燃え盛る炎が、荘園を焦土へと変えようとしていた。
辺り一面に実っていたぶどう畑は、そこに植えられたのが何なのか判らない位に焼け尽くされてしまっていた。
グラン・ルトゥール推進派と反対派の凄絶なる死闘。
もはやこの闘いに勝者は居なかった。
仮にどちらが生き残ったとしても、もうソルダという巨大な組織は支えられない。
いずれ何等かの形で、ソルダが瓦解するであろう事は明白だった。
ミレイユはグラン・ルトゥール反対派の一員として、この死闘に加わっていた。
ミレイユにとっては、グラン・ルトゥールなどどうでもよい事であった。ただ、唯一成し得なかった約束を果たす為に、荘園に足を踏み入れる為の手段として反対派に加勢したに過ぎなかった。
それでも、ミレイユはこの死闘の中を辛うじて生き延びた。
辺りには誰も居なかった。
クロエも、アルテナも、他のソルダの男達も、生きているのか、死んでいるのかさえ判らなかった。
ミレイユはワルサーの弾倉を引き抜き、残弾数を確認する。
ワルサーの銃弾が、拳銃本体に装填された1発しか残っていない事は判っていた。
もう予備の弾倉は無い。
だが、今となっては1発あれば十分である。
撃つべき相手はもう、ひとりしかいないのだから。
そして、約束の相手はミレイユの前に姿を現した。
夕叢霧香。
霧香はパリでソルダの騎士達を撃退した時の様に、光を宿さぬ禍禍しい目付きでミレイユを睨んでいた。
「いよいよ、約束を果たす時が来たようね」
ミレイユの言葉を聞いても、霧香の表情には何の変化も無かった。
「私の銃の残弾は1発しかない。でも、私はその1発で決着(ケリ)を着ける」
その言葉が終わるや否や、ミレイユは霧香に向けて両手でワルサーを構える。
霧香もミレイユに呼応するかの様に、ミレイユに向けて両手でベレッタを構える。
双方の距離は25メートル。
運が良ければ助かるかもしれない。
が、この2人に「運」などという言葉が入り込む余地は無かった。
互いの指がトリガーを引く。
放たれた銃弾は寸分の狂いも無く、目前の相手に向かっていく。
・・・突然、ミレイユと霧香の中間地点の空間が光を放った。
ミレイユには何が起こったのか、さっぱり判らなかった。
判っているのは、トリガープルから得体の知れない光が放たれるまでの僅かな時間に、霧香と苦楽を共にした頃の記憶が脳裡に明確に映し出された事と、最後の銃弾を放った今でも、自分も霧香も生きているという事実だけだった。
ミレイユは霧香を見据えたまま、ゆっくりと拳銃を下ろし、地面に放り捨てた。
「こんな形で約束を終える事になるとはね」
最後の1発を放った以上、もう自分には攻撃手段は残っていない。
後は霧香に撃たれて死ぬのを待つしか、ミレイユに出来る事は無かった。
霧香は未だに拳銃を構えている。
「・・・どうしたの?早く撃ちなさいよ」
ミレイユの声が霧香に届いたその時。
「・・・私の銃も、もう撃てないよ・・・」
霧香はうつむきながらゆっくりと拳銃を下ろし、地面に放り捨てた。
「・・・霧香」
うつむいた霧香の眼から涙が零れ落ちる。
霧香は自分の涙の跡を踏み締めながら、一歩一歩ミレイユに近づく。
2人の間隔が1メートルにまで詰まった次の瞬間。
「・・・ミレイユ・・・・・ミレイユーッ!」
霧香は叫びながらミレイユに飛び付いた。
ミレイユは霧香を受け止めると、無言で霧香の身体を強く抱き締めた。
暫く抱き締めあった後、ミレイユは霧香の瞳を見つめた。
その瞳には以前のような輝きが戻っていた。
「最後の銃弾を撃った時、ミレイユと過ごした日々の記憶が蘇ってきたの」
「・・・・・」
「そして、あの謎の光を見た瞬間、私はようやく本当の自分を取り戻す事が出来た」
その言葉を口にした霧香は、ミレイユと出会った頃の感情表現に乏しい霧香でも、悪魔の様な禍禍しさを露わにした霧香でもなかった。
少女らしい瑞々しい感性に溢れた、表情豊かな霧香がそこに居た。
「霧香・・・いや、何て呼んだらいいのかしら・・・」
過去を取り戻した筈の霧香を、どう呼べば良いのかミレイユは戸惑う。
「『霧香』でいいわ。だって、私は夕叢霧香以外の誰でもないのだから」
にこやかな笑顔で言う霧香。
霧香は偽りの自分ではなく、本当の自分として『夕叢霧香』という名前を選んだ。
そんな霧香を見て、ミレイユもまた、過去との決別を決意した。
両親や兄の仇はもう居ない。
今、目の前に居るのは『夕叢霧香』という、自分にとってかけがえの無い存在だった。
何時の間にか、空には灰色の雲が広がり、辺り一面を静かな雨で濡らしていた。
燃え盛っていた炎も少しずつ小さくなり、やがてその合間から焦土と化した光景を覗かせていた。
「帰ろうか」
「うん」
2人はそのまま荘園を後にした。
地面には互いに衝突して光を放った、2発の銃弾が転がっていた。
(おわり)