磐田と清水  

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サッカーW杯開幕を直前に控えて、ジュビロ磐田の山本昌邦監督が辞任した。一昨年の秋、オリンピック監督からジュビロ監督へ「帰ってきた」直後、私は、たまたま磐田のホテルのロビーで山本監督一行と隣り合わせた。何かの会議が終わったところであった。私は、その後の活躍を祈りつつ、一抹の不安を感じたことをはっきりと憶えている。

静岡県のスポーツチームには、いわゆるシルバー・コレクターが多い。実力があってもなかなか優勝までいけない。最後の詰めの段階で競り合いに弱いのである。高校野球の静岡高校、サッカーJ1の清水エスパルスも同類である。いずれもスタッフに静岡県人が多いチームである。不要なところにまで優しさを発揮してしまうのかも知れない。

ここ1,2年のジュビロは、今ひとつ波に乗れないできて、今年のシーズンもそれを克服できないと判断され山本監督が責任をとって辞任に至ったのだろうと思う。しかし、私は、ジュビロに関していえば、「ドゥンガの喝」の残効が衰えたためとふんでいる。つまり、ドゥンガの顔が忘れられるにつれて潜在していたシルバー・コレクター気質が顔を出してきたのだろうと思うのである。

これは、清水エスパルスに関しても言えることである。エスパルスが、いろんな局面、特に大事な試合で勝ちきれないことは常態化している。その典型例が、横浜フリューゲルス消滅決定後の天皇杯(だったか?)決勝戦である。先行して逆転負けし、フリューゲルスが頂点に立った。フリューゲルスにしてみれば、それしかないという局面に立っていて、対するエスパルス側はどのような精神状況にあったか。各選手に聞いてみれば「必勝の意気込みで臨んでいた」と答えるであろうし、それは正直なところであったと思う。しかし、消滅の敵が頂点に立つことの劇的さは誰もが考える。逆の立場に立ったばあいでも、考えてしまうのかも知れない。私を含め静岡県に生を受け感受性強い青少年時代をそこに過ごした者の多くの心理状況からすれば、そう考えざるを得ないのである。しかし、勝負の世界では、エスパルスの立場で、そんな劇的さなど思ってはいけないのである。そんなことをいささかも思っていては、日常において良い結果を出すことはあろうが、スポーツの世界では違って、激しい競り合いに負ける宿命におかれるのである。勝ちたいという気持ちが強いとは、そんな劇的さを思い浮かべる余地がないことなのである。

清水のサッカーは、他地域に先行して地域を挙げて振興を計り全国的に相対的にハイレベルにあったものの、Jリーグが発足し活性化し全国的にレベルが向上すると相対的に弱く見えるようになってきた。高校チームについては、多数あるサッカー名門校に良い選手が分散されて・・・などという言い訳を聞くけれど、全く言い訳そのものである。

ジュビロもエスパルスも、技術レベルの高い選手が多いのは確かであり、首位を争うチームと横一線といっても良い。最後までねばったり、競り合いに勝ち抜いたり、頭を働かせて局面を打開することは、技術とは違う精神面での強さである。それを養わない限り、恒常的に上位を保つことはできないであろう。静岡県のスポーツチームの共通の課題である。


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