戦後はまだ終らない

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中国人強制連行の訴訟に関して、最高裁小法廷が、来る3月16日に上告審弁論を開く、という新聞記事が出ていた。第2次大戦中に強制連行され工事現場で過酷な労働をさせられた中国人の元労働者ら6名が、西松建設を相手に損害賠償を求めた訴訟である。

よく読んでみて、ふたつのことが分かった。

ひとつは、形式上の話で、弁論を開くと言うことは、高等裁判所の判決を覆すことを前提としているらしい、ということ。

もうひとつは、内容の話しで、戦争のどさくさに拉致してきた中国人を水力発電所の建設に使役したのは事実としても、それに対する損害賠償は、72年の日中共同声明で「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」とされていることを根拠に認めない、ということになるらしい。

つまり、原告の敗訴=賠償請求権はない、という結論が予想される。となると、結果の影響は広範に及ぶのではないか。

中国人が原告の強制連行訴訟は現在、14件が係争中とのこと。慰安婦訴訟は、最高裁で2件が審理中とのこと。これらに影響することは明らかで、そのほか、朝鮮人連行などの訴訟もあるはず。

さらに懸念されるのは、私たちの目の前で横田さん夫妻を先頭に進められている北朝鮮による拉致事件の解明、解決に対する影響である。上記の訴訟は、言ってみれば、日本による中国人、朝鮮人の拉致事件である。それら多数の事件の裏には、それだけ多数の横田さん夫妻などのような、肉親を拉致された深い悲しみがあった、ということであり、私はそのことをも想像せざるを得ない。しかし、さしあたってはそれらを切り離した早期解決、すなわち、北朝鮮により拉致された方々の身柄の引き渡しなどをまず実現してほしい。

戦後処理がきちんと行われれば、日本政府は、胸を張ってアジアで友好外交を進められると思われるのに、現実はそうでない。ドイツは、それを行って欧州の結合をしっかりと進めている。日本は、あれほど明らかな北朝鮮の無法に対しても腰が引けざるをえない。そこへ、今回の原告側敗訴となれば、解決への道が狭まりかねない。そして、東アジアの各国政府だけでなく、それら民衆の日本政府に向ける眼は今まで以上に厳しくなる。被賠償国側が個人と国家の関係は別だ、というのは論理的であり、日中共同声明などで、国家間の賠償は放棄されたとしても、民衆が悲しみに打ちひしがれたことに対する補償は、人道上も、消え去らないのではないだろうか。

日本とアジアの民衆にとって、戦後はまだ終りそうにない。

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