「生物と無生物のあいだ」 
                           福岡 伸一(著) 講談社現代新書

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今年度(2007年)の「研究会」は、「物質改変」とか「光のボゾン性」とかの次元からバイオマス生産とかバイオ燃料とかを考えるという宿題を社長から突きつけられています。これは、かなり「跳んだ」話です。いきなりこの次元を理解するのはむずかしい。すこし時間をかければ何か出てくるかといえば、それも保証の限りではない。そこで、今一度、生命を考えることにしました。そのよりどころとして、シュレーディンガーをしばらく前に呼んでみました。今回は、その後の生命の定義がどうなっているか、を概観できそうな本が見つかりましたので、それを読んでみました。最近のベストセラーに上がっているようなので、何かの縁でもあるのかも知れません。

この本は、生物とは、あるいは生命とは何だろうか、ということを、生物に関心はあるが専門家とはいえない人たち向けに、とても親しみやすく書いてくれています。

近代科学を推し進めたデカルト流還元論、それは20世紀に入って物理的世界観として著しく科学を推し進めました。「生命とは」という問いに対しては、シュレーディンガー(1944)は「非周期性結晶(Aperiodic Crystal)を歯車とする時計仕掛けとしての生命」という定義を用意しました。しかし、同時に「なぜ原子は小さく生物は大きいか」という問題を提起し「平方根の法則」を引いて、原子も生物もその大きさの平方根だけリスクを負っていて、生物は緩衝力を持ちうる条件をサイズの上で用意していること、「負のエントロピーを食べる生命」という特徴に注目して、その安定性を保証していることなどにも注意を喚起しました。

20世紀後半の生物学の革命は、ワトソン・クリック(1953)の「DNAの二重らせんモデル」で始まったのですが、それは「自己複製をおこなうシステムとしての生命」という生命の定義を作り上げました。

それら両者の定義を貫き補完する概念として、ルドルフ・シェーンハイマーが「動的平衡にある流れとしての生命」を提唱したのは、実は、両者より早かったのですが、それをさておいても、これら三者の定義を総合したところに、生命についての現代の定義は集約されるといってよいでしょう。

以上のようなことを中心に、専門外の読者にも分かりやすく物語風に、歴史風に、ドキュメンタリー風に、評伝風に、そして時に自伝風にも、そしてところどころでは叙情的に詩のようにうまく物語ってくれる本、それがこの本です。

つぎは、「物質と生命のあいだ」とでもいう本を福岡さんに書いていただきたいと思いました。

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