「のぞいてみよう海老名の江戸時代」



ここ数年、海老名各地区の旧家の蔵に所蔵されていた古文書等の調査が進み、江戸時代に海老名に暮らした人々の
姿が少しずつ見えてきました。江戸時代の海老名は、お江戸からは少し離れた農村でした。
テレビの時代劇とはちょっと違う海老名の江戸時代を古文書、絵図、民具などから紹介します。



海老名の村々  

江戸時代、海老名は17の村に分かれていました。
村々は江戸時代の初期は幕府の領地が多かったのですが、やがて2人の大名と27人の旗本の領地となりました。
海老名の村々を領地にもった著名な人物には春日局、新井白石が挙げられます。
また「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵の本家の領地もありました。

村の支配と生活  
それぞれの村や領地には、領主から出された掟(おきて)や、村ごとのきまりがありました。
年貢は毎年村単位に課せられ、村役人が個人に割り当てましたが、年貢が収められない場合は
5人組や村の責任で納めなければなりませんでした。
この他、名主や庶民の日常の暮らしぶりの一端を紹介します。

変わりゆく村
江戸時代の海老名は、洪水や富士山の噴火などの自然災害も起こりました。
そこで少しでも収穫を増やすため農作業を効率よく行うために便利な農具が考案されました。
また、農業の合間に酒屋や醤油屋を営む家も多くなりました。

農村文化の広がり
海老名の村々にも読み物を読んだり、生け花や俳句をなど様々なものが流行しました。
富士山やお伊勢参り等も流行し、多くの人が旅行に出かけました。
子どもたちは寺子屋で読み書き算盤を習いました