歳位の年齢の小さな女の子がワゴンを押してミレイユ達の部屋に入って来た。女の子の容姿は8歳の時のミレイユと瓜二つと言っても良い位に酷似していた。
「お夕食持って来ました」
「あら、随分と可愛いウェイトレスさんね。お名前は?」
「リサラと申します。父からあなた達の世話をするように言われました」
リサラが不器用な手付きでワゴンからステーキ皿を取り出そうとするのを見かねて、ミレイユと霧香は自分達で食事をテーブルの上に並べた。
「ごめんなさい。お客様にお手伝いをさせてしまうなんて」
「いいのよ、気にしなくて」
「それにしても、あなたみたいな小さな子が、何故ホテルの手伝いをしているのかしら?」
「今は従業員が殆ど居ないんです」
リサラはこのホテルのオーナー、カルロバ・クロボノフの一人娘だった。この地域では繁忙期と閑散期の客入りの差が激しく、閑散期の来客は月に1〜2組という少なさだった。その為、閑散期にはカルロバとリサラの2人で来客の応対をしているとの事であった。
「食べ終わったらまた呼んで下さいね」
リサラはペコリと頭を下げて、部屋を後にした。
そして翌朝。
リサラが運んで来た朝食をミレイユと霧香がテーブルの上に並べて、いよいよ食事を始めようとしたその時。
ミレイユはリサラが見ている前でテーブルに蹴躓き、ふらついた拍子にテーブルの反対側に手を着いて、テーブルの上に乗っていた食べ物を一つ残らずひっくり返した。
「ごめんなさい・・・どうも朝は弱くて」
「仕方がないですわ。別の食事を持って来ましょうか?」
「別にいいわ。私達あまり時間が無いから。本当にごめんね、リサラ」
床に落ちた食器や食べ物を拾うミレイユを、霧香は険しい目付きで見ていた。霧香はミレイユの動きから、その行動が作為的なものである事を見抜いていたのである。
(わざと食べ物を落とすなんて・・・何て事するのよ、ミレイユ)
言葉にこそ出さなかったが、霧香はミレイユに対して不快な思いを抱いていた。