PRIDE8について

1999年11月21日(日)有明コロシアム

●ホイラー・グレイシー vs ○桜庭和志

(2回13分16秒、チキン・ウイング・アームロック→レフェリーストップ)

 ホイラー負けちゃった。タップしなかったけど…。48年ぶりのグレイシー一族のVALETUDO敗戦。
 今日は、見に行けなかったから、後日、ビデオを見て検証しなくては。
 話によれば、桜庭の完勝。ホイラーが弱いわけではないから、桜庭が稀代の天才ということか?いよいよヒクソンvs桜庭?それもいいけど、桜庭には小川、エンセン、マーク・ケアー、等々の強豪とも戦って欲しいヨ。

追記:1999.11.25深夜放送のSRS(フジテレビ)を見た。その限りでは、ホイラーの試合の形にまったくなれず、桜庭選手の得意の(?)猪木ーアリ状態を打開する蹴りの集中砲火。桜庭選手の作戦にしろ、そうでないにしろ、こういう形にならざるを得ない組み合わせか。桜庭選手がグラウンドの攻防を望めばホイラーの勝機が増すだけだし。
  ヒクソンがよくいう「ミステイク」をホイラーは少なくとも2つしたと思う。1つは、桜庭選手が最近の試合で「ああいう」蹴りを多用していたのを知らなかったのではないかという点で研究不足、グレイシー柔術に対する過信か?もう一つは、試合終了時間も近づいていたあの時間に腕をとられた点で、これはあくまで推測だけれども、引き分けにして終わらせようということが頭をよぎった時に油断が生じたのではないかということ。これらの「ミステイク」をしたことが敗北へとつながったと思う。
 グレイシー一族の敗北を目にして、がっくり肩を落としたけれども、桜庭選手が相手だったのがせめてもの救い。日本人選手の中では桜庭選手が一番いい
 それにしても、「グレイシー狩り」のハチマキをしているのは、戦う男に対する礼節を欠いているのではないか?PRIDEというのも興行であるから、客が各々の楽しみ方をすればいいのだけれども(それに、グレイシーにずっと悔しい思いをさせられてきた格闘技ファンがたくさんいることもわかっているけれども)、獣じゃないんだから、「狩り」の対象にするのはよくない。「魔女狩り」とか「オヤジ狩り」 みたいで、随分マイナスなイメージのある侮辱的表現だ。「打倒グレイシー」一辺倒の風潮の中で弾圧されているグレイシーファンは、ますます地下に潜行しなければならない。放送中の、谷川さんのコメントだけが救いだった。
 それから、放送の中で桜庭選手もずるいと言っていた、ラウンド時間の伸長と「判定なし」へのルール変更。確かに特別扱い的にグレイシーの主張するルールに変更するのはずるいようにも見える。しかし、グレイシーの戦いの本質からすれば、そういうルールにしなければ圧倒的に不利になるのは明白。そして、ルール変更が認められなければ、グレイシーはリングに上がらないだろう。それをグレイシー不敗伝説のトリックと解釈するならそれもよい。トリックかどうかは別として、その通りだからである。グレイシーなら当然の行動ということ。不敗と全勝は違う。負けないことに一番の重点がある。ヤバければまず逃げる。戦わなければ負けではない。そういう思想。きわめて実戦的な土壌から生まれてきたグレイシー柔術ならでは。グレイシー柔術は、護身術としての性格が一番強い。スポーツでもショーでもない。また純粋な格闘技でもない。できれば遭遇したくないエグイ場面での護身術であるというのが一番近い。
  それならば、なぜ興行のリングに上がるのか?これは営業。グレイシー柔術の繁栄と道場の経営のため。格闘技の試合を営業というと、安っぽく感じる人もいるかもしれないが、プロフェッショナルな活動としては当然の営み。一族の誇りを持って営業しているということ。他の選手もプロのリングに上がっている以上、同じ。前田光世大先生にしてもしかり。選手の思いの中にはそれ以上のものがある場合もあるだろうけど。
  話を戻すけれど、グレイシー的思想に基づく行動は、まず、興行のリングに上がるかどうか(逃げるか戦うか)は、契約の前に交渉して(対戦相手やルールを)見きわめ、決める。そして、興行のリングに上がると決めた以上、負けは許されない。が、誇りを守れれば必ずしも勝たなくてよい。よくよく考えてみると、グレイシーの行動は特異なものではない。むしろ常識的行動と言える。あらゆる世界において、誇りを持って仕事をしている人々と共通した行動をしているだけ。極めて大人の生き方をしているだけ。…が、ホイラーは負けた。わずかばかりの誇りを見せたが。無念。
 以上、深夜、頭が冴えない状態で打ち込んだので、文章が乱れているし、いろいろ屁理屈をならべたててしまったかもしれない。こういう内容の話は議論をしても不毛であるし不快であろう。少数派であるグレイシーファンの、ホイラー敗北によるショックから出た悲鳴だと思っていただけると幸いである。(1999.11.26記)

○ヘンゾ・グレイシー vs ●アレクサンダー大塚

(判定)

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