ミレイユと霧香はレンタカーを飛ばして、ハリウッドへと向かう道をひた走っていた。
表向きは有名ホテルチェーンの経営者でありながら、裏(非合法)カジノの経営で得た利益を元に、麻薬密売に手を染める「ハリウッドの黒幕」ことダルム・ハセットの暗殺が今回の仕事だった。
「ダルムは高純度の麻薬を極秘ルートで仕入れ、高値で売りさばいて多額の利益を手にしている。そこで、ダルムを殺れば麻薬は流れなくなる・・・って、当たり前の話ね」
「裏カジノはどうなるのかしら?」
「そっちの方は残り続けるでしょうね。たかがゲームに一攫千金を夢見る馬鹿が居続ける限りはね」
その時。
カーラジオから流れていたBGMが途切れ、男の声が流れ始めた。
『臨時ニュースです。本日14時頃、ロサンゼルス州ハリウッド郊外で竜巻が発生しました。この竜巻で道路脇の立て看板が飛ばされ、ホテル経営者、ダルム・ハセット氏の乗る乗用車が飛来した立て看板に潰されるという被害が発生しました。乗用車は前後2つに分断され、後席に乗っていたハセット氏は看板に押し潰されて死亡しました。この乗用車には他に運転手が同乗しておりましたが、奇跡的にも運転手には怪我はありませんでした』
!
ミレイユと霧香はハッとした表情を見せた。
天変地異にターゲットを消されるという事態など、予想出来る筈も無かった。
「『事実は小説よりも奇なり』とは言うけど、まさかこんな形で仕事を終える事になるとはね」
「・・・これからどうしようか、ミレイユ?」
「ホテルは予約しているし、帰りの飛行機も明日にならないと無いわ。この際だから、空いた時間を思い切り楽しみましょうか?」
「そうだね」
ミレイユはそのままハリウッドに向かって車を走らせた。
2人は郊外のハンバーガーショップ『グルマンバーガー』で、遅い昼食を摂る事にした。
実は、ミレイユはハンバーガーがあまり好きではなかった。化学調味料を大量に使用したパティとピクルスの味が、どうしても好きになれなかったからである。
「・・・何度食べても下品な味ね」
「でも、もう2個目よ」
「うるさいわね! お腹減っちゃったんだからしょうがないじゃない!」
(・・・本当は美味しいと思っているのね)
どんなに空腹でも、自分が不味いと思ったものには決して手を出さないミレイユが2個目のハンバーガーを頬張る姿を見て、霧香はちょっと愉快な気持ちになった。
ふと、テーブルに薄暗い影が落ちる。
「よぉ姉ちゃん達。ちょいと俺達のお相手をしてくれねぇか」
霧香とミレイユが影の元に目をやると、Tシャツ姿の大柄な男が4名程立っていた。Tシャツの胸元には大きな荒々しい文字で”TAP”と書いてある。
ただ、外見からは彼等が何をやっているかはさっぱり判らなかった。首から肩にかけてTシャツからはみ出さんばかりに盛り上がっている筋肉とは対照的に、腹回りは中年太りのオッサンの様にでっぷりとしている。スポーツ選手としては中途半端な、何だか良く判らない体付きである。
「食事中よ。一昨日(おととい)来なさいよ」
ミレイユは男達を鋭い目付きで睨み、一言言うとオレンジジュースのソフトカップに左手を伸ばした。
男は即座に右手を出して、ミレイユの左手首を掴む。そして、そのまま右腕を上空に持ち上げ、力づくでミレイユを立たせようとする。
「つれない事言うなよ、姉ちゃん。俺達ぁ今日でお払い箱なんだ。どうしようもなく寂しいんだ。ちょっとぐらい相手をしてくれたって」
バシャッ!
突然、男の目に炭酸が飛び込む。
ミレイユの腕を掴んだ男の顔面に、霧香が飲み掛けのコーラを浴びせたのである。
「ぐおおっ、女の分際で俺達をコケにしやがって!」
「それ程言うなら、お望み通り相手してあげるわ」
霧香とミレイユは4人の男に囲まれる様にして店を出て、グルマンバーガーの駐車場へと向かった。
駐車場で男達に囲まれた霧香とミレイユが背中合わせになると、男達はそれぞれにファイティングポーズを取る。
そのポーズを見て、霧香は彼等の正体を見抜いた。
「彼等はプロレスをやっているわ」
「プロレス?」
「日本やアメリカで行われているショウスポーツよ」
「特徴は?」
「打撃技でも関節技でも、とにかく何でもありよ。気を付けた方がいいわ」
霧香は日本に居た頃に時々プロレスを見ていたのだが、ミレイユにはプロレスがどういうものなのか皆目見当が付かなかった。ただ、霧香の「ショウスポーツ」「何でもあり」という2つのキーワードから、ルールの曖昧な格闘技という事だけは判った。
「何ぶつくさ言ってやがる!」
男の1人がそう叫ぶと、両腕を伸ばしてミレイユに襲いかかる。だが、その動きは意外に緩慢だった。ミレイユは男の両腕をかわすと、身体を反転させて男の鳩尾に痛烈な肘打ちをかます。
だが、男は平然とした顔でミレイユの肘打ちを受けたまま、その太い両腕でミレイユの細い首を締めにかかった。
「う、ああっ・・・」
ミレイユの表情が苦痛に歪む。
「ちっとは腕に覚えがあるようだな、姉ちゃん。ただ、そんな攻撃では俺達は倒せんぞ」
ミレイユは両手で男の腕を制止しようとするが、体格の違いから来る絶対的なパワーの差は如何ともし難いものがあった。
その時。
残る3人の男の動きを牽制していた霧香が、ミレイユの側に向き直った。
(ミレイユ! 両腕を伸ばして!)
(・・・わ、判ったわ)
霧香はミレイユとアイコンタクトを取ると、ミレイユに向かってダッシュしながら両腕を伸ばす。
ミレイユは両腕を伸ばして霧香の両手首を掴み、そのまま両腕を上空へ向ける。
霧香はミレイユの力を利用して上空へと飛び上がり、空中回転してミレイユの首を締めている男の両肩に立った。
そして、霧香は両足で男の頭を挟み込むと、身体をひねって男の首を捻りながら後ろへと倒れ込み、男の身体が大きく傾いた時点で男の肩を蹴って脱出した。
男は咄嗟にミレイユの首を締めていた両腕を離して受身を取ろうとするが、霧香の蹴りで倒れ込むスピードが速まった為、受身を取る間も無くアスファルトの上に倒れた。
一息付く間も無く、ミレイユに向かって2番目の男が襲って来る。
先程の経験から、下手に打撃技を放っても通用しない事を悟ったミレイユは、姿勢を低くして男に足払いを仕掛け、足払いで姿勢を崩した男の右腕を両手で掴み、一本背負いの要領で男の身体をアスファルトに叩きつけた。
「この女ども、想像以上に手強いぞ!」
残る2人の男がミレイユと霧香に同時に襲いかかる。
ミレイユは霧香とアイコンタクトを取ると、再び自分に向かってダッシュして来た霧香の両手首を掴み、自分の身体を軸にして霧香の身体を振り回す。
霧香の全身を使った強烈なキックが男達の顔面に炸裂する。
そして、最後に残った男達もアスファルトの上に倒れた。
霧香とミレイユは、男達が全員失神しているのを確認し、その場を去ろうとした。
「ようやく全部片付いたわね」
「そうだね」
カラーン・・・
突然、何か杖の様なものが倒れる音が響く。
霧香とミレイユが視線を向けた先には、小柄な初老の男性の姿があった。
「おお・・・神は何という悪戯をなさるのだ・・・・・芹香・・・エレーヌ・・・・」
霧香とミレイユは互いに顔を見合わせる。
芹香?
エレーヌ?
この老人が、自分達をその2人と間違えているという事は明白だった。
しかし、「神の悪戯」とは一体何なのだろうか?
霧香とミレイユは、この老人の言葉に戸惑いを隠せなかった。
次の瞬間、老人の身体が大きく揺れる。
霧香とミレイユは慌てて老人の元に駆け寄り、2人で倒れそうになった老人の身体を支える。
老人は胸を押さえ、小刻みに身体を震わせて荒い息をしている。
「霧香、救急車を呼んで!」
「判ったわ、ミレイユ」
老人の身をミレイユに委ねて、霧香が3、4歩駆け出した時、霧香の目の前に紺色のスーツを来た男が現れた。
「貴女方の御厚意には大変感謝します。ですが、ジル様の事は私共にお任せ下さい」
スーツの男はジルと呼ばれた老人を両手で抱きかかえて、ミレイユと霧香の元を立ち去っていった。
不意に、老人が小声でスーツの男に話し掛けるのが聞こえた。
老人の話が終わると、スーツの男は小さく頷き、ミレイユと霧香の方に向き直った。
「ジル様は貴女方とお話がしたいそうです。申し訳ありませんが、当方の屋敷へお越し下さりますでしょうか?」
(どうする、ミレイユ?)
(さっきの「神の悪戯」という言葉が引っ掛かるわね。とりあえず行ってみましょうか)
ミレイユと霧香は小さく頷くと、スーツの男が乗って来たリムジンの先導で、ジルの屋敷へと向かった。