↓こんなんレビューとは言いません

 アレですな。個人的にEVSは正直どうかと思いますね。そもそも、"エロエロボイスをしゃべってくれる"略してEVSなのに卑猥な言葉はダメとは何事かっ! というギャグを言いたいがために『ときメモ2』のレビューを書き出したから、目的達成につきこれにて終了! って終わってんじゃねーよ>オレ。

 気がつくと発売からもう1年以上経つわけですが、発売直前といえば、すでに『ときメモ2』のキャラのファンクラブを作ってる人がいたり、アンチ『ときメモ2』な人々がガタガタ言ってるのに対して前者の方々が反論してたりし、オレもそれを傍観したり同様にガタガタ言ってみたりしていた。
 オレなどは、『ときメモ』というか虹野さんに思い入れがありまくりの人間なので、どちらかというとアンチ『ときメモ2』なスタンスで、というかむしろ、プレイしていないにもかかわらず早くも新キャラ対して熱い想いを抱く人々を苦々しく見てもいた。
 続編に期待しなくちゃいけないほど、『ときメモ』に飽きてしまったのか!
 プレイもせずに新キャラのファンクラブ作っちゃうほど、前作の女の子に対する想い入れがなくなっちゃったのか!
 そんなもん個人の勝手やがなアンタに関係あらへんと言われてしまえばそれまでだが、オレの目にはどうしても軽薄に映ってしまうのだ。もちろんプレイして、「この娘は○○ちゃん(キミの好みの名前を入れよう)よりナイスだぜ!」と心変わりする分には、全然かまわない。だが、まだ発売前じゃないか。キャラに対してだけじゃない。『ときメモ』というゲームに思い入れがあるんだろ。もうちょっと保守的になってもバチはあたらねえよ。まだプレイ前じゃないか。
 逆に、熱烈なアンチで保守的で徹底的にバッシングしている人々の意見も、オレは理解できるようで理解できなかった。"『ときメモ』に強い思い入れがある"という部分では、オレは非常に共感したし、多少の好感も持てたのだ。「『ときメモ』はこんなスゴイゲームでドハマリしたんだよだから今こそ『ときメモ』を振り返ろうよ」という意見に、オレはまったくその通りだそうだ今こそそのときだと思ったのだ。でも結果的には、『ときメモ』を持ち上げるのもそこそこに、最後は『ときメモ2』を貶めるだけに終始していて、「『ときメモ2』はアニメ絵でオタくさい」とか「EVSを全員分つけないのは未完成品を売ってるようなもんだ」みたいな感じであった。そして議論は最終的にコナミ及び開発者バッシングにまで及んだため、結局オレは「『ときメモ』原理主義者って怖いな」という教訓を得ることしかできなかった。

 そして、発売から遅れること2カ月、オレもやっとこさ『ときメモ2』を購入した。結局、2001年2月現在、オレは4人ほどエンディングを見て、それからまったくプレイしていないのだが、別に『ときメモ2』が前作より劣っているとは思っていない。やり込んでいないとはいえ、プレイしている間「つまらないなあ」という感想は浮かんでこない。グラフィックもキレイだし、エンディングが複数あるキャラもいて(全員あるんですか?)、イベントもたくさんあるようだ。『ときメモ』同様に、やり込もうと思えばきっとやり込めるのだろう。クソったれな部分もたくさんあるし、けなそうと思えばけなせるが、客観的に見れば『ときメモ2』は『ときメモ』よりデキのいいゲームだと思う。そういえば、『ときメモ』原理主義者の人たちは結局プレイしたんだろうか? 今のところ1人しか"プレイした"という事実を確認していない。彼らはどういう結論に達したのだろうか。

 だが、そんなことは、どうでも、いい。
『ときメモ2』は『ときメモ』よりつまらねえよ。
 虹野さんがいねえからな。
 オレにはそれで十分だ。

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