乃木将軍の苦悩と栄光

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 2006年9月9日の午後、私たち「満州」ツアーの一行は203高地の展望台に立っていた。私たちは暑いほどの陽を受けて、霞みがちの旅順港を眺めながら、ガイドの董さんから、乃木軍とロシア軍との戦いについて説明を聞いた。開戦してちょうど10ヶ月目の明治37年12月6日、日本軍はこの山を占領した。その後、旅順港を見下ろすこの地からの指令に基づき、後背の陣地から繰り出された28サンチ榴弾砲が、港内に停泊中のロシア戦艦を次々に撃沈し旅順攻防を日本軍勝利に導いたのであった。ほぼ100年前に水師営の会見が行われた陋屋では、老人のガイドから日本語でその会見の有様を詳しく聞いた。その屋の庭には枯れかけた棗(なつめ)の木も立っていた。私は、それら戦闘を指揮した乃木将軍が武勲著しく歌にうたわれるようになり、神社に祀られ神になったことのどこかに違和感を抱きながら旅順を後にした。



 帰国後、いくつかの本によりいくらかの知識を得た。それらによると、司令官乃木希典に対する評価は、西南の役にはじまり旅順戦において、またその後の奉天攻防においても良くない。彼は、西南の役で指揮を執るより自ら戦場を走り回り、あげくの果てに軍旗を奪われてしまった。旅順において、203高地の戦略上の重要性をまったく解せず他の堡塁などへの無用な突撃を繰り返し屍の山を築いた。児玉源太郎大将の助力無くして203高地の奪取はあり得なかったという。旅順戦における日本軍兵士の死傷者は6万2千名にのぼり、最初から203高地を的確に攻めればその大半が無くてすんだであろうといわれている。

 司馬遼太郎は長編『坂の上の雲』において乃木希典の戦争司令官としての無能ぶりを徹底的に描いた。しかし、時にひとは乃木を軍神と呼び、東京赤坂、那須をはじめいくつかの地では乃木神社に彼を祀りさえする。私事にわたり恐縮だが、95歳の私の母は、今、私の名を口にできず、「旅順開城約なりて・・・、庭にひともと棗の木・・・」と間違いなく歌うことが出来る。

 無能とされた司令官が、歌で国中あまねく歌われ軍神にまでなるからには、無能を埋めて余りある何かがあったはずである。『坂の上の雲』では、乃木は脇役、主役の秋山兄弟に花を持たす必要があったのであろう。そう思って、司馬の乃木観を乃木の評伝『殉死』に追ってみた。

 司馬によれば、日露戦争以後、伯爵、学習院長、宮内省御用掛などを拝し、明治天皇の寵を受けるまでになった乃木の行動の規範は、山鹿素行の陽明学に象徴される美学にあり、それがさらに長州は長府毛利家という出自の上にこの上もなく展開された挙げ句、明治天皇の死にしたがう殉死などにつながり、かような英雄になり得た、という。司馬のこの解釈は、俗に言い換えれば、血筋の良さの上にこれ以上なく格好を付けた結果である、と言えそうである。

 世に、それに近いパターンで歴史に名を残す人々は多い。しかし、司馬が描くように、無能というあからさまな評価と神にまで祭り上げられる処遇とを併せ持った人は、そのギャップの大きさにおいて空前絶後ではなかろうか。

 境遇も能力も使いよう、といえばそれまでだが、そこには看過できない問題をみてとれるように思う。ひとつは、乃木の下で戦死していった何万もの兵士はどうなるのか。日露戦争では、兵士の死亡は多数に上り、日本中、日露戦争で亡くなった人のお墓のない町や村はないのではなかろうか。非戦闘員の犠牲は相対的に少ないが、その後の戦争、特に第2次世界大戦になると戦闘員だけでなく非戦闘員の犠牲も多くなる。もっとも、戦争をしたい人間は、その後、自軍の死者数を減らす道を考え出すようになった。戦争反対勢力を自国内で増やす原因となるのは良くないと判断したのかも知れない。その典型が第2次湾岸戦争であった。多国籍軍兵士の死者は発表によると149人であった。他方、イラク軍の死者は10万人以上と見積もられ、劣化ウラン弾を含め戦火を浴び死傷した民衆は多数に上った。それが戦争というものであるとすれば、戦争は、絶対に起こしてはならないであろう。

 つぎに、乃木の葛藤における上記美学の役割についてである。乃木の葛藤は、西南の役で軍旗を取られ、日露戦争で無能呼ばわりされたことの裏で、多くの兵士(ふたりの息子たちを含む)を死に至らしめたことと国家の存続・繁栄との間にあったはずである。そして、かの美学がそのギャップを埋める、すなわちその矛盾を止揚する働きをしたのではないか、と考えられるのである。この美学なるものは、その後、40年近くにわたってわが国を覆った思想に類似する。そしてまた、それを美学と称して納得してしまう精神がわが国に生きているとすれば、日本という国はなんと危険な国だろう、と思う。この最後のことは、今も私の頭の中で、203高地の日差しの思い出とともに満州の大地を舞台に浮かんでは消えている。


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